法主さまの考える安全値

観音院を建設する際に、設計図の柱の太さを四十センチ角であったものを片端から直径百センチにされました。

 何故と聞く設計士に四十×四十は千六百、百×百は一万、単純に六倍の強度があると、観音院は法主さんが入竺されて、日本風の屋根の雅なものから、現在のチベット風の丈夫が一番、百年建築にされました。

 エレベーターは付けない、メンテナンスを必用とし、何年か毎に箱やワイヤーロープ、モーターの点検が必用、それは寺の性質上必用無いと言うものでした。

 建築して今年七月で三十年ですが事情を聞かないと昨年くらいに立てた感じで、ヒビ割れ一つありません。

 何とも頑丈な建物です。観音院の建物の中心には船舶の竜骨のような仕掛けもあります。厚さ六十センチ高さ八十センチが東西に通してあります。

 この法主さんの考えは「無駄な事」とか「日本風にすれば安価になる」と随分と批判がありました。

 基礎があまりの大工事で十階建てでも建てるのかと批判されました。

 本当に現在の基礎で十階建のビルが立つそうです。

 とても築三十年の家には見えません。ヒビ割れがありません。

 観音院の特徴は取り囲む道路、室内にはモニターカメラが付けてあり、一人で管理できるようにしてあります。

 観音院全体は受付で管理できます。狭いようで十所帯が住めるようになっています。台所が四ヶ所、トイレも五ケ所あります。法主さんの考えは普通に理解できないことが多く、理解しようとすると混乱します。お風呂は三ヶ所にあります。

 常備されているビニールシートの五十枚は用途が分かりません。何処かの家の屋根が痛んだ時に貸して上げるつもりだと推察されます。各部屋に備えつけられているバールは扉が開かない場合に使えと言われてます。

 ところどころに有るガスマスクは万一火事になった時に使えと言うことかもしれません。

 部屋のあちこちにボンペットいう室温が上がると自動で消火する設備が三百本は付けてあり、小火は起きても大火にはならない設備もしてあります。

 原則「火は出さない」ことが大切だと考えています。

 三一一以来、平凡社の日本地図を手元に置くようになられました。

 四月七日晩にも大きな余震がありました。三一一が地震・津波・原発事故で福島原発の三十キロ範囲の避難、原発事故では農業、漁業にも大きな被害が引き続き、終息の目途が立っていないような状態です。

 今般の災害で二万七千人が亡くなられました。行方不明者が半分を超えています。一人の死亡者に一つずつの悲しみがあります。悲しみに軽重はありません。原爆で私も親族を失いました。

 ですから自分の事のように悲しさが感じられます。

 原発事故の避難者は複雑です。家があるのに帰れない。空き巣の心配やら、住まない事による劣化、原発が事故を起こす都度、周辺住民に避難が勧告されることは堪え難い事です。今後の原発の設置は微妙となりましょう。

 三月四月の運命概観で天変地異に注意するように書きましたが偶然のなせる事で、人や国家の災難を予知する能力はありません。日本の地勢は常に天変地異に注意しなくてはなりません。

 台風の通り道であり、プレートの先に乗っかっている日本列島は日々動いていますし、動こうとしても動けない台座のような地下が解放されると、今般のような大地震や津波に襲われるようになっているのです。

 建物や橋梁、堤防も全て経験値の最大のものに、やや上乗せしたものです。

 今般は史上最大のマグニチュード九と言う地震が襲って来たので海岸が七十センチも沈んだり、四メートルも海岸線が沖に出ると言うようなことに大地が動きました。

 白砂青松に恵まれ、温泉も沢山あり、風光美が豊かな日本は、建築基準法とか色々な基準は過去の経験値を基に定められています。丈夫な物を作るには法律で定める倍か三倍にすれば災害は減ると思います。復興にあたり、費用は倍くらい必用と思いますが、基礎を太く大きく造り高さを従来の倍以上にすれば、後は災難と諦めましょう。

 原発は今後も造られると思いますが、原発敷地に隣接して社宅が設けられるほど安全無比の安全値で無いと造られないように基準を高くして下さい。莫大な補償金を払うより電力会社の経営も安定するでしょう。

 それが出来なければ電力に頼る文化を捨てるべきです。危険な物を日本の中に造るのは大反対です。

 水の怖さは誰でも知っています。どのような頑丈な構築物も流れる水の力で切断することが可能です。一メートル×一メートルの×一メートルの水の重さは一トン有ります。十メートルの高さの水は幅十メートルで連続して千トンの力で押し寄せます。大きな遠洋漁業船を陸地に上げることは何でも有りません。自動車をビルの上に上げることくらい何でもありません。

 岩手沖幅二百キロ東北海岸添いに長さ五百キロで巨大地震の余震で日本は震えています。

 私は世界中を旅行して見ましたが、移住を考えた国は有りません。日本にどうしても帰りたくなります。

 日本人に取って、日本は本当に住み易い良い国です。どうすれば日本で暮らして行けるか、実は地震後、部屋を点検し、家具の固定を点検し、物凄い量の塵を始末しました。

 部屋がとても奇麗になりました。体重が三キロ減るくらいの運動になりました。

 住職と法主が協力して、止め具や家具の配置換えをしました。

 兄弟が仲良く分担して作業をする事は楽しい時間になりました。

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