行き過ぎもあるが概して素晴らしい

葬儀を「寺葬」で執行する場合は、ご本尊さまの御前、内陣にお棺を置き、左右生花一対が、観音院の決まりです。
 普通のお寺では内陣にお棺を入れることをしません。死者を忌む考えが有るようです。
 寺葬は外陣に葬祭業者が祭壇を設置して執行します。

▼内陣[ないじん]僧侶が礼拝する場所。外陣[げじん]信徒さんが座られる場所。

 法主さんは、亡き人を不浄とは定義しておられません。尼僧すら不浄と考えられていた時代もあるのです。聖天さんなどは生理中には参詣してはならないと言い伝えられた時代もあります。どんな罰か知りませんが罰が当たると言い伝えられていたそうで、法主さんの否定されるところです。
 お棺の上に刀を置く風習がありますが、死者の祟(たた)りを恐れてのことです。風習まで否定はしませんが、おかしいこともあるものです。
 法主さんは来世の存在、輪廻転生をを強く信じて疑われません。その上で葬儀を執行されています。死者の霊魂は、速やかに来世に生まれ来ることと、十善戒を守って善き人として、世のため、人のために尽くされることを期待して引導を渡しておられます。
 中陰[ちゅういん・中有=ちゅううとも言う]思想も否定されます。閻魔(えんま・古代インドの神話で、地獄の王、地獄に堕ちる人間の生前の善悪を審判、懲罰する地獄の主神)さんの存在も否定されます。速やかに現世に生まれ変わることを期待して、葬儀を執行されています。
 法主さんの教えに従えば、中有の期間は一念の時間で、七日から不定、あるいは四十九日(七日七日)なんて、とんでもないことになります。七日毎の仏事も必要無いような葬儀を望んでおられます。

 西方極楽浄土も地獄も、現世に有ると言われます。生きとし生けるものは現世で終わり、また現世に生まれ来ると考えておられます。
 来世の存在を信じない人、現世に生まれ来ることを信じない人に、来世は無いと言われます。
 極楽に女性はいません、春夏秋冬も時間の概念も無く、欲望は全て満たされていて存在しません、刺激の一切が存在しないと、説かれてきました。
 このような極楽は現代の人が、往って生れたいと願う世界ではなさそうです。極楽を丁寧に説明すると、そこへ往きたい人がいないのが現実です。
 親族を亡くして漠然と善いところに往生された、では無責任です。

 私は、死に掛けてあの世を見て来ました、紛れも無く現世の延長でした。あの世は、お花畑では無かった、私の霊魂は、観音院や、気に掛かる信徒さん達の所を忙しく移動し、幸せを祈念していました。
 多くの信徒さんと来世のことを話し合い、来世のことに及ぶと、再度この世に生まれ来たいと願われます。

■葬祭業者の飾りつけには、日々進歩があることです。宗旨宗派を問わず、マニュアルにしたがって飾り付けることが可能になっています。
 葬祭ディレクターの誕生は、とても良いことでした。

■葬祭に当たり業者にお願いしたいことは、お香の問題です。
 安物のお香は、僧侶の喉を、声帯を痛めます。出来れば伽羅[きゃら]を用意して頂きたいと切実にお願いします。伽羅は純金より高価ですが、至誠の供養となり、タバコの臭いを消すくらいですから、死臭も除きます。

 多くの僧侶は高価だからでしょうか日常に伽羅を使用されません。だから粗悪な香に慣れておられます。
 私は何をさておいても伽羅を使用していますので、安物のお香には耐えられません。極端な場合、吸い込んだ途端に発声出来なくなることもあります。

 お香の問題を除けば、多くの葬祭業者は良く努力されていて、その努力は僧侶の工夫を上回ります。
 観音院は葬祭業者と良き関係を築きながら存在したいと願います。
 仏前に良きお香、伽羅を置いて下さるようお願いします。