オリンピックはいまだ南アメリカで開かれたことは無いので、「多分リオだな」と法主さんは仰っていました。
これでリオデジャネイロに行く理由が出来たと喜んでおられます。
先般はカンボジアのアンコールワットに行ってくると—-、足が軽いですね。
広島空港からバンコクへの便は十月から廃止になりました。採算が取れないのだそうです。広島西飛行場の鹿児島便も廃止になるそうです。
日本の空港設置はよく考えて無いと法主さんは不満です。バンコク空港は途上国タイの国際空港ですが、世界一の規模を目指して整備中です。
アンコールワットは、広島からバンコクに行って、トランジットで数時間待って、また二時間くらい待って片道一日掛かりです。買い物はまだ一ドルが購買単位です。十万円を一ドル五百枚と五ドル百枚に交換してもらうと金持ちになった気分です。新札で六センチはあります。
カンボジアには、一六三二年、日本人が出かけていて「森本右近大夫」と加藤清正の家臣だった父親の供養のために四体の仏像を奉納している。
寛永九年は御朱印貿易はまだ盛んで、波濤万里超えて、南シナ海を超え、メコン川からトレンサップ湖経由でからシェムリアップからアンコールワットの大寺院を見た時は、祇園精舎と信じて疑わなかっただろう。
その後も何人かここを訪れた日本人もいるようだ。鎖国令が出される前、日本人の武士や商人は優れた航海術を駆使して活躍していたことが分かる。
一八八七年、カンボジアが仏領インドシナとされ、一九〇七年にシャムからアンコール付近の領土を奪回すると、フランス極東学院が寺院の保存修復を行った。一九七二年、カンボジア内戦によって極東学院はカンボジアを離れ、寺院はクメール・ルージュによって破壊された。この時に多くの奉納仏は首を撥ねられ砕かれ、あるいは土に埋められ、敷石にされたという。
一九七九年にクメール・ルージュが政権を追われると、彼らはこの地に落ち延びて来た。アンコール・ワットは純粋に宗教施設だが、その造りは城郭と言ってよく、陣を置くには最適だったようだ。カンボジアにとって最大の文化遺産であるから、攻める側も重火器を使用するのはためらわれたらしい。当時置かれた砲台の跡が最近まで確認できた(現在は修復されている)。だがこれが、遺跡自身には災いした。
クメール・ルージュは共産主義勢力であり、祠堂の各所に置かれた仏像がさらなる破壊を受けた。内戦で受けた弾痕も、修復されつつあるが、一部にはまだ残っている。
一九九二年にはアンコール遺跡として世界遺産に登録され、一九九三年にはこの「寺院の祠堂を描いたカンボジア国旗」が制定された。
今はカンボジアの安定に伴い、各国が協力して修復を行っており、周辺に残された地雷の撤去も進んでいる。
宗教は、九割以上が仏教徒、上座部仏教であり、敬虔な生活態度である。
▼世界各国から参拝者と観光客を多く集めいて、また仏教僧侶や信者たちが祈りを捧げている。
法主さまも皆さまのお幸せとご発展をご祈念されていました。
参道の石組みの修復は日本人の石工が指導しており、その様子はNHK「プロジェクトX」で取り上げられた。
この時に作られた世界遺産のテープは観音院にも保存されています。
さて是非とも行きたい遺跡としてはジャワのボロブドールがあります。
インドの四大遺跡にはもう行かれましたが、機会があれば皆さんをご案内したいと考えておられます。
東南アジアの旅行には、水が最大の困難なことです。水道水は飲めません。ペットボトルの水を一日四本くらいはホテルなどが用意してくれます。
このあたりの蚊はデング熱を媒介します。ホテルによっては蚊取り線香が置いてあります。長袖が良いようです。
料理は辛いですが、日本人の口には合うと思います。氷は危険、不衛生な場所で作られた可能性があります。
アンコールの子供たちは学校に行かず、家族の生活の助けになろうと商売に熱心です。本やDVD、お土産などを売ろうと健気に走り回っています。
お帰りになって、大阪のユニバーサルスタジオに行かれる所要がございましたが、ようやくここが日本だなと嘆息されていました。