仏具はみ仏さまの日常生活用品が伝わったものです

私たち僧侶の着用する衣服は、本来は不用になった布切れを布施
して頂いたり拾ったりして、洗って、縫い合わせて大きな四角形が
大中小の三枚が作られて、三衣(さんえ・さんね)と呼ばれていま
した。
 冬は寒く、夏は暑いのが当然の僧侶の生活だったのです。仏教は
現在のインドの北部を基盤として発達して来たので、三衣でも間に
合ったのかもしれません。
 襤褸(ぼろ)切れ布を集めて縫えば、縫い目の筋が出来ます。
現在でも五条袈裟(ごじょうけさ)とか七条(しちじょう)と、
寄せ集めの布であったころの形を現在に遺しています。
 現在では、大きな布をわざわざ小さく切り、それを縫い合わせて
様式を整えて、法衣を拵えています。

 昔は糞掃衣(ふんぞうえ)と言いまして、糞塵の中に捨てられた
弊衣を洗って縫い合わせた粗末な僧衣のことで、正法眼蔵聞記には
「衣服には糞掃衣あり、食に常乞食(じょうこつじき)あり」と記
されてあります。納衣(のうえ)は人が捨ててかえりみない布帛を
縫い合わせて作った法衣でした。
 法衣は美しい絹や金襴緞子などで作られるようになり、観音院に
も皆さまにご寄付いただいて一枚一千万円もするような立派なもの
が大切にしまってあります。
 金襴の七条も冬春夏と三通り十枚ずつ揃えてあります。

 観音院で日常使用されるものは黒木綿の法衣に木綿の袈裟です。
特別な法要には、これらの立派な袈裟や絹の紫衣が使用されます。

 ところで法主さんは金襴の衣を使われることは絶対にありません。
黄色の衣に黄色の袈裟で、材質は化繊か、何かです。糞掃衣の精神
が沁みこんでおられるのです。
 多くの寺の慶弔などで依頼されても、金襴の僧衣を必用とされる
法要法会には欠席されます。
 法主さんの黄衣は僧侶の死に装束なのです。もう三十年もご自分
用の法衣を求められていません。

「数珠」もいろいろと解説があって、親玉がどうとか、弟子玉がど
うとか、いろいろな説がありますが、法主さんにとっては、単純に
算盤代わりです。昨今の小型の計算機よりは使いやすく、確実に一
つずつ数えられ、気が散らない、、、良く出来ていると言われます。

 多くのお供え物の入れ物は真鍮製で、金メッキしたものもありま
す。放置すると緑青が出てきます。ピカピカに磨けば、金メッキが
剥げて真鍮の地色が出てきます。
 大切な法要に使用する純金製の仏具もあるそうですが、これは運
が悪いと相続税の対象になります。

 「鈴之僧正」は日常生活で腰に「鈴」を二個付けられていたこと
から付けられた尊称、あだ名なのです。すっかり定着して、一種の
ブランドみたいになっています。
 ふつう僧正(そうじょう)と言えば所属する宗団にお金を出して
もらうものです。放置すると権律師で、あとは年功序列とお金です
ね。時には勲章みたいに何かの格別の善行で位が上がることもあり
ます。
 僧侶の呼称にはいろいろあって、法印、法主、座主、前官、住職、
名誉住職、長老、院家(いんげ)、若院家、坊主、和尚、尊者、
マンション坊主などです。スキンヘッドは坊主とは関係有りません。
 僧都(そうず)と言うのもあります。昔は宮中から贈位されて
いたものです。

 一番下は権律師、法主さんは権律師が一番相応しいと言われてま
すが、鈴之僧正が響きが一番良いと、通称が正式名称になりました。

 「御守り」は、元来は「拝んだことを証明する証書」でした。
段々と小さくなって、現在のように持ち歩けるようにもなりました。
折り紙のように折り上げて、角が真ん中に出るものを「剣先守り」
と言います。
 観音院のお守りを使っていて下さるスポーツチームやタレントさ
んも増える傾向にあります。最近では、カード型守りが人気です。
御守りをフィルムに挟んで熱い温度のローラーでパウチするのです。

 今度はレーザー彫刻機が設置されましたので、船舶や飛行機など
に付けてもらうお守りも美麗なものができそうです。

 仏具の多くは樹脂成型したものに金箔が張ってあったりします。
知らない間に生産地が中国やベトナムに移っています。
 ずっと昔のその昔、電気の無いころは、灯明は松明か何か、それ
が菜種などの灯油に変わり、蝋燭が出来たのだと思います。
 最近では蝋燭の中に電池が入っていて、灯明のような形の電球が
チラチラと輝くようなものがありますが、これは火事にならないの
でお勧めです。
 仏壇の灯明や線香が落ちて火事になることがあります。

 仏具が古い様式のまま現代まで受け継がれるには理由があります。
多大な費用と労力を投入して、信仰の対象となる み仏さまを祀り、
供養する仏具を調度します、当然にその時代の最高の水準で立派な
物が調えられます。その時点で様式も切り取られ保存されるのです。
 宗教にはこのような傾向が強く見られます。余程大きな、例えば
ルネッサンスのような大きな画期的な文芸復興のような動きでもあ
れば、仏具の形式や様式も変化すると考えられますが、それは時と
してより昔に先祖帰りする傾向も無いとは言えません。

 建物は急激に変貌しつつあります。鉄筋コンクリートでは和風の
軒を長く出した様式は形式を保つにしては費用が掛かり過ぎます。
 観音院は火事にならないように、冷暖房が低廉である、頑丈などに
重点が置いてあります。
 電算室には温度を一定にするように、三階建てが一つのフロアに
感じられるような工夫がしてあります。
 書籍の置いてある場所、什物が保存してある場所の冷暖房は完全
を期してあります。火事などの際の避難が容易にしてあります。

 次に本堂を建てる場合は内陣を回り舞台にすることを考えて置く
ことが課題になっています。
 観音院の僧侶は、防火管理者であり食品衛生責任者であることを
求められます。
 その前がどうであったか、それからどうなる……このようなこと
がとても大切なのですが、とても難しいことです。

 祭祀(さいし)の様式も変化して止みません。変化することなく
固定化しているとしたら、皆さんは天台か真言宗、或いは宗旨宗派
に属さなかったかもしれないとお考えになれば、仏具の今後の変化
も受け入れ易いかもしれません。(観自在編集部)