跡継ぎの無い寺院は珍しくないこのごろ

過疎地のお寺が立ち行かなくなって、廃寺になることは珍しくない。子供さんがいても、檀徒が都会に出てしまった後は、寺も都会に出て行くべきでした。ところが、檀徒は一つの都会ではなくて、あちこちに分散している。
 寺院の移転先が新興団地などの場合は、檀家が自然増ということもある。
 最近では菩提寺の所在地も親の宗派も知らない子供は少なくありません。それはそれで、仕方の無いことです。親御さんが宗教と関わらずとも生きて行けたのですから、取り合えずは葬儀の場合は葬儀社に相談すれば、適当にお寺さんを紹介してもらえます。
 最近は、死後にお骨を預けた寺院さんから、寄付の要請があったりすると子供に迷惑が掛かるから、さっぱりと自然葬で散骨すると言われる方もまま有ります。インターネットのバーチャル(仮想)霊園も結構繁盛しています。
 日本人の多くは相当に宗教に関しては無気質になっておられますが、それでも親が死なれた際に「葬儀をしない」と言われますと奇異な目で見られることもあります。世間への体裁を繕うために盛大な葬儀をする人もあります。
 宗教を大切にしておられる人は漠然と良い家庭を想像させるものがあります。無神論者でも死後までは差配できませんので、家族が僧侶を招いて仏式で葬儀を営まれる場合があります。
 戒名や法名は不用との遺言で、頼まれて葬儀を受けたことがありますが、奥さんが後日に矢張り良い戒名を欲しいとのことで、観音院は戒名料は特別に頂いていませんので、故人と奥さんの生前戒名を付けて上げたことがあります。とても喜ばれました。観音院は相当な無理でも聞いてさしあげます。
 ところで、少子高齢化問題意外にも葬儀に関しては少々困ったことが起きそうです。昭和二十二年頃に生まれた人は膨らんでいて学校も満員でした。
 人口の割合で寺院に後継者の僧侶を育成していれば何も問題は起きなかったのですが、寺の跡継ぎは、一ヶ寺に一名です。この膨らみが死を迎える頃には僧侶の絶対数が足りません。
 ですから、観音院ではその対応としても僧侶の養成をしています。団塊の世代は、それなりに苦労されましたが、お寺さんと付き合いが無いと、葬儀のお導師さんが足りません。
 お坊さんが居なくても葬儀は出来ます。故人が生前好きだった音楽を流して、弔辞ががあって、プロジェクトXの音楽でもお見送りは出来なくもありません。
 団塊の世代を支える年金の負担も若い人たちにとっては大変ですが、葬儀の際のお寺さんも、絶対数が足りない、少子化は寺院にとっても大変です。
 寺院の後継者も少なくなっているのです。実際に、宗門の大学生も少なくなりつつあります。人口のばらつきはいろいろな問題があります。
 葬儀の参列者も少子化の影響で少なくなります。葬祭関係者の需要も一時的に膨らみ、急激に減ります。小学校の廃校統合は進み、市町村の合併も進み、税収も減り、高齢者の福祉も大変な問題になるでしょう。人口の歪みは宗教のみならず、全ての仕事に歪みをもたらすと思います。
 神社仏閣は伝統産業によって支えられていますが、伝統産業に従事する人は激減しています。会社は生き残るほど伝統産業化しています。高速道路もお役所も、紛れも無く伝統産業です。
 期待出来るのは、後進国の発展と輸入です。葬祭の技術は、実は先進国から随分と取り入れられています。ところで宗教の輸出は大変に困難です。
 宮大工さんの技術や和服の技術などは、移転も困難です。お役所も輸出不可能です。日本では発達した橋梁やトンネル掘削技術も、後進国の経済発展が順調であれば移転できます。
 新幹線の優れた技術も、北京から上海くらいまでは問題は少ないでしょう。でも、アラブ地帯の砂塵と、五十度を超える地域まで新幹線を敷設できるほどに経済が大きくなるでしょうか。
 航空会社の統廃合も進みます。先進諸国の便益が、地球を覆うことは有り得ないと想像しています。現代は大変なエネルギーを消費しました。
 さて、観音院の僧侶養成については「相手の立場で考える」聖者のようなお人柄を期待して趣旨を説明しています。
 現在約三十名が勉強中ですが、得度費用も受講費用も全部観音院で負担ししていますが、良い人に恵まれて仏法の三宝の一つ僧法として大切にされるよう法主さんの期待通りの人格を磨かれているようです。

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