何とかしないと日本は変な事になる

民主党政権が発足したが、脱官僚依存ということらしい。天下り絶対禁止とのことで、エリートお役人さんは、五十代で関係団体に天下りして、七十歳位までに何度も転職して、その都度給与と退職金を貰う、そういう仕組みが無くなって、それなりに上手く行っていたからさあ大変。定年まで働きたい高級官僚続出で、これらの給与は大変です。日本の建物は窓が多いから、席を置く場所は幾らでもある。日本の官僚は優秀です。新人議員なんて能力的に屁とも思っていないそうです。議員も真面目になりそうです。イギリスに範を求めて調査に出かけたりされていますが、土壌が異なりますので、なかなか上手く行かない、官僚は勝手にさらせと、慇懃(いんぎん)に付き合っているらしい。まあ子供が成長期に我儘を言うときは、やりたいようにやらせて、自分で悟るのを待つのが上策と言うものでしょうか。
観自在編集部

 国会議事堂のお土産に「諸行無常の焼き方あり 議席の配置は盛者必衰の理をあらはす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし」自民党と同時に民主党に贈る言葉です。

 民主党政権になって一つうれしいのは、勝手につけたくれた「後期高齢者」の看板を外してくれるらしいこと。

 民主党政権は投票手続きを経て生まれたものですから、理由のわからぬ不安を持っている人が多いようです。

 他人が建て掛けていた家に突然移り住んで、あの壁は要らない、あの窓は不要、冷暖房は不要と言い出したのが現在のように思われます。

 家は当然安くなるでしょう。業者とは当然揉めますね。設計事務所も設計料がもらえるか否か不明です。銀行も融資を止めるかも知れません。
「約束を守ることは人間の一番大きな信用」です。

 亀井金融大臣が個人や中小企業に対して三年間の支払猶予を持ちだしています。このような事はモラトリアムと呼ばれ忌むべきこととされています。金融機関は大混乱に陥り、収拾が付かなくなるかも知れません。

■八ケ場ダムの建設中止にも瑕疵があります。ダムは確か県議会の議決と県知事の同意が得られなければ、どうにもならぬ筈。多くの市町村が関係していて、ダムは造るのも建造中止もとても手間暇掛かると思います。これは時間も掛かり、相当な費用が必要です。

▼日本のゼネコン、優秀な技術をもち、人材もいましたが、どうやって営業するのか不明、裾野の広い産業ですから影響は甚大です。

■高速道路の無料化はダム中止より容易かも知れません。完全無料化となると、管理事務所、料金所の施設などをどうするのでしょう。無料にしても管理は必要です。港や橋を維持保全するくらいの費用と職員は最低必要です。五月の連休やお盆の連休の渋滞の問題は徐々に解消されるでしょう。九月末の土日に広島大阪間を走ってみましたが、混雑には会いませんでした。

■子供手当も複雑です、少々無理しても高校までは全部無料にした方が分かり易かった。所得を得るために夫婦共働きをします。保育料や塾に掛かる費用は、子供手当を上回ります。

 日本もフィンランドのようになるのですかねえ、フィンランドの子供は学用品を持って通学しません。学校に削りたての鉛筆が沢山ある、本もノートも学校に用意されている。

 授業が付いて行けなくなると副担任が隣室で特別に教えてくれます。生徒二十人に先生二人二教室体制、塾なんて存在しないし、そんなもの、社会が知らない。文科省の人はフィンランドに行かれて参考にしてください。

 それにしてもフィンランドのようになったら、塾は困るな、空きビル増えます。テナント貸しますという張り紙が確実に増えます。

▼もっと具合の悪いことは円高ドル安傾向です。景気が悪くなり、倒産が増えて就職口が少なくなります。

 中国みたいに農民戸籍のひとが安い労働力を提供してくれる構造は日本にはありません。

 世界一の外貨を持っている中国は、アメリカの国債を買い支えています。第二のリーマンショックが来たら大変なことにとになります。

■金融危機は必ず来ます。経済という妖怪は「度(ど)し難(がた)し」、どこの会社や金融機関が破綻してもオカシクない。いや、破綻する国家がでます。

■国民が一番不安に思っていること、将来の傾向が分からないので、対策の立てようがありません。

■最近、貧困を理由とする朝食を食べていない子供が増えつつあること、これは文科省の問題ではありません。

 友達の家に遊びに行って、冷蔵庫を開けて食べ物を盗む子供が増えています。朝食無しで登校してる子多いのですよ。これは社会の責任、格差の問題、雇用の問題、夫婦共稼ぎの問題、失業拡大の問題、どうする民主党。

 自民党も知らないでは済まされない問題です。

 補正予算の見通し、来年度予算の見通しはどうなりましょうか。

▼くれぐれも、マニフェストが法律に優先することは考えられません。絶対多数で必要な法律を作るのですかね。

高い割合で、朝食を食べずに学校に来る生徒さんがいると聞きました。

 どうして、このようなことが起きるのでしょうか。朝ご飯を用意するお金が無い、原因が貧困とすれば、なにが貧困の原因か、住んでいる日本について考えてみました。

 育ち盛りの子供が家に食べるものがが無いのに、どこを歩いてもコンビニがあり、現代の日本は食べる物に満ち溢れています。

 お友達の家に遊びに行って、見つからないように冷蔵庫を開けて、食べ物を盗んで帰る。盗まれる方もシングル・マザーであったり余分の食糧を置いておく程の余裕はありません。

 離職、無職、無収入、母子手当もありますから、お金が無いという貧困は考え難いことですが、このような実例もあるのです。

 借金の取り立てがある、家賃の取り立てが厳しい。電気が止められている、水道はまだ止められていない・・・・。

 絶対的貧困と言う家庭があるのです。離職の理由を聞くことも、離婚の理由も聞いても、解決する問題ではありません。

 カンボジアへ行って貧困は嫌と言うほど見ました。貧困であっても、学校へ行けなくても、皆が平等ということであれば、我慢も辛抱もできます。

 貧困ということは、私も経験があります。原爆が落ちて(一九四五年)、家も学校も焼け落ちて、見渡す限り店も無ければ何も無い。

 トタン板で六畳一間の家を建てて、布団は家族四人に一組だけ。

 鍋や釜は焼け跡に沢山落ちていました。何故か水道だけは豊富に出てました。食べる物なんか何も無い、皿も茶碗も幾らでもありました。

 妹が栄養失調で死んで、死亡診断書を書いてもらうために東観音町から、焼け残った医師の居られる己斐町まで妹を背負い往復三時間ばかり歩きました。一畳ばかりの浅い穴を掘って、そこに遺体を置き、焼け残りの木を集めて、トタン板を被せて荼毘に付しました。両親には病床で体力がありませんでした。

 それでも、母親の実家に行って里芋を一貫目貰ったりして、ヤミ米を買ったりして、その日その日を過ごしていました。

 不平も不満も有りません。みんな同じだからです。やがて焼け跡を整理して、南瓜、大根、小麦、何でも良く育ちました。焼け跡は灰が豊富に撒かれていて、耕作地に適していました。

 中学の一年生になると、飢餓状態は脱しました。預金は封鎖されていましたが、少しは出金出来るようにもなりました。米屋も八百屋も魚屋も出来ました。学校も立ちました。

 しかし家の中には何も無い。みかん箱で勉強してました。電気も、住民が協力して引きました。

 昭和二十年代はこんな状況でした。

 税金はもう徴収が始まっていました。見做し課税で、親子四人なら、これだけ収入が無ければ生活出来ないはずという金額です。それ以下で生活していましたから酷税になりました。この時くらい子供ながら立腹したことはありません。全く収入が無いのに、税金を出せと言うのですから。

 だから子供時代の私も、妹も、戦後生まれた住職も、辛苦我慢は当たり前、私が三十七歳で本山布教師になるまでは一寸やそっとの苦労ではありません。

 父親の具合が悪く、昭和五十二年七月に観音院の住職に就任するまでは、その後ことは並大抵のものではありません。語るもおぞましい。

 昭和五十五年に現在の観音院を建てるまでの苦労話は一言も言いたく無い。 しかし、日本の復興も観音院の復興も、戦後の復興は物凄いものでした。

 現在の観音院は充実した設備で、不自由は一切有りません。

 昭和六十二年に住職を引退して、日々皆さんのご多幸を願って修法しています。それにつけても、貧困と言う格差が頭から離れません。

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