村の小童が作った仏像を壊した愚かな男の話

極楽の居住性
寅さん  諸悪莫作、衆善奉行(しょあくまくさ、しゅぜんぶぎょう)。
 これは、近頃やっとこさ憶えて自分のものにした言葉なので、あえて知ったかぶりして使わせてもらいましたが、この言葉の意味は、悪いことをなすなかれ、善行につとめよ、ということだと思いますが、どうです?
ご隠居  うん、それで合っている。
寅さん  そこでひとつ、ご隠居に伺いますが、生きているあいだ、諸悪莫作、衆善奉行に心掛ければ、かならず極楽へ行くことができると仏教はしきりに極楽浄土を慫慂(しょうよう)し、推奨してやみませんが、ほんとうに極楽はそれほど素晴らしいところなんでしょうか?
 ふだんの暮らしのなかで、私たちが「ごくらく」を感じるのは、一日の仕事を終えて我が家へ帰り、温かいお風呂につかって、手足を伸ばすとき、思わずつい「ああ、ごくらく、極楽、・・」と、口をついて出かかることがあります。あの感覚というのが、最近の多くの人々が心に描いている「極楽」というもののイメージではないかと思いますが、仏教にいう極楽というところは、はたして、お湯の中に身を委(ゆだ)ねたような、そんな気持ちの善さが、変わることなく、いつまでも続くところなんでしょうか?
 下世話(げせわ)にも「楽あれば苦あり」というように、「安楽の極限」が「極楽」であるとすれば、その安楽も極まってしまえば、やがては苦につながりかねない、という気がしますが、いかがでしょう?
ご隠居  仏教において説くところの楽には、世間でいう「楽」と、出世間(しゅっせけん・仏道)でいう「楽」の二種がある。
 寅さんが言う、いわゆる、楽、極まって、苦を生ずる、というのは、それは世間でいう楽のことだな。
 この楽は、すなわち五欲(眼・耳・鼻・舌の欲、および心に愛憎があるために生じる欲。または、色欲、声欲、香欲、味欲、触欲)の楽であって、真の意味における楽ではない。
 つまり、この五欲の楽は形而下(けいじか・物質的かたちをともなう)の楽であって、それらの楽には限りがあるというわけだ。
 一方、真の楽なるものは形而上(けいじじょう・かたちを超越した精神的なもの)の楽であるから、それは無限の快楽(けらく)であるとされている。
 ちなみに観音院の毎日の法要で上がっている理趣経(りしゅきゅう)の経題は、くわしくは「大楽金剛不空真実三摩耶経」といわれる。
 このように、出世間(しゅつせけん)における真の楽に対して、世間でいうところの楽は有限であるがゆえに、変質し、無常であり移ろい、楽極まれば苦となり、苦も極まれば楽となる。
 したがって、苦は楽の因(いん)となり、楽は苦の因である、と言われる所以(ゆえん)なわけだ。
 そしてまた、この苦と楽は、善と悪とが、あざなえる(縒る・よること)縄のごとく、ないまぜになって連動し、因果応報(おうほう)を繰り返す。
 仏教はこれを六道(ろくどう・善悪の業によっておもむくとされた迷界)の因果(いんが)という。
 六道を折半(せっぱん)すれば三善道と三悪道に分類される。
極楽は仏の方便
ご隠居  さいわいにして三善道に生じることができれば、それを楽果といい、三悪道に堕すれば苦果という。しかしながら、天上界に生じて楽果を得たとしても、それで安心していてはならない。
 果報が尽きてしまえば、あるいは無間(むけん)地獄に堕(お)ちるかもしれないからだ。
 つまり楽と苦は表裏一体のものであり、それは有限の楽にすぎないからだという。
 ひるがえって仏教の説く、いわゆる極楽なるものは、絶対無限の楽であるとする。この楽はどこまでも無限であるから、楽極まって苦を生じることはあり得ないし、また絶対なる楽であるから、そもそも苦楽という二面性を根源的に有しない。
 このように苦楽の二境界を超脱(ちょうだつ)したものを、法身(ほっしん)無相(むそう)の如来、というそうだ。
 われわれ人間は苦しみを味わうよりも、なるべくならば楽でありたいとねがっている。
 そこで仏は、私たちに分かりやすいように、世間に通用している「楽」というものの観念(かんねん)を例に、それよりも何百倍も安楽な所・・、極楽というパラダイスがあるぞ、とお説きになったわけだ。
 お釈迦さま在世の時代は文明も発達せず、生きることが苦しく辛く、さまざま劣悪な社会や自然の状況があり、それらは近代まであったし、現代でもまだ克服されていないものもある。
 この世の苦しく醜い社会のありさまの対極に描かれた理想としての極楽の様相、また、目の前の苦から解放されるために観想し、心の安定を得るための極楽浄土のようすも説かれた。
 たとえ有限の楽であるにせよ、はたまた、楽は苦の因(もと)であるにせよ、貪欲(どんよく・とんよく)に楽を希求してやまないわれわれ人間は、この世の楽とは比べものにならないという、その極楽世界をめざし、無事行き着くことを請い願って、一生懸命、善行をこころざす---。
 それがまた、とりもなおさず、人間社会の向上や改善、秩序維持にもつながるわけで、極楽は、すなわち、仏の方便(ほうべん)である、とされる。
寅さん  へえ、お釈迦さまは、私たち人間の心の機微につけいって、菩提(ぼだい)涅槃の彼岸へわれわれをお導きになる、極楽はその手段というわけですか。
寅さん  もう一点だけ、蛇足(だそく)は承知ながらお聞きしますが、その極楽というのは、どのあたりにあると考えればよろしいのでしょうか。
ご隠居  観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)に「是心作仏 是心是仏(このこころさぶつ、このこころぜぶつ)」とあるように、われわれ衆生が仏をこころざして修行するときは、尽十方世界すべて浄土であるとされている。
 したがって、いまさら極楽の所在をあらためて捜し求めるまでのこともあるまい。
 反対に私たち衆生の身口意(しんくい)が悪をなせば、尽地尽界のことごとく穢土(えど)、すなわち地獄を形成するとして、「極楽も地獄も、己のが身にありて心こそなれ、鬼や仏に」とか、また「極楽も地獄も、我れにあるなれば、悪念起こるこころ制せよ」などと、自戒まじりに昔の人が歌っているように、極楽浄土をことさら遠方に所在を求めて探すよりも、まず、私たちの心の在り方を見つめ、日々の生活の中で暖かい言動に努めることのほうが大切ではなかろうか。
 法主さんがご法話で、日常生活の中で十善戒を守るようにご一緒に努力してまいりましょう、まずは、ご自分の心の中に一寺を建立し、自室を本堂とし、み仏さまを身近に感じて暮らす、と言われている。世の中に聖(ひじり)と言われる人々を送り出すために僧侶養成講座を開かれている。
抜苦与楽(ばっくよらく)
寅さん  世間には仏の存在を否定し、宗教を否定し、地獄極楽などあたまから信じようとしないタイプの人がずいぶんといるようですが・・。
ご隠居  そういう人は、ほんとうの自分というものを内側から見たことがなく、また見ようともしない無反省な人かもしれぬ。
 仏教上より宗教の意義を解釈すれば、宗は尊なり旨(し・志し)なり、とされている。
 この世でいちばん貴くて大切なものは何であるか、と考えた場合それは最愛の家族であり、仕事であり、あるいは財産であったりと、人によって、いろいろ異なるだろうが、しかしよく考えてみると、自己本具の「一心」ほど尊貴なものはないはずである。
 ゆえに三界唯一心 心外無別法(さんがいゆいいっしん、しんげむべつほう)であるとする。
 この全世界は唯一こころ在るのみ。心をおいてほかに何一つ存在しない。心外の万法—-、心以外のあらゆるものは、たとえどのようなものであろうとも、それは心以上のものではあり得ない。
 よって仏法は心をもって宗(しゅう・おおもと)とし、その宗義を敷衍(ふえん・推しひろめる)したものが仏教である、とする。
 したがって、仏教の思想がいかに広大深遠であるとしても、つづまるところ、人間の心の救済をその思想の中心におく宗教であることを、われわれはよく理解しなければならない、というわけだ。
 このように仏法の教えの基本は大まかにいえば、人々に多くの苦をもたらす心の迷いを除くことにあり、そこで大覚世尊は一切衆生の受苦を見るにしのびず、抜苦与楽の法門をお開きになった。
 仏教が抜苦与楽の法門であるかぎり、仏教がわれわれ人間社会にとってどれほど必要不可欠な宗教であるかは自明のことである。
 仏教はわれわれ衆生の一切の苦を除き、究極の安楽、一心の安心を得さしめるためにあるわけであるが、残念なことに、このような仏教の有用性、必要性を理解するものはほんの一握りの層に限られており、その他の大部分は教養的で、仏法の教えに無関心な人々である、といってよいであろう。
 そういった人々に対して、仏法がいかに人生に必要なものであるかを知らしめられるか—-。
 釈尊はこのことに関していろいろお考えになったようで、法華経で次のように述べておられる。
「常に自ら、この念を作(な)す(どうすれば教えに無頓着な人々を救うことができるだろうか)。何をもってか衆生をして無上道に入ることを得て、速やかに仏心を成就(じょうじゅ)せしむ」と。
寅さん  お釈迦さまは、いつも私たち衆生のことを心配し、救いの手を差し伸べてくださっているわけですね。
ご隠居  法身仏(ほっしんぶつ)である大日如来が宇宙そのものであるとするならば、この世に生をお享(う)けになった釈迦如来は、いつも六道の中に去来して、機に応じ、時や所にしたがって法を説かれ、人々を救うために現じられる。だから釈迦如来を応身(おうじん)仏と申しあげる。
村の小童が作った仏像を
壊した愚かな男の話
「日本霊異記」より
 光仁天皇(桓武天皇の父・七七〇ー七八一在位)の御代、紀伊の国海草の郡のとある村に一人の男が住んでいた。男は生まれつき信仰心などまるで持たない、きわめて粗野な人間であった。
 さて、この男が毎日仕事で行き帰りする通り道に、才坂と呼ぶ山道がある。そして、その才坂のふもとの村落に、ちょうど可愛い盛りの小童が住んでいた。
 感心に小童は、だれに言いつけられたわけでもなく、山に入り、薪(たきぎ)拾いをして、家事を手伝ったり、そうでない時は才坂の山道をわがものがおにひとりで遊んでいた。
 あるとき小童は、山で手頃の木切れを見つけてくると、何を思ったか、せっせとその木を彫り刻んで仏像をつくり、ついで、その辺の石ころを拾い集めて丹念に積み上げ、「塔」らしき形のものをこしらえた。良い出来ばえに満足した小童は、「石ころの塔」をお寺に見立て、木彫りの仏像をその中に安置して、それを相手に日がな一日遊び戯れていた。
 そんなある日、才坂を通りかかった件(くだん)の男が、無心に遊ぶ小童の姿を目撃する。男は小童のそばに駆け寄ると毒づいた。
「やい、わっぱ。汝(われ)、そんな愚にもつかぬことをしていて何がおもしろい? 阿呆め」
と、乱暴に斧でもって仏像と石の塔を叩き壊してしまった。
 こうして男は肩を怒らして去っていったが、行くこと遠からず、すると、身を投げ出すようにして地に倒れ、口と鼻から血を流し、眼をむいて、あえなく急死してしまったのであった。
 いやしくも仏のかたちをしたものを、どうして尊び敬おうとしないのか。
 法華経方便品(ほうべんぼん)の偈文(げもん)にもいう。
「もし、童子たわむれに木および筆、あるいは指の爪先でもって、仏の像を画きあげたとしても、それらは、すべて真の仏道を修得することである。
 また、一つの手を挙げ、少しく頭を低(た)れ、これをもって仏像を供養すれば(たとえ、それが合掌の体を成していなかろうとも無上道(たぐいない仏道)を成ぜむ」と。
 このように児戯(じぎ)にひとしい供養であるとしても、邪心無く行なうならば、仏道成就(じょうじゅ)の域に達するのである。

「まことの道」
 真言(まこと)の道は遠からず、
 わが足もとを始めとし、わが目の前にあるものを、わが心に霧をかけ、思い悩んで見失う。
 それ幸いは遙(はる)かにあらず、心中にして即(すなわ)ち近し、身を捨てて何れに求める、あわれなるかな迷えるものよ、ながき眠りの目を覚まし、まことの道を歩み出せ。
 光も暗(やみ)も心から、身をつつしみて十善の教え奉じ 歩み行く、この姿こそ幸いなり。
 われら 讃えん天地(あめつち)の、まことは法(のり)のみおやなり。
*観音院常用教典 「まことの道」 十二ページをご参照ください

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