日本人の平均寿命は、女性が八十五歳、男性が七十八歳になり、
いずれも過去最高を更新したことが、厚労省がまとめた昨年の簡易
生命表で分かったとか。男女とも二年連続の上昇で、各国の最新デ
ータでは世界一。過去十年間で男性は二歳、女性は三歳ほど寿命が
延びたそうです。大変に結構なことで、医療の成果か国民の努力の
成果か、多分両方だと思いますが、反面、定年の問題とか、老後の
生活の問題、年金の給付の問題など、解決されていないことも沢山
あって、喜んでよいのか、良く分かりません。親を大切にし、老人
を敬うことも、大変に難しいとも思われます。(田川純照筆記)
口は災いの元になることが多い
文書も災いの元になることが多い
舌禍(ぜっか)、筆禍(ひっか)と言っても、ぼつぼつ意味も読みも
分からない人たち増えているようです。
何かを話して他に迷惑を掛けることを舌禍、文章を書いてご迷惑
を掛けることを筆禍と言います。
私も相当慎重に話したり書いたりしているのですが、三年に一度
くらいはご注意をいただきます。
何方(どなた)かの名誉を毀損(きそん)したり、訴えられたりに
至ったことが無いのは有り難いことです。
年寄りの冷や水とか老婆心とか、年をとっては口出ししないこと
がベターなのですが、立場が、(法話という)話すことと書くこと
で成立していますので、ご無礼がありました際などは、ご遠慮無く
お知らせ下さい。反省の材料に致します。
格別に申し上げたいことは、今回は「話したり書いたり」する
ことについての考え方、倫理と申しましょうか、そのようなこと
なので、特別に慎重になっています。
私(法主)はインターネットでは比較的知識を有していると評価
いただいていますが、年齢が七十歳ということも周知されていて、
若い人たちからは珍種に分類されているらしく、歓迎されることが
多いのは幸いです。
私と二回以上のメールの遣り取りをした人は十万人は超えると思
います。
一年に遣り取りするメールは膨大です。大変に便利な世の中にな
りました。
考えたら、大変な激務をやっていることになるかも知れません。
全く同じ内容なら何十通でも同報できますので例文の整理が大変な
作業です。
最近、指先の腹のほうがやや固く、「たこ」らしきものができま
した。ペンだこ と 筆だこ は何時の間にか無くなりました。時代
が変わると、たこの場所も異なります。
返信の文書は「十善戒」の範囲を外さないように、細心の注意を
払っています。
その上に、生涯勉学・勤勉、剛健・広毅(こうき)、団結・奮闘、
報恩・積善を旨として、み仏の加護を信じることで構成しています。
僧侶として取ってはならない立場は、医師、判事、弁護士などの
専門家に類似した判断などは厳しく避けています。
相手の方の深い心情を思い、同情は、返信の基盤です。だからと
言いましても保証人とか貸し金は不可能です。常識の範囲内、倫理
の範囲内を超えることは出来ません。
判断を超える相談は、知識が無いので申し訳無い、と書きます。
返信は、受信してから十五日以内を目標としていますが、ひと月
くらい遅れることも少なくありません。
願いでも、宝くじの一等が当たるようにとか、大金持ちになりた
いから拝んでくれというお話には、刻苦精励(こっくせいれい)と
良き人間関係と幸運が必用だと説きます。
パソコンの前に座って返信を待っておられるような方、一日三回
も長文で相談をして来られるような場合は、気の毒ですが、対応が
不可能です。
どのような場合でも独立自尊と和解を勧めます。将来の見通しも
無理です。利殖の話も相談に乗れません。
大切なことは、告白とか懺悔(さんげ)に類するものは、全て、
守秘義務の対象となります。死ぬとか死にたいという相談は返信の
対象になりません。自殺は「不殺生戒」に反する最大の行為であり、
止めるよう、としか返事のしようがありません。
人間の考えていることは、会話や手紙で表面に出てしまいます。
嘘を吐かぬことが基本的なことです。
真実であっても、暴露は余程慎重でなくてはなりません。真実で
あっても他人の名誉を傷つけることには問題があります。過去のこ
とは余程丁寧に記録されていない限り、間違いがある受け取り方や
解釈をしているかもしれません。
過ぎ去ったことは、言わない方が良いと思います。将来のことは
何時何時、突発的なことが有るかも知れません。
人と人との約束は守ることが非常に難しく大変なことでもあります。
■人々の平均寿命がどんどんと伸びています。65歳定年も現実に
即した制度とは思えません。年金制度も無理があると思います。
60歳定年も、無理なことだと思います。計算式に無理があります。
■不妄語、不綺語、不悪口、不両舌は、人の意思の表現について
守るべきことを上げたものです。
真実を表現することが、如何に難しいかと、考え込むと、生きて
行けませんが、大切な努力目標です。
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鈴の法話 2002-9月号-2
不妄語、不綺語、不悪口、不両舌
言葉や文章は 人間の本質的なものを表す
不妄語(ふもうご)、出鱈目を言わぬ
良き言葉は み仏と同じ力を持つ
言葉は、一言一言に、霊的な力をもっています。良い言葉を使い
続けることが出来る人は、み仏と同じ価値があります。
言霊(ことだま)という言葉がありますが、私たちの先祖は言霊の
幸(さき)わう国と言って、言葉の霊の霊妙な働きにより、幸福の
生ずる国という考え方ももっていました。
動物も意思を伝えるために言語をもっている、鯨が歌うという話
もありますが、人間は非常に精緻(せいち)な言葉をもち、言葉で
考えて、言葉や画像などで記憶し、社会全体が言葉なくしては成立
しません。
言葉をもっていることは、人間のしるしですから大切にしたいも
のです。
仏陀(ブッダ)も言葉で教えを説かれ、経典も言葉の集合体です。
言語を大切にして今日の私たちがあります。
言葉が過(す)ぎる。言ってはならないようなことまで言う。
度を越して強く言ったり、相手の感情を害することは、良くありま
せん。
言葉が尖(とが)る。言葉つきが険(けわ)しくなる。もの言い
がつっけんどんであることも避けたいものです。
言葉に甘(あま)える。他人の親切な言葉にすなおに従う。好意
ある申し出を甘受することも大切です。
言葉に針(はり)を含む。言葉に相手を傷つけようとする意図が
あると人に嫌われて孤独になります。
言葉はあなたの心をあらわします。良い言葉は良い未来に繋がり、
悪い言葉は悪い将来を招きがちです。
古いことは話さない、とかく人を傷つけ、自分を傷つけます。
明日を虹色に語ると知らずして人を欺くことになることもあります。
約束は人間だけが出来ることです。決して約束を違えてはなりま
せん。守れない約束は初めからしないことが大切です。商行為を
円滑にするものとして約束手形の有為性は十分に理解出来ますが、
不渡り手形などを出すと、大変な制裁を受けます。
何時も本当のことを話す人は、み仏さまのような人として尊敬
されます。
不綺語(ふきご)飾る言葉は使わない
実力以上に説明すると辛いことが
実力以上の能力を提示すると、辛いことが起きるのは当然です、
良くあることは経歴の詐称ですが、刑事処分を受けるような場合も
あります。
パソコンが扱えるという意味での能力は様々な意味があり、どの
機種のどのようなソフトが扱えるか、これは出来もしないことを
出来るように言って金銭の給付を受けると、詐欺のような詐欺でも
無いような微妙なところです。
借金を約束通り返済出来ないのは借り入れる際に嘘があったか、
将来の見通しが甘かったか、何れにしても債鬼に追われますので
地獄になります。
財力はしばしば飾られるもので、結果として破綻と言う地獄の
口が待っているものです。他人の綺語に釣られて利益を期待する
と自分が鬼にならなくてはなりません。
不悪口(ふあっく)は悪口言わず
不両舌(ふりょうぜつ)は二枚舌
他人の悪口を言う人は、自分の悪口も何処かで言っていると
考えてもよいでしょう。例え事実であっても、他人に言いふらす
ことは損な人です。
人の悪口を言ったり褒めたりすることは典型的な二枚舌です。
お喋りで自分でも気付かずに悪口を言い、二枚舌になっている
場合もあります。
困った時にお金を借りてとても感謝し、その後、約束通りに
返済出来ないで、厳しい取立てに会い、悪口を言う。
金銭の貸借は、とかくそのようなもので、たとえば「金融機関
は良い天気の時に傘を貸してくれ、雨が降ると傘を返せ」と言う
といいます。
不妄語、不綺語、不悪口、不両舌は、人間一人一人の問題とは
限りません。
経理の粉飾とか経営者の不正、本当とは思えないような一部の
人たちの言葉や文書、数字によって善意の人たちが多くの人たち
に迷惑を掛けること、不当な金銭を得たりする、十善戒の全般的
なことに反するような意思の伝達がなされて、一般市民が不幸に
巻き込まれてしまう複雑な悪しきことがなされます。
人に善行を勧めるだけでは、幸せは保証出来ないように複雑に
仕組まれています。
組織にも、十善戒に触れない運営が強く求められます。
組織に望まれる十善戒の精神
地に落ちつつある組織の構造
非常に有望と思われていたアメリカの大企業が粉飾決算の末に、
破綻し関与していた大手会計事務所までが深く関わっていたのは
遺憾を通り越して、唖然としています。
日本でも、大企業が次々と破綻して、不良債権の額は空前絶後
ですが、最近は、食品に含まれる輸入野菜の農薬やら、政治家の
醜聞など、、、企業や政治家の倫理は無くなり、清廉潔白な人は
珍しくなりました。
利益を得るために、横領・収賄・公金の流用など、、、
庶民は何を信じて良いか分からず、経営者や政治家に対する不信感
は払拭(ふっしょく)しようも無い様相です。
私は、些細な金額や多少の行儀の悪い人たち、ある意味では、
権力を有し、世の為に働いていたと信じていた組織や人たちが、
週刊誌などで書きたてられることを、悲しい風潮だと思っていま
したが、マスコミが鋭い切り口で書き立てることは、これは大切
な自浄作用かも知れないと考えるようになりました。彼らが不在
であれば、日本はもっと大変な国になっていたかも知れません。
財務諸表の公開や運営の公開など、情報開示と説明責任を綿密
に日常執行することは大切なことです。これらに絶対に辻褄あわせ
が有ってはならず、架空の利益を計上することも、根拠の無い将来
計画などがあってはなりません。公開ですと分析検討も可能です。
私たちは、政治家や経営者の良し悪しを分別する力も手段も機会
もありません。不祥事や不正、腐敗しつつある政治や経済、社会を
立て直すには、マスコミの鳴らす警鐘が救いになるかもしれません。
■不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、
不慳貪、不瞋恚、不邪見などは、人が犯し易い過ちを具体的に、
生きて行く上で十善戒をフィルターとして使うことを勧めます。
■一人一人が集まって国家があるのです。人一人一人の倫理観が
無くなると無法国家になります。
地位、身分、立場、職業を越えて、全ての人が倫理観を高めて
安心出来る国家が期待されます。