仏壇仏具はみ仏さまの日常の生活空間です

み仏さまのまつり方、仏壇や仏具の様式など色々ありますが、それは自分の家と、お隣の家にいろいろと違いがあるようなものです。
 最近では、各家に、冷暖房・シャワレットから、パソコンに高速度大容量の回線・快適な衣服と個室や、地上波テレビ・運動用具・ゲーム機など、場合によっては、地面の上ではなくて、高層階にお住まいかも知れません。
 美味しい食べ物は、需給率四十パーセントくらい、この生活の変化には、み仏さまもついて行かれるのに大変なご苦労があると思います。
 昔、インドのアジャンタやエローラでは、ビルのような巨大な石を寺院のように屋根も柱も装飾も、み仏さまも本堂も、全部ノミでコンコンと彫り出しました。三百年くらい掛けてお寺を丸ごと彫り上げたのです。
 エローラのカイラーサナータ寺院は、幅四十二メートル、奥行き二十七メートルもあります。アジャンタの石窟内に描かれた壁画と、数多くの彫刻壁画は、紀元前二〇〇年ごろから後六五〇年ごろにかけて描かれたもので、ほとんどは釈迦(しゃか)の前世での行いを説いた仏教説話「ジャータカ」にもとづいたもので、仏教の中心思想とされる生きものへの慈しみの思いがあらわされています。迫真性、豊かで精妙な彩色で、インド美術の最高傑作です。
 最近の仏壇や仏画は、交響楽のように腹に響くような感じがありません。それが、過去の壮大な石窟寺院にあるのです。何時か、世情が落ち着いたら巡礼ツアーを組みたいものです。
 これらの大工事は、先ずは地面に巨大な広場を作り、そこに図面を書いて彫り下がった、それも祖父母から曾孫と代々家業として、最大は十五代にも受け継いで作業し竣工に至ったもので、その経済を支える国王の勢威と、作業を続ける者たちの信仰があったから、凄いと感嘆するわけです。損益を考えた節は何処にも見当たりません。
 此処には生活する人々とみ仏さまの交流可能な場所があったのです。
 現在なら、当然に最先端の技術が使用されると思います。蝋燭は発光ダイオードと光ケーブルに、観音院の仏龕は小さな物ですが五ギガの固定ディスクを内蔵していて、その内に映画一本くらいのデータを保存可能となります。この中で、その施主が不在なら、寺に通報したり、病気なら必要なところへ通報することも不可能ではありません。
 仏壇を生活の中心に出来なかったのは、多分仏壇屋さんの責任です。伝統産業にこだわったからでしょう。
 伝統産業の衰退には多くの原因がありますが、仏壇で、各家の冷暖房から通信、照明など、家の望ましい管理は、十分制御が可能なのです。
 テレビも電話も地上波も家計簿も冷蔵庫も管理出来ない仏壇で、どうして家の中心と言うことが出来ましょうか。
 様々な家電に、番地をふって、ランで結び、携帯や職場のパソコンで家を管理する技術は完成の域にあり、やらないのは仏壇屋さんの怠慢です。
 仏壇が無い家は、制御されていない家と言うことになれば、仏壇屋さんは一躍花形企業になるのですが、一家に最も大切な機能を持っていない現代の仏壇には発展性はありません。
 知識の融合と活用が新しい新興企業となることに気がついておられない、このような簡単な理屈が分からない、仏壇製造業の大手が、私の周囲で僅かな売り上げに努力しておられます。
 さりとて箱物家電業が仏壇を売り出すのは難しい、仏壇屋さんでは設定が難しい、人材が居ませんね。
 要は仏壇の容積に、何をどれだけ詰め込めるかと言う非常に単純なことで、それが仏教の興隆にもつながります。
 家の管理を集中するには仏壇くらい適しているものはありません。大量のデータを蓄積できエアーステーションを置いて、家の現在も過去も管理すれば真に実用欠くべからざる仏壇です。
 百年前なら、仏壇は、家の中で最も美しい文化の象徴と言えたでしょう。
 先日ね、岩塩の照明器具を求めて来て、内部に電球を入れると、柔らかで美しい常夜灯になりました。
 将来、万一塩が不足するような事態になったら、この常夜灯を舐めて当分は凌げると思います。
 仏壇に、家の管理や防犯を組み込むことは容易です。観音院で製作しても良いとも考えています。
 仏壇くらい単機能、単細胞な物で、かつ、場所を取り、存在を主張している物は、他に余りありません。
 仏壇で、英会話から百科事典、銀行取引まで全部可能です。

タイトルとURLをコピーしました