大日如来の仮実如何

これからご紹介するのは、いまからざっと百年前、真言宗の宗徒 とおぼしき熱心な「信者」が、仏教関係の新聞に投書し、それに対して「学識者」がその質疑に答えた内容の文章です。
 
大日如来の仮実如何

質問 真言宗では「大日如来」という「ほとけさま」をたいへん尊崇(そんすう)いたしておりますが、その「仏」は実際に居られるものなのか、あるいは、ほんとうはいらっしゃらないのか、もし、ほんとうに居られるとすれば、いずれの国に生まれたまい、いずくにて成道(じょうどう)せられた
のでしょうか。

 また、もし大日如来が仮立(けりゅう)の存在であるならば、何故、あえて、大日如来という名称 を付して自性法界宮(じしょうほっかいぐう)に居所をお定めになったのでしょうか。
 如来の有無ならびに自性法界宮 の所在、いかが決定(けつじょう)すべきでありましょうか。
 
回答 よくこそ良い疑念を提示してくれました。われわれは貴方のごとき人が多くあらわれることを待っておりました。
 さて、仏法をほんとうに信ずるという人は、はなはだ少ないもので、たまにそれを研究してみたいという気があっても、良き師や朋友がなくてはできかねるもので、その師、同好の士を得るということはまことに難しいことです。

 かつて求法(ぐほう)に忠実であった「いにしえの人たち」は、まず「どうか善師、良友に逢わせ てください」と、神仏に祈られたそうですが、これは現在においても、古人のすぐれた事跡を慕い、そのことを神仏に祈る御仁もいる。
 かくいう私も、青年期における求法時代には、そのような立願をしたことがありました。が、信心 が足りなかったせいか、縁がなかったのか、この人こそは、と思うほどの善師、良友に逢うことがで きませんでした。
 たまに、この人ならばと思って、かねてより自分がつみたくわえてきた仏法上の疑問を問いただそうとすると、そこのところは私にも分かりかねます、などと遁辞(とんじ)をもうけて、いたずらに話題を逸(そ)らすとか、まれにこ ちらの質問にたいする解釈を得られた場合にも、あまり感服できな いことが多く、徹頭徹尾満足ゆく 回答を得たことはきわめて少ないのです。

 さて、真言宗のご本尊の大日如来は実有(じつう)であるか、仮立であるか、とのお訊ねでありますが、仮実(けじつ)の沙汰(さた)はしばらくおき、もともと真言宗 の 教理とは どのようなもので、大日如来とは どんなみ仏である か、ということをまず考えてみな くてはなりません。
 そこのところが分からないから、大日如来はいつ頃、何処でお生まれになり、どこにお住まいになっ て、いつごろ成道(じょうどう)されたかなどといった疑問が生ずるわけです。
 そこで、大日如来と釈迦如来とはどこが相違し、どれほどのちがいがあるかということから、まず調べることにしてみましょう。

 元来、「仏」には法・報・応の「三身」があります。
 法身(ほっしん)は大日毘盧遮那仏といい、その毘盧遮那(びるしゃな)を大日とも、あるいは遍 一切処(へんいっさいしょ)とも 訳して、これを常恒(じょうごう)不変の仏としています。
 顕教では真如法性(しんにょほっしょう)の妙体を法身と名づけ、密教では、地・水・火・風・空・識の「六大(ろくだい)」を法身とするので、この六大も、そして 真如も、ともに天外地外(宇宙間)に充満して寸隙(すんげき)だに れております。

 大日というのは文字どおり太陽のことで、太陽がくまなく万物を照らし慈しむがごとく、一切処に遍(あまね)きがゆえです。
 したがって、そういった何かが何処かにあるというわけのものではなく、この天界地界のすべてがそのまま大日如来の仏体なのであります。
 また、この天界地界のなかにおいて、おこなわれている諸活動の真理そのものも、大日如来の仏心にほかなりません。

 ゆえに一切衆生の心のなかにも一個の大日如来が厳然と存在する。
これを自性(じしょう)天真仏ということもある。否な、われわれのこの身体も六大法身であるから、龍樹祖師(りゅうじゅそし・八宗の祖師・龍猛)が申されたように、「もし人、菩提心を発(おこ)し、仏慧に通達すれば、父母所生の身に速やかに大覚位を証す」るのである。
 したがって、死してのち未来の成仏(じょうぶつ)を論ずるのではなく、「この身このまま」の成 仏を論ずるのであるから、真言宗を「即身成仏」の宗義というのであります。

 しかし、これは言うはたやすいけれども、真に加持顕得(かじけんとく)の地位に至りうることはきわめて至難であります。
 いわゆる報身(ほうじん)とは果報(かほう)の仏身ということであり、凡夫が修行の因縁によって成道作仏(さぶつ)の大覚位を証得したのです。その顕得した果仏を真の大日というのですから、十方諸仏が成道なされた場合は、すべて大日如来とおなりになるわけです。
 この大日如来が、その本地法身 の法界体性智(ほっかいたいしょうち)に住(じゅう)したまうを、自受用(じじゅよう)三昧(さんまい)自受用法身と申します。

 また、その大日如来が大円鏡智(だいえんきょうち)三昧(仏教的な瞑想、境地)に住せられれば 阿門如来(あしゅくにょらい)といい、平等性智(びょうどうしょうち) の三昧に住せられるのを宝生如来(ほうしょうにょらい)といい、 妙観察智(みょうかんざっち)に 住せられれば阿弥陀如来といい、 成所作智(じょうしょさち)の三昧に住せられるのを不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)というので、これを、他受用報身と申します。
 ゆえに十方の諸仏如来は、すべて大日毘盧遮那の分身化生(けしょう)というわけです。

■観自在註 〔四智〕眼・耳・鼻 ・舌・身の前五識、意識、末那識(まなしき)、阿羅耶識(あらやしき)という有漏(うろ)の心を転じて取得する仏果位、すなわち成所作智、妙観察智、平等性智、大円鏡智のこと。
 阿羅耶識(あらやしき)を転じ て得られる智は、「大円鏡にもろ もろの色像を現ずるがごとく、 如来の鏡智の中によく衆生(しゅ じょう)の善悪業を現ず」ること により、大円鏡智と呼ばれ、この 智は諸智一切の因であるところか ら大蔵ともいわれる。

▼〔智慧〕なお智慧(ちえ)とは、甚深、広大にして無量、無辺であり、有とか無とかいうような、分別(ふんべつ)をもってしてはとらえ難きものであり、無礙(むげ)清浄(しょうじょう)にして不壊(ふえ)不動であるから、無上の 境界(きょうがい)を意味し、またそれを荘厳(しょうごん)する ものでもある。
 智慧は佛菩薩を生み出すもとであり、仏の所依(しょえ・拠りどころ)であって、功徳(くどく)をそなえ、有情(うじょう)にあまねく利益(りやく)を与え、自らを護(まも)り、彼岸(覚悟)へ導くものである。  智慧は仏法の要、真実をとらえるものであるから、煩悩(ぼんのう)を断じ、無明(むみょう)を対治(たいじ)する力を有する。

 そういったようなわけで大日如来は理仏、阿弥陀如来であるとか薬師如来などは智仏とされている。
 この理仏と智仏とを包摂(ほうせつ)して、世間に応現化生(おうげんけしょう)したのが応身の 釈迦如来なのであります。
 したがって、釈尊を本位にして考えるならば、十方諸仏もすべて釈尊の分身であり、化生といってもよいでしょう。
 なんとなれば、我が家は真言宗 だ、浄土真宗だ、天台宗だなどとかれこれ言ってみたとて、仏法は 釈尊以後の仏法であり、釈尊以前においては一仏の名字だに聞くことができなかったのだから、なんとも仕方がない。

 このように法・報・応の三身もせんじ詰めれば、実は一身というわけで、釈迦如来が自受用三昧に住して、さとりのままにお説きになったのがすなわち陀羅尼真言であり、また、他受用三昧に住して大乗根のためにお説きになったのが大乗の妙典です。そして二乗凡 夫のために種々の方便言辞をもっ てお説きなされたのが、すなわち小乗の経典です。
 それゆえに釈尊や大日如来、阿弥陀如来といった如来は、それぞれが異なる如来さまといえばそうであり、そうではなく、同じほとけさまだといえば、そのようでもあり、仮立とみれば仮立、実仏とみれば実仏でもあるわけです。
 大日如来や阿弥陀如来は、応身(おうじん)如来のようにこの世に顕われる仏ではありませんから、したがって、生国も成道の年月日 などはありません。

 また、自性法界宮にしても演繹(えんえき・意味を推し広めて説くこと)してこれを論ずれば、尽十方(じんじっぽう)世界、尽十方虚空がことごとく自性法界宮であり、これを帰納(きのう・個々 の具体的な事実から一般的な命題 を導きだすこと)して論ずるとき は、釈尊そのもの自体が自性法界 宮であり、これを「密厳浄土(み つごんじょうど)」といいます。

 しかして、実は「われわれ各自」も一個の自性法界宮である「密厳浄土」の真ん中において行住坐臥 (ぎょうじゅうざが)しているわけです。
 さりながら、われら凡夫の法界宮にまします大日如来は、理具の大日のみであって、釈尊のごとき加持(かじ)顕得の大日法身ではありません。
 したがって、われわれみんな、すべての人間が大日如来の六大法身を具有しているからといって、であるならば釈尊も己れも本質的 に同じではないか、己れと釈尊と どれほどの差異があるのか、まして真言宗は即身成仏、証大覚の宗 門であって、他宗の及ぶところではない、などと自惚れて、ゆめゆ め夜郎自大(やろうじだい・世間 知らずで、せまい仲間うちで威張 ること)にならないことです。

 さて、質問者が何の宗派に属しておられるか知りませんが、質問の趣意が真言宗の教義に関するところから、仮に貴方を真言宗の信者としておくことにします。
 たとえ何宗の信者であろうとも、「仏法」は「実践修行」ということが一番の肝要ですから、ただ教義を見たり聞いたりするばかりでなく、できるだけ加持顕得の方向に心を転ずるのが、仏法信者の本分というものです。

 なかんずく真言宗の教理は深遠高尚ですから、なかなか一朝夕(いっちょうせき)に語り尽くせるものではありませんので、まずはこんなことで回答とさせていただきます。

 観音菩薩みずから
    菩薩身の不滅を示された話
                    「日本霊異記」より
 聖武天皇の御世、和泉の国珍努(ちぬ)の上の山寺に、聖観自在菩薩の木像があって、近在の村人があがめ尊んで供養していた。
 あるとき失火によって、その仏殿が焼失してしまった。
 けれどもどうしたわけか、菩薩 の木像は、誰の手を借りたわけでもなく、難を避けて、焼け落ちた仏殿から二丈(約六メートル)ばかり離れた場所で、うつぶせとなって、すこしの損傷がなかったという。
 誠に知る、三宝の非色非心、目に見えずといえども威力なきあらぬことを。
 「実ニコレヲ思フニ、菩薩ハ色ニモ現ゼズ、心ニモ離レ、目ニモ見エズ、香ニモ聞コヘタマ ハズトイヘドモ、衆生ニ信ヲ発セシムガ為ニ霊験ヲ施シタマフコト、カクノ如クゾイマシケル」

 三宝に帰信し
   衆僧を欽仰して現報を得る縁
                    「日本霊異記」より
 神亀四年九月、聖武天皇が群臣をしたがえて、大和の国添上(そうのがみ)のとある山村一帯において狩猟を催されたときのことである。
 一頭の鹿が勢子(せこ)の囲みから逃れて、納見(ほそみ)の里にある一軒の農家に走り込んだ。
 家の人たちは、天皇の御猟のことなど少しも知らなかったから、良き獲物ござんなれとばかりに、その鹿を殺してみんなで食べた。
 さっそくにそのことがお上に達し、ただちに役人が派せられて、鹿に舌鼓を打った全員捕縛される仕儀となった。
 思いもかけないこの災難に遭った男女は併せて十余人、頼みすがりつくところも、あてもなく、身体をふるわせ、身の不運を嘆くばかりであった。
 このうえは、ほとけさまのお力以外に、だれがこの大きなわざわいから救うことができようと、ひたすらに思ったのが大安寺の仏像であった。

 大安寺の丈六(じょうろく)の仏像は、人の願いをよくお聞き入れになるとの評判であり、また大安寺は、これから皆が向かう役所の途中、奈良右京六条三坊にあった。
 そこで彼らは、役人に連行される直前に、使いを大安寺へやって「私たちはこれより縄を打たれて役所へ引っ立てられることになりますので、お寺の南の門を開けて佛像を拝めるようにしておいてください。そして私どもが役所へ到着する頃合いに、鐘を撞いてくださいますように」と頼んだ。
 大安寺はその願いを聞き入れた。

 衆僧は門を開いて経を転じ、彼らが授刀寮(じゅとうりょう・宮中護衛の詰め所)へ収監される頃 合いを見計らって鐘を鳴らした。
 それから幾日も経ぬある日、めでたく皇室において皇子がご誕生され、朝廷ではそれを寿(ことほ)ぎ、天下に大赦(たいしゃ)がおこなわれた。
 獄舎に繋がれていた人々も刑罰をまぬかれたばかりか、かえって官から賞与を賜り、歓喜もひとしおであったという。
 誠に知る、丈六仏の威光、誦経 (ずきょう)の功徳(くどく)なることを。