仏壇(ぶつだん)は文字通り、皆さんの各家の、我が家の本堂
みたいなものです。
東京のある企業の社長さんの奥さんが亡くなられて、一億円を
投じて仏間を設けられた社長さんがあるそうで、微笑ましいのを
通り越して旦那寺(だんなでら)の和尚(おしょう)さんは仰天
されたという話を聞きました。
その後で、若い奥さんを結婚相談所を通して公募されたそうで、
ケジメを付けられたのかも知れませんし、尾鰭(おひれ)のついた
噂話かもしれません。
観音院の法主さんの応接も、もしかすると一億円くらいは使って
あるかもしれません。室内の周囲は金箔、照明は燈篭が約五十基、
さまざまの仏具もあって、信徒さんの思い遣りを有り難く受けられ
ています。ここは、厳重な防犯・防火設備がしてあり、火が出ると
自動消火します。
ところで近年、打ち鳴らし(おりん)を純金で作ったものがあり
ます。これは気を使います。柔らかい金属ですから変形する恐れが
あり、注意深く扱わねばなりません。
子孫が零落(おちぶ)れた場合、純金の打ち鳴らしなんて意味が
ありません。利殖にもならないし、売れば高価な物という変な期待
を子孫に持たせる罪なものです。
観音院に純金仕立ての奥歯のコピーがあります。二十年も昔にも
なりますが、法主さんが礼拝中に抜けられた歯です。台座に本物の
歯が入れてあって、DNAを調べる必要が起きたら照合できるよう
にしてあるのでしょうか。
昔からお酒に金箔を入れたものや、食物の上に金箔が撒(ま)い
てある料理がありますが、金箔は消化しません、且つ無味無臭です。
馬鹿げた使い方としか言いようがありません。気持ちも悪いですね。
人にると豪華と思われるかも知れませんが、悪趣味な金箔の使い方
です。その内に漬物や納豆などにも金箔が撒かれるかも知れません。
金箔を張った備品の補修を試みたことがあります。金箔は思った
より低廉な価格で入手できます。
金箔は非常に薄く、呼吸の息でもバラバラになります。漆のよう
なカシューという塗料を塗ってある程度乾燥したころに張ります。
下地が綺麗でないと上手く張れません。根気のいる作業です。
金張りの仏具は荘厳ですが、大切に取り扱わないと直ぐに下地が
露出します。美しいだけに子供さんの気を引きます。私たちは白い
手袋をして慎重に触りますが素手ですと金箔は剥げ易いものです。
仏具の多くは真鍮(しんちゅう)製です。良く手入れをすると、
美しく輝きます。
ある時、仏具磨きのご奉仕の方が、きれいになると思い、研磨剤
で磨かれて、金箔が全部こそぎ落とされたことがありました。
金張りの什器(じゅうき)を適切に保存することは大変に難しく
思われます。
瓔珞(ようらく)は昔は全て木製で、その上に金箔が張ってあり
ました。最近はFRPという合成樹脂に金箔を貼ったものが多いよ
うです。大半が受注生産で金額も木製に劣らず高いようです。
お子様に限らず、美しい仏具は大人の方々も好奇心で触られるこ
とが多く困ったことですが、、、注意はできません。
ともあれ、仏教史の随分古い昔に黄金を尊しとした時代があって
影響されたものでしょう。多くの宗教には黄金尊重の傾向がありま
す。黄金は価値があるものとして現在でも尊重されています。
灯し火も、救いや慈悲の象徴として、昔から大切にされています。
そのころは油の中に灯心を浸けて、それに火を灯していました。
灯心は藺草(いぐさ)のなかの白い芯をとって使います。吸い上
げる油の量が程よくて、蝋燭のような照度は出ませんが、経済的な
照明方法でした。
最近は照明というよりは「お供え物」の意味で使われています。
蝋燭や線香の不始末で火事になることもありますので灯明型の電球
が良いように思います。
お寺にある燈篭の灯かりは全部電球です。朝から晩まで点してい
るので、点検を毎日します。電球は不思議なもので、二十年を超え
ても大丈夫なものもありますし、半年も経たないのに切れるものも
あります。
最近、ステンドグラスの照明を五基ほど求めまして、み仏さまの
御足元を照らしているのですが、雰囲気がなかなかのものです。
別に柱状の筒の中に透明な液体と比重が重い赤い液体を入れた照
明器具を頂きました。下部に電球が入れてあり、その熱で赤い液体
の部分が伸びて上がったり下がったりして見ていて飽きが来ません。
み仏さまにお供えする香華(こうげ)灯明(とうみょう)も、
時代の変遷(へんせん)とともに、変化や進歩が顕著にあります。
供花(くげ)について、造花は如何なものかとよく質問されます。
蓮の花を木で造って、金箔を貼ったり、彩色したものは実際の蓮の
花より遥かに高価で、お寺では随分、昔から使用されています。
結論から言えば、造花でも結構です。墓用では俗に香港フラワー
を供えておられる方を見受けますが、お墓の水は乾き、温度も生花
では耐えられないようになります。造花は、結構と申しましたが、
彩色が変色するまで、二年も三年も、そのままにしておくのは如何
か、常識で考えられれば良いでしょう。
灯明も供花も必ずしも一対は必要ではありません。右花左灯(う
かさとう)と申しまして、右側に供花、左に灯明、真ん中に香炉で
も構いません。お茶をお供えする器は有田焼でもマイセンでも上質
な磁器なら大丈夫です。
大切なのは「心」です。様式に拘束される必要はありません。
灯明一本でも、み仏さまは礼拝(らいはい)できますし、経本も
読めます。一輪咲きの野草の花も供養になります。
観音院で毎年十月に行われる燈籠供養・万灯会(まんどうえ)も
荘厳に思います。毎年8月6日、広島市で行われる原爆犠牲者の
精霊供養の燈篭流しも本当に有り難い風情です。
観音院にも数百の吊り灯篭がありますが、大変に荘厳なもので、
一基一基に奉納された方々とみ仏さまとの約束があります。
三月には、胎蔵界大日如来さまが奉納されますし、観音院の東京
事務所の簡便な礼拝設備も整います。
最近、観音院にヤフーBB対応の電話機が設置されました。会員
間であれば通話料が無料です。
通信機材の進歩は革命的で、相談事に通信費が低廉になります。
現在は法主さんの所に電話機とパソコンが置いてあってヤフーBB
の使い方や性能がテストされています。