ほとけさまとお灯明

仏さまのお好みはどちら?
ご隠居  ご仏前にお供えする供花(くげ)、献花のことだが、私たちはたいていの場合、枝葉が付いたままの花を、形よく剪定(せんてい)して、これを花立てや花瓶に活ける習慣があるが、でもそれはどうやら日本だけの風習であるらしい。
 のちの日本の華道の基礎となったものが仏への供花である。
 雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)などによると、仏の供花(くげ)は、日本のように花立てなどは用いない。枝や茎をつけて花をお供えするのではなく、先っぽの花の部分だけ採って、それをそのまま仏に散じるか、あるいは浄器に花を盛って供えるか、もしくは華鬘(けまん)というものを作って献供するようだ。
寅さん 何ですか、それは?
ご隠居  華鬘というのは、金とか銅で、伝承された吉祥僧、花鳥の模様を透かし彫りにした装飾品のことで、仏前を飾る。
 あちらでは、そういった供花の仕方がどうも正統のようだな。
寅さん  なぜ花に茎や枝を付けないのですかね。花は茎や枝があるほうがよっぽど風情があって美しいでしょうに——。
ご隠居  そこのところはよく分からないが、必要な花だけを摘み取り、枝葉までむやみに折ったりしない、といった意味があるのではなかろうか。いずれにしろ仏に花を献ずる功徳にかわりはない。
 そんなわけで、とにかく仏前に献ずる花は清浄(しょうじょう)でないといけない。
 真俗仏事篇にこうある。
「秘経の中には、白き華の馥(こうば)しきものを貴しとして、仏に献ず。雑華の香ばしきものをば金剛に献ずる等の義あり。
 又、それぞれの華無ければ、かつて献ぜし華を思い出し運想供養する深義あり。もしその華あらば至心に虔恭(けんきょう・つつしみうやまう)し合掌頂奉して本尊に供養せよ。心意の供養、最上にして過ぐるものなし。かくの如くなれば行者の悉地(しっち)成就(じょうじゅ)す」と。
 また、蘇悉地羯羅経には、「諸華を用うる中に、ただ臭華(しゅうけ)と刺樹(しじゅ・とげのある枝花)と、華の苦くして辛き味の華とを除く。供養するに堪えずとある。さらに供養に用いない花として木槿(むくげ)が名指しされている。
 そして供養の花のうちでも蓮の花、梅、桜、牡丹、芍薬、百合の花などが最も善いとされている。
 近年、故人が好きだった花々や、薔薇(バラ)の花もよくお供えされるようになってきている。
ほとけさまとお灯明(とうみょう)
寅さん  花と同様に、ご仏前にお灯明をあげて拝みますが、あのお灯明をあげるのはどのような理由があり、また、どのような功徳があるのでしょうか?
ご隠居  仏はわれわれ人間とちがって、ほんらい照明などというものは必要とされない。
 仏の世界は明暗がある人間界と異なり、明のみで暗がないからだ。したがって、仏が灯明の光をたよりに何かの用を足されることなど全くない。
 だけど私たちは仏を供養するとき、仏前に必ずお灯明をあげて拝む。仏前にお供えするのは灯明だけではない。香華(こうげ)飲食(おんじき)–、主としてお香や花、食べ物、飲み物など合わせてお供えする。だけれども仏が特別そういったたぐいのものを好まれているわけでもないように思う。
 ではなぜ私たちは、それほどに仏が欲していもしない、そのような供物でもって仏を供養するのであろうか。
 仏教において、そのような供養は、一般的な俗世間の功徳(くどく)であって、出世間(しゅっせけん)無漏(むろ・一切の煩悩がないこと)の聖道とするところにはあらずとしている。
 それでもなお、私たちは仏前にそれらの供物をお供えしないと、なにか気持ちがやすまらない。
 その理由は何だろう?
 供養の原意は、仏、法、僧の三宝、あるいは死者の霊にたいして灯明をあげ、花やお香、飲食などの供物をささげて奉仕、礼拝(らいはい)することであるとされている。つまり、仏と向かい合うさい、なにも持たないで手ぶらでは、なにか仏を軽視しているような、あるいはまた粗略に扱っているような後ろめたさがあるからではないだろうか。
 自分の愛する人、大切な人々、両親や子孫、親友になす最高のもてなしをするような真心をあらわすことが基盤ではないだろうか。
 このように、仏に供養する行為は、仏にたいするみずからの信心の深さ、かつまた、みずからの清浄(しょうじょう)潔白(けっぱく)なる至心(ししん)の証(あかし)でもあるというわけだ。

お灯明の功徳

 施燈功徳経は次のように説いている。
「もし人、仏の塔廟(とうびょう)において、灯明を施しおわって、臨命終の時三種の明(めい)を得ん。何等をか三となす。
 一には彼の人臨命終の時、先になす所の福ことごとく皆現前し、善法を憶念してしかも忘失せず、この念によってすでに心に愉悦を生ぜん」と。
 人の一生でいちばん大事なことは、死に臨んだときの心の持し方である。人が自分の人生をいかに生きてきたかは、己れが死に臨むとき、おのずから明らかになる。
 元気いっぱいバリバリ働いていたときは、己れの信じるところにしたがい、また、欲望のおもむくままに、事を処して、なんの悔いることも痛痒(つうよう)も感じることはなかったが、いざ死に臨んでみると、これまでやってきた数々の行為が、それも、今になって考えれば、あまり褒められることとはいえない所業が脳裏をよぎり、今更ながら忸怩(じくじ)たる念いにかられる。
 このように死に臨んだとき、これまで自分がしてきた行為のうち、善行と悪業のみが、その一念上に走馬灯のごとく、あるいは市場に並べられた商品を順々に見て行くように、次々に目に浮かんでくるという。
 したがって、その一生において善行を積んだ者は、おのずから善相が現前して喜びが心を満たす。
 反対に悪業をかさねた者は、己れの死にぎわに、見るに堪えぬ悪相が目の前に現れ、頭のなかは恐怖で一杯になるという。
 だから、そうならないためにも、平生から善法を憶念して仏にお灯明を献じ、いつも仏を念じていれば、そうすること自体で、後生において善処におもむく近道である、というわけだ。(かつては善行を勧めて、悪業を抑止するために、仏教でも地獄や悪趣が説かれましたが、観音院は一切の地獄の脅迫を否定します)「二には、これに因(よ)ってすなわち能(よ)く念仏の心を起こし、能く布施を行じ、欣喜の心を得て死苦あることなし」
 念仏というと南無阿弥陀仏をすぐに連想するかもしれぬが、仏は弥陀(みだ)にかぎらない。
 いずれの仏を念じ、いずれの菩薩を信じても念仏であり、信仏であることにかわりはない。「仏心」とは「大慈悲心」である。仏を信じれば信じるほど、人に施与(せよ)することの喜びを知り、臨終に際しても一念上に善相が現前して、平静の心が保たれる。そして善相が現前するので死の苦しみから免れて、眠りに就くごとく安らかな気持ちのまま善処に生ずることができる。
 そして、その締めくくりとして「三には、これに因ってすなわち念法の心を得ん」と、施燈功徳経はお灯明の功徳を以上のように説いている。

長者の万燈と貧者の一燈

寅さん  俗に、貧者の一灯という成語がありますが、あれも仏の献灯と何か関係があるんですか?
ご隠居  貧しい人が仏にささげる真心の一灯は、金持ちがささげる万灯にまさるという、人間の真心を尊ぶことのたとえ話だな、ではその故事来歴を話してみようか。
 阿闍世王受決経というのに次のような説話が書かれている。
 —-あるとき阿闍世王は王宮に仏を招き、礼を尽くして歓待した。
 食事が終わって、仏が祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)にお帰りになるころ、すでに日はとっぷりと暮れていた。
 阿闍世王は傍らに陪席していた耆婆(ぎば・鍼や薬のことに通じていた名医)に相談する。「仏をどのようにお見送りすればよいであろうか?」
 耆婆がいう。「たくさんの灯りを燃やしてお送りしてはいかがでございましょう」と言上したので、王はうなづき、ただちに勅命を下した。
 すなわち、王は、百斛(こく)の麻油を取り寄せて(斛は容量の単位で一斗の十倍。一斗は約一・九四リットル)王宮の門から祇園精舎までの、仏が帰途につかれる道筋を、くまなく用意した麻油を燃やして、赤々と夜道を照らしだしたのであった。
 さて、陋巷(ろうこう)に貧しいひとりの老母がいた。彼女は、阿闍世王が仏にたいして行なった功徳にいたく感激した。そして、王が仏になした功徳を、みずからもしてみようと、心に固く決心したのであった。そこで老母は毎日ほうぼうの町々を行乞(ぎょうこつ・人家の門口に立ってお金や食物を求める)して歩き、やっといくばくかの銭を手にすることができた。
 さっそく彼女は油屋へ駆けつけて銭を差し出し、油をもとめる。
 すると油屋が言った。「婆さん、あんたは見たところ暮らしぶりに困っている様子なのにどうして油などを買うのか? こんな贅沢なものを買う銭があるのなら、何か食べるものを買って腹の足しにし、我が身を大切にいたわったらどうだ」
 老母が言った。「お前様はなんにも分かっていない。この世に仏がご出生になるようなことは百劫(ひゃくこう・きわめて長い時間のこと)に一度あるか、無しかの慶事とされている。そんな仏に幸いお逢いすることができたとしても、私は仏を供養するものを何も持っていない。
 このたび阿闍世王の功徳を耳にし、私のごとき貧しい者であっても仏のために一灯をともして供養したいと思うのじゃ」「あんたは大層感心なお人だ」と油屋は大いに感じ入って、老母の銭の分の油二合に、さらに三合をオマケとして合計五合を老母に持たしてやったのである。
 こうして仏前に赴いた老母が、持参の油を献灯の油皿に注いでみると、いかにも微量で、どうみても半宵を経ずに燃え尽きてしまいそうなので、老母は自らに誓った。「もし私が後世得道して仏の如くなり得れば、この麻油は通夕(つうせき・毎夜)光明し滅しない」と礼拝して去ったのであった。
 阿闍世王が仏に供養した万灯は、いずれも消えたり燃え尽きてしまったが、老母の灯明は夜を徹してあかあかと灯りつづける。
 朝になり、仏が目連にのたまう。「天はすでに明けた。もろもろの灯明を消しなさい」
 かしこまった目連(もくれん・仏弟子で神通第一と称される。目連の供養がお盆の仏事の起源)が諸灯を消していったが、ただ老母の灯明のみどうしたわけか、三度消したが、依然として消えない。
 目連は着ている袈裟(けさ)を煽って火を消そうとしたが灯はますます燃え盛る。
 そこで目連は神霊によって強風を呼び起こし、火を吹き消そうとしたが、灯はさらに熾烈(しれつ)に、上は梵天(ぼんてん・欲界を離れた天上界)を照らし、下は三千世界(さんぜんせかい)のことごとくを照らしたのである。
 仏が目連を制止された。「止(やみ)ね、止ね。あの灯明は仏となる未来を約束された光明であるから、汝がいかに霊力を用いようと滅しはしない。
 かの老母の前世からの宿命は百八十億の仏を供養することにあって、すでに前仏の認証しているところである。
 そして今、経法の教えるとおり檀(だん・無欲で、仏や僧、あるいは貧窮の人々に、諸物を施与すること。ただし「布施」は無貪、無執着を旨とし、決して反対給付を期待するものであってはならない)を修することに忙しいから、老母はあのように貧窮しているのである。
 けれども彼女は三十劫ののち、まさに仏位を得てその名を須弥燈光如来といわれることになろう」
 老母はこれを聞いて大喜びし、仏に作礼して去っていった。
 他方、仏に万灯を供養した阿闍世王は釈然としない。耆婆に聞く。「余は仏のために万灯という高大な功徳をなした。しかるに仏は余に決(認証)をお与えならなかった。なぜ老母の一灯に決を授与され、万灯の余に決を与えたまわぬのであるか?」
 答えて耆婆が、「王のなされた供養は、たしかに目を見張るほどの壮大なものでしたが、残念なことに、いまひとつ真心に欠けておりました。それにひきかえ老母の一灯は、仏の心に直接訴えかけるものがありました」と。
 ここにおいて、みずからを省みてその非を覚った阿闍世王は、あらためて至誠心をもって灯明と花を献じ、仏の供養につとめたので、仏は、これを嘉(よ)みして王に決をお授けになった。
 そして、王に告げる。「王まさに仏と為るべし。そのみ名を浄其(じょうご)と名付ける」と。
 阿闍世王の太子を旃陀和利(せんだわり)という。八歳であった。
 父王が仏に決を授かったことをたいへん喜んで、身に付けていた宝玉類すべてを脱しさり、仏の上に散んじて言った。「願わくは、私は金輪王となって、浄其仏になった父王を供養したいと存じます。
 そして浄其仏が涅槃(ねはん)されたあかつきにおいて、父王のご遺志を継承して、私も仏となりましょう」と。
 すると仏が言われた。「かならず汝の願のごとくなるであろうから、その仏を栴檀と名づけよう」
 貧しい老母の功徳(くどく)によって、阿闍世王ばかりかその王子までが、仏の授記(じゅき・仏が弟子の未来の成仏について予言すること)を得た。その功徳は、まことに無量広大なるものと言わねばならない。
 世に所謂、「長者の万灯、貧者の一灯」とは、これをいう。