佛教談義

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聖徳太子について 大日本大聖伝より(完)

「大日本史(だいにほんし)」(水戸黄門の名前で馴染み深い、 徳川光圀(みつくに)が一六五七年、江戸の藩邸「彰考館」で編纂 (へんさん)を始め、一九〇六年に完成した、漢文体の日本史)の 編集者の一人であった「森 尚謙」(もりしょうけん・一六五...
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聖徳太子について 大日本大聖伝より(5)

旧事本紀(くじほんぎ)には、「日本書紀(にほんしょき)」 が書いていない崇峻天皇〔すしゅん・在位五八七ー五九二〕の 弑逆(しいぎゃく)事件に関する裏事情と、その具体的な事柄を はっきり明記している。それはこうだ。  大臣や群臣に隠して、天...
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聖徳太子について 大日本大聖伝より(4)

崇峻天皇弑逆事件の背景  第四点は、蘇我馬子(~六二六)の人物についてである。  人間には長所もあれば欠点もある。どれほど立派な人物でも立場 上、やむなく「悪」を選択することがある。  馬子の場合もそうで、崇峻(すしゅん)天皇弑逆(しいぎ...
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聖徳太子について 大日本大聖伝(3)

 推古天皇の時代〔在位五九二ー六二八〕に、聖徳太子と蘇我馬子 が作った「大王記・国記」は、大化の改新〔西暦六四五年、蘇我入 鹿(そがのいるか)を、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ・後の 天智天皇)と中臣(なかとみ・藤原)釜足が誅殺(ちゅうさ...
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聖徳太子について 大日本大聖伝(2)

 第三の「相貌の異」とは、聖徳太子の容姿についてのことである。  聖徳太子は容貌端正にして威厳あり。身の丈七尺二寸、眉は弓月 のごとく、眼のふち白く、瞳の色は紫紺にして、四瞳五色の翠光を おびて猫のひとみの如く、同時に数名が太子に相対しても...
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聖徳太子について 大日本大聖伝(1)

廃仏毀釈 明治の初め、太政官(だじょうかん・明治前期の最高官庁。今の 内閣にあたる)によって国家神道の政策のため神仏分離がおこなわ れ、それを契機に全国的な仏教排撃運動が起こりました。  神仏分離の強行の先頭に立ったのは、主として国学者や地...
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三善と三悪

 生死無常(しょうじむじょう)、三世因果(さんぜいんが)、六 道輪廻(ろくどうりんね)、この道理によく得心いけば、ただちに 実行しなければならない。  その手始めは、まず身口意(しん・く・い)の三業(さんごう) に最も意をもちいることである...
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安心の程度、三帰依文

ご隠居 今回から次号にわたり、昔ある本に掲載された記事を抄録 して紹介してみようと思う。 「凡夫(ぼんぷ)の安心(あんじん)とはどのようなもの」という タイトルで、ある一人の仏教徒が、学識ゆたかな僧侶に、次のよう に質問している。  問。聞...
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ほとけさまは清潔がお好き

隣の寅さん 観音院さんの入口の石柱に、「不許葷酒煙草入山門」 と書かれていますが、このなかの葷酒(くんしゅ)は、正確にいう といったい何なんです? 隣のご隠居 「葷」というのは、ニンニクやネギのように臭気のあ る菜のことだから、葷酒とは、...
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因果応報の理

隣の寅さん この佛教談義のページでもとりあげる、いわゆる佛教 説話にかならずといっていいほど出てきたテーマに因果応報(いん がおうほう)----善因(ぜんいん)には善い結果があり、悪因には 悪い結果があるというように、それぞれのおこないに応...