五大と六大

ご隠居
前回、塔婆(とうば)について話したとき、五大(ごだい)のことに話がおよんだが、今日はもう一度、五大についておさらいをしてみようか。
寅さん
またイ去伽羅婆阿です?
ご隠居
そう。空・風・火・水・地の五大のことだ。
真言宗では、この五大をたいへん重要視する。
私たちのこの世界は、これら五大によって成り立っているが、それですべてというわけではない。
それに「吽」(うん)の字を加える。
寅さん
なぜ、吽の字を加えるんです?
ご隠居
だまって聞きなさい。
ものの本によると吽の字を加える、と書いてあるから加えるのだ。
で、この吽の字は何かというと「識(しき)」の字に当たるわけだな。それにより、前の「五大」に「識大」を加えて「六大」となる、とこういうわけだ。
寅さん
「大」というのは何でしたっけ?
ご隠居
「大」は周りに遍(あまね)し、つまり、残すところなくゆきわたっているという意味で、この宇宙の涯まで、すべて六大の周遍していないところはない。
そして、この六大周遍の意味こそが、真言密教の極意であり、秘奥ともいうべきもので、その意義は最も深甚かつ不可思議のものであるとされている。
それだけに、この六大を逐一説明しようとすれば、真言密教の全部を説明しなければならないからこれは私ごときでは、とてもできることではない。
寅さん
そんなに謙遜されては、話が前にすすみませんから、いつもの知ったかぶりで、分相応に話してくださいな。
――金胎両部の曼荼羅(まんだら)――
ご隠居
そもそも真言宗では、金剛界(こんごうかい)、胎蔵界(たいぞうかい)両部(りょうぶ)の曼荼羅を建立(こんりゅう)する。曼荼羅(曼陀羅)は梵語で、ほんらいの意味は「諸佛の悟りの境地を描いた絵図」のことであり、翻訳して「壇」ともいう。壇とは所依(しょえ)つまり物の依(よ)りとどまる所であるから、佛壇や演壇、花壇、さらには文壇、画壇などのように、物や人が集まる所という意味が含まれている。
したがって、あらゆる真理の集まる本体、つまり諸佛の円満具足(えんまんぐそく)しておられるお姿とそのかたちが曼荼羅で、それを絵に描き、布に縫いとり(刺繍)したりしてあらわす。
寅さん
曼荼羅に、金剛界と胎蔵界の二種類あるようですが、その金剛界、胎蔵界とは、いったい何のことです?
ご隠居
うん。この金剛界、胎蔵界が、さっき言った六大のことであるとされている。
つまり「識大」を金剛界とし、「五大」を胎蔵界とする。この二つの名称は、ものの例えから名づけられているようだ。金剛石(ダイヤモンド)は美しい輝きばかりでなく、地球上の物質のなかで一番硬度が高いから、どんな物にも破壊されず、反対にすべての物をくだく性質を持っている。だからこれを「金剛」という。
そして「胎蔵」とは、お母さんのお腹の中に赤ん坊がいる、そういった概念だな。
そういった概念のうえで、金剛は「智」にたとえ、胎蔵を「理」にたとえる。したがって識大は智であり、五大は理である。
とはいえ、智と理は元来二つに分けて考える性質のものではなく、智でもって理を観察するものだ。したがって智を離れて理なく、理を離れて智のあるはずがない。
要するに金剛界、胎蔵界両部の曼荼羅は、一切衆生が本来具有する徳性をあらわしたものだといえないこともない。
識大とは心法(心のはたらき)であり、五大とは色法(物質)のことだ。そしてこの宇宙の森羅万象は、有情(うじょう)非情を問わず、みな色心二法でないものはない。佛教のいわゆる十界の依正(えしょう)は、この二元からすべて成り立っており、真言密教はこれを金胎(こんたい)両部(りょうぶ)と名づけている。
寅さん
十界の依正?
ご隠居
十界とは、迷界の地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上。悟界の声聞、縁覚、菩薩、佛のことで、「依正」とは、一切の有情(木石などの心をもたない非情のものに対して人や動物のこと)が、それぞれの行為に見合った報いをその身に受けるということだな。
地獄に生まれる有情は、地獄に生まれて当然の原因や理由があり人間に生まれる有情もまた、それ相応の原因と理由があるとする。
――即身成佛(そくしんじょうぶつ)――
ご隠居
私たち人間の精神じたい金剛界であり、その身体は胎蔵界でもある。これを端的にいえば、私たちの一人一人が金胎両部の曼荼羅なのだ。
ただし、我々のは、どちらかというと空気のぬけた浮袋のような曼荼羅であって、諸佛・諸菩薩のごとき加持祈祷(かじきとう)に霊験(れいげん)あらたかな大曼荼羅というわけにはいかない。
しかしながら、根本である六大は、私たちも、霊験のある聖人もなにひとつ異なるところはないから、龍猛薩捶(りゅうみょうさった)の「菩提心論(ぼだいしんろん)」に、「もし人、佛慧(ぶつえ)を求め、菩提心に通達(つうたつ)すれば、父母所生(しょしょう)の身(両親が産んでくれたままの姿、つまり生きているうちに)速やかに大覚位を証する」と書かれている。
寅さん
大覚位?
ご隠居
さとりのことで、いわゆる即身成佛できる、と真言宗は教えている。
そしてまた、五大はすなわち五智であり、五智はすなわち五佛をあらわす。その五佛の位置関係を説明すると、いわゆる法界体性智は空大、空は中央に位置してこれは大日如来だな。大円鏡智は地大、地は東方に配して阿閃佛、妙観察智は水大で、水は西方に配して阿弥陀佛、平等性智は火大で、火は南方に配して宝生佛、成所作智は風大で、風は北方に配して不空成就佛で、この地・水・火・風の四大のほとけの徳と、その四智を集約したものが中央の大日如来であるとしている。
真言密教はこのように、私たちの目の前にある事物、すなわち五大の実相がそのまま佛道に通ずるアクセスであるとし、我々人間の心身を除いて、ほかに真理を求めるべきものはなく、六大を有する私たち人間は、たとえごく普通の人間であるにせよ、その本性はみなあるがままの天真如来である、と真言密教はきっぱり言っている。
――阿吽(あうん)の話――
ご隠居
ところでこの六大だが、これを識空風火水地(吽イ去伽羅婆阿)でなく、下から逆に並べると地水火風空識(阿婆羅伽イ去吽)となる。そしてこれを中を略して、アタマとしまいの文字を読むと、「阿吽(あうん)」の二字になる。
寅さん
阿吽というのは、仁王様や狛犬の像が、片方が口をあけ、もう一方が口を閉じている、あの阿吽のことですか?
ご隠居
そうだ。阿吽は、呼吸のリズムを整えて精神の集中をめざす密教の観法の一つで、修行者は出る息を阿字、入る息を吽字とみなして呼吸するそうだ。
密教の教義では、阿音は万物が帰滅するところであるとし、修行者は阿吽の呼吸によって、万物の発生と帰滅の理法を観ずると説いている。
そしてまた、その阿字は、一切諸法本不生(ほんぷしょう)の義としている。
寅さん
本不生とは?
ご隠居
生まれながらのもの、とでもいえばよいか。つまりこの世界は、もともと生まれながらにしてあるもの、というわけだ。生まれながらにしてあるものだから、不滅だ。不滅にして生まれながらのものだから本有(ほんう)常住もともとそこに有ることになる。
また「阿」は、種子(しゅじ)の義ともされている。種子だからこの阿字より芽が出、枝をひろげて一切の諸法(もの)が生じる。
寅さん
ああ、むつかしい。
――お大師さまの「十住心論」――
ご隠居
たしかに難解だな。難しいついでに、大日如来の真言(お言葉)と六大と曼荼羅について書かれたお大師さまの文章を紹介してみよう。寅さんも読んだはずの「秘密曼荼羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)」だ。
寅さん
そのはずですが、きれいさっぱり忘れました。
ご隠居
「十住心論」の書きだしの部分『帰敬序』にこうある。要約すると、婀・尾・羅・吽・欠(けん)の文字で示された、最大にして秘密のきわみなる真理の世界そのものと、舸(きゃ)・遮・咤(た)・多・婆・埜(や)という子音の男声で表徴された智慧の世界と、伊・汗(う)・哩・盧・翳(えい)という母音の女声で表徴された瞑想の世界と、大日如来以下、三昧耶曼荼羅の如来と、普賢菩薩の五鈷と文殊菩薩の刀剣と観世音菩薩の蓮華と弥勒菩薩の瓶等をもって表徴される三昧耶曼荼羅の菩薩と、五如来、十六大菩薩など大曼荼羅の菩薩、さらに羯磨(かつま)曼荼羅の佛・菩薩との、宇宙万有を構成している空・風・火・水・地・識と、これらによって構成されている宇宙万有はわけへだてがなく、このような自他円満なる法身大日如来は、あるがままに我が身体・言葉・意(こころ)のはたらきにそなわっていて、帝釈天の宝珠をつらねた網のように虚空に遍満し、たがいに重なりあってわけへだてがなく、もはや数えることすらできないほどに数限りのない佛に、敬礼したてまつる。
今、天皇の勅命をお受けして秘密の教えを説こうと思う。自覚していない者たちが、自らの心に迷っているのを驚き覚まして平等な六大と四種の曼荼羅と、大日如来と自己とが一体となる世界を荘厳(かざ)る徳とを明らかならしめよう。

力持ちの女の話 

日本霊異記

尾張の国中嶋の郡の大領に久玖利(くくり)という者がいた。

その妻は、見たところ、しとやかで女らしく、夫によくかしずく誠に申し分ない嫁であった。

あるとき妻は、夫のために丹精こめて布を織り、衣をつくって夫大領に着せた。それは色柄といい仕立てといい、たいそうみごとな出来ばえだった。

さて、尾張の役所には大領の上司である国守(こくしゅ)がいる。

その国守が、たまたま大領の着ている立派な衣服を見て、それが欲しくてたまらなくなった。

そして「そういうのは、汝ごときが着る衣服ではない。身分をわきまえよ」

と、理不尽にも取り上げてしまった。

帰ってきた夫に、妻が訊ねる。

「あなた、お召し物をどうされました?」

「国守に取り上げられた」

「まあ、なんということを。あなた、それでいいんですか。心惜しくはございませんか?」

「もちろん、たいへん悔しいさ」

ならば、と、妻は、さっそく国守を役所へたずねて行った。

「どうぞ、衣を返してください」

「女のくせに厚かましい。かまわん、この女を追い出してしまえ」

と、部下に命じて引きずりだそうとしたが、女の身体はびくともしない。そればかりか、女は二つの指でもって国守の座席をつまみ、座ったままの国守を役所の門外に運び出し、その着衣のすそをズタズタに破いて、さらに哀願した。

「夫の衣服を返してください」

女のあまりの力の強さに恐怖した国守は、青くなって衣を返した。

妻は何事もなかったかのように家に帰り、取り戻した衣を洗いきよめて奥へ仕舞ったのである。

……だが、こんどは、大領の父母が嫁を恐れて、息子の大領に、

「お前の嫁は大変なことをしてくれた。これからお前は何かにつけて国守に疎まれ、ロクなことはあるまい。まして国守にさえ、あんな乱暴するのだから、私たちに対してもどんなことをするか知れたものではない」

と言い、とうとう実家に追い返してしまった。

こうして出戻った女は、ある日実家の里の船着き場で衣を洗っていた。そこへ通りかかった船の船頭が卑猥(ひわい)な言葉で女を揶揄(やゆ)した。

「おだまり。へんなことを言うとほっぺたをひっぱたくよ」

と女が言うと、怒った船頭は船から飛び下りると、やにわに女を叩いた。

女は、そんなことはおかまいなしに、荷を満載した船の先を半分ほど持ち上げて、船尾を水の中に沈めてしまった。

「あんたが失礼な口をきいた罰だ」

と、その船を一町ばかりずるずる陸へ引きずりあげた。

船頭はぶるぶる震えながら土下座して、

「私が悪かった。勘弁してください」

と平謝りに謝った。

ちなみにその船は、五百人が引いても動かない大きな船だった。

経にも「餅を作って三宝に供養すれば、金剛那羅延(ならえん・金剛のように堅固で勝れた)の力を得る云々」と説いている。

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