- アリス
- ああ、忙しいな。テレスはいつも暇そうでいいな。羨(うらや)ましいよ。
- テレス
- いったいどうしたんじゃ。
- アリス
- 大事な試験まであと三日しかないんだよ。あーあ、クリスマスも正月もあったもんじゃないよ。どうにかならないかなあ。
- テレス
- そうか、大変じゃな。けれど、安心しろ。なんとかする秘策が二つもある。どっちを選ぶかは君次第じゃよ。
- アリス
- 本当!もったいぶらずに早くおしえてよ。
- テレス
- 一つは、あと三日間は寝る間も惜しんで、とにかくひたすら勉強することじゃ。人事を尽くして天命を待つ、ということじゃ。
- アリス
- なあんだ。それができれば苦労しないよ。
- テレス
- それからもう一つは、どういう結果になろうと気にしないことじゃよ。すべてはなるべくしてそうなった、と受け入れることじゃ。元はといえば日頃の怠慢さの結果なのじゃから。
- アリス
- そんなこと言われるとやる気なくなっちゃうな。だけど今回の試験は、次がないくらい大事な試験なんだよ。
- テレス
- どうして次がないんじゃ。
- アリス
- この試験に僕の将来がかかってるんだよ。僕にとって最後の試験といってもいいくらいだよ。
- テレス
- では聞くが、どうして君はそんなにいい成績を取りたいんじゃ?
- アリス
- え?どうしてそんなこときくの?そんなの当たり前じゃな い。いい会社に就職するため。当然のことだよ。
- テレス
- 何のためにいい会社で働きたいんじゃ?
- アリス
- いい給料がもらるし、社会的にもエリートとして認められるし、将来も安心だから。まあ、最近はどうなるか分からない世の中だけどね。
- テレス
- どうして人より多くの給料が欲しくて、エリートと認められたいんじゃ? 明日のことも確かなことは何も言えんのに、数十年先までの安心なんてそもそも得られると本気で思っているんか?
- アリス
- 派手な生活とまではいかなくても、いい生活をしたいというのは、誰だって望むはずだよ。
- テレス
- やれやれ、君は欲深いのう。まあ、いい。で、いい生活ができたら何かいいことがあるんかい?
- アリス
- いい生活ができれば、当然それが幸せだよ。
- テレス
- どうしてそれが幸せだと確信をもっていえるんじゃ?
- アリス
- えっ。みんなそう思っているはずだよ。みんなそれを目標にして生きているんじゃないの?
- テレス
- つまりそれが人生の最終目的というわけじゃな?要するに、いい生活をしている人、つまり、優雅に人生を送れるようになった人は、必ず幸せということじゃな?
- アリス
- おそらくそうじゃないかなあ。でも、よく考えてみると何だか少し違うような気もするけれど。いざ考えてみるとよくわからないなあ。
- テレス
- いや、悪気はない。君が当然のごとくわしの問いに答えるもんじゃから、ちょっと深く追求しただけじゃよ。すまんのう
- アリス
- でも、人生の目的なんて深く考えたことはなかったなあ。僕らは一体何のために生きてるのかな。ちょっと考えてみたくなったよ。親や学校の先生に教えられたことに疑問をもたず当たり前のこととして、自分の生き方をつくってきたような気がしてきたよ。
- テレス
- 人間はいかに生きるべきか、ということは、今さら考え直すまでもないように思われるかもしれん。しかし、あらためて問い直してみると、いかに答えるのが難しい問いであるかがわかるじゃろうが。実は、このことを哲学者ではじめて問題にしたのが、ソクラテスなんじゃよ。ちなみにわしが君に問いつづけたような問答の方法を「産婆法」と言うんじゃ。少なくとも今まで考えたこともなかった問題が生まれたじゃろうが。
- アリス
- うん、確かに。ああやって突き詰めて考えていくと、自分の考え方の浅はかさを自覚したよ。ところで、どうして「産婆法」っていうの?
- テレス
- 答えを教えるのではなく、自発的に疑問が生まれてくるように相手を仕向けるからじゃよ。
- アリス
- そうなんだ。
- テレス
- ソクラテス以前の哲学者は、万物の根源は何か、自然とは何か、といったことに関心を持つていた。ところが、ソクラテスは人間に目を向け、「よく生きる」ということはいったいどういうことかを探求し続けたんじゃよ。
- アリス
- そうだね。自然哲学者は、どちらかというと科学者の元祖のようだったね。ソフィストは、関心を人間や社会に向けて、弁論術や処世術を説き、相対主義を標榜し「人間とは何か」というような、人間の在り方についての問いには触れようとはしなかったんだよね。
- テレス
- そのとおりじゃ。言い換えれば、ソクラテスによって、哲学は対象を「人間として生きる意味」に向けられた。つまり、哲学が倫理的価値について考えるようになったということじゃ。
- アリス
- 倫理的価値?
- テレス
- 要するに「よく生きるとは何か」ということじゃ。
- アリス
- よく生きるかあ。ソクラテスは「よく生きる」ということについてはどんな風に考えたの?
- テレス
- まあ、結論ばかり急ぐもんじゃない。大事なのはその結論に至るまでの過程なんじゃ。自分でよく考えることじゃ。それこそ哲学的な態度といえるんじゃ。
- アリス
- そうかあ、そうだったね。
- テレス
- 結局ソクラテスは、よくいきるためには魂、いわば精神をできるだけ優れたものにするということを真剣に考えるべきだと主張したんじゃ。このことを無視して、魂への配慮以上に、金銭や名誉のことを気にしてはいけないというわけじゃ。なぜなら、いくら金銭を積んでも、そこから優れた精神が生じるわけではないからじゃ。ソクラテスは、金銭や評判や地位のことばかり気にかけて、思慮深さや真実のことは気にかけていないアテナイの市民を憂いたんじゃ。
- アリス
- 紀元前5世紀の頃も今も大衆の関心は同じってことだね。
- テレス
- よい精神を保ち、よく生きるためには、真・善・美や正・不正について正しく知ろうと努力することが重要なんじゃ。ただ生きるのではなくよく生きようとすることが大切なんじゃよ。ソクラテスはそのことを皆に気づかせようとしたんじゃよ。
- アリス
- ソクラテスの偉大さがよく分かったよ。さて、僕ちょっと電話してこなくちゃ。
- テレス
- どこにかけるんじゃ?
- アリス
- 成績優秀なクラスの友達に今度のテストのポイントを教えてもらおうと思って。やっぱり、僕には僕の力を引き出してくれる産婆的な友人が必要だって気づいたんだよ。じゃあね。
- テレス
- やれやれ……