観自在を発行するようになって二十二年

十月号の原稿を八月に、九月号は七月に原稿を書きました。
 時間感覚が相当ズレテきます。毎月二ヶ月先のことを考えているのですから、今日までのことを反省するよりは常に二乃至三ヶ月先のことを考えて生きています。
 慣れても良いと思うのですが、なかなか慣れられないものです。

 今日平均株価が一万円を回復したとニュースを聞きながら経済のことを考えたり、欧州が猛暑から一転して大雨が降り、雹も降り、洪水になったて、現実では冷夏で、冷夏の次は大体暖冬になると経験的に思ったりしています。

 秋彼岸の行事を準備しながら翌月のことを考えて文章にすることは大変に困難なことです。
 異常なことが起きねば良いがと日々念ずるようになるのは当然のことです。

 冷夏も猛暑も暖冬も寒冬もそれなりに生きて行かなくては仕方がありません。人は自然には逆らえないと考えています。観自在の場合は大体月末の二十五日ですから未だ楽です。一般の商業誌は大変です。月半ばには送られて来ます。

 新聞などは大変だと思います、時間差でニュースを抜かれたり、特種になったりしますので、毎日が大変なストレスだと思います。 僧侶がストレスに晒されるようでは落第で、日刊紙は勿論、月刊誌を出すのも向いていないのかと考えることもありますが、所詮は教えを説いているのですから、淡々とこれからも観自在を発行し続けて参ります。観自在の発行の目的は永代供養の証明です。観音院の僧侶が礼拝し、祈願し、供養を続けていることを真面目にしている当然のこととして。

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