人には希望とか実現したい夢がありますね。法主さんには、これといった希望や夢は無いように思えます。
求められるものは生きる上での一次的生理的欲求だけのようです。簡単に感じるのは、空気と温度と着衣と食事、それも贅沢なものではありません。
必用以上の物品や住まいを求めておられません。人並みに美味しい食物は美味しいと言われますが、食道楽なんて傾向は全くありません。
今まで食べた物で何が一番美味しく感じられたかと聞くのは無意味です。
食事は礼拝の対象にしておられます、美味い不味いより、感謝の対象です。
全てのものを御仏さまからの恵みと受け取られていて不足は申されません。
とてもお洒落だと言われておられますが、これは周囲の人間や信徒さんの見立てによるもので、ご本人の格別の趣味嗜好によるものではありません。
お世話をする周囲の者達の好みがそのまま反映しています。そもそも毀誉褒貶の世界には住んでおられません。
責任という意識は持っておられません。普通の行動が、そのまま責任ある行動になっておられます。
比較することが苦手のようです。他寺の動向など気にしておられません。横並び意識が皆無です。
言動の一切が、用意されたものでは無くて、ありのままに何かを言われ、思いのまま行動されています。
優しさは、磨き上げられていますが、優しくしようと思われての言動では無くて、自然そのままで優しい人です。
悪意の起きない方です。叱られたり怒られることがありません。その日その日を大切に過ごされていて、済んだことは全部忘れられる。昨日の反省はなされません。昨日の反省は昨日の内に済ましておられます。
朝、目覚めると、生きていたことに感謝されます。行動の一切が僧侶で、私的部分は皆無だと思います。明日生きていることに自信をもっておられないので契約行為に馴染みません。
法的に無能力ではないかと思われていて、約束はされません。弱い存在で、何時生命が終わるか分からないと覚悟されて過ごしておられるようです。
ローンとか割賦で買い物される習慣は皆無です。面談の予約は受けられますが、予約に優先順位があって、良い報告よりは信徒さんの悲しみや辛いことを大切に受け止められています。
何をなさりたいのか想像不可能です。一に礼拝、二に瞑想、三に読書、何をなされているか詳しくは存じません。
メールに堪能で、多くの方々と交際があるようです。インターネットでよく検索されておられ、世の中のことをとても良くご存知です。
清潔については何方もなかなか真似ができません。外出から帰られると先ず手洗い、イソジンを使用してウガイ、洗面は習慣となっておられます。
ポケットには除菌アルコールティッシュをお持ちで、移動時には鞄の中にイソジンは欠かされません。
爪は短く切られ、頭は毎日剃られます。縦に置く物は垂直に縦に、横に置く物は水平に、大変に敏感な平衡感覚を持っておられます。
生活についてご要望は皆無で、皆さんで決めて欲しいと望まれます。観音院の運営についても同様です。
順法精神を大切にして、触法や脱税を嫌悪しておられます。
もう十年か二十年、休まれたことがありません。夜は早く寝ることに留意されておられます。朝は何時に起きられるか誰も存じません。
しばしば、信徒さんに依頼されたご供養や祈願をなされていて、善い結果があるようです。
不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、
不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、
不瞋恚、不邪見、
が法主さんの全てです。
「十善、是れ菩薩の道場也」と言う慈雲尊者の言葉を大切にしておられます。
観音院には常勤の監事が三名いて、法主さんについての収支の一切を管理しています。法主さんは、寺から受け取られた金銭は寺から頂いた、御仏さまから頂いた、信徒さんの浄財から頂いたという意識が強くあります。
出張された時は一日三千円の手当が旅費規程で定められていますが、請求されたことがありません。
のみならず、台所費用なども負担されていて、電話代やら車両の燃料費なども負担され、自分のお金という発想もありません。旅費規程で法主さんはグリーン車と決められています。一日も休日が有りませんので、移動が楽にしてあるのです。公私の区別を峻別と言うより、私的行為は、睡眠や食事くらいですが、公的費用を負担されることが多いようです。
法主さんはご自分を観音院の什器備品のように考えて、皆さんが望まれるがままに行動されます。