- 寅さん
- 私たち人問の霊魂というものは、この身が死ぬと同時に、消滅してしまうのか、それとも、肉体は死んだとしても、霊魂だけは消滅することなく、ずっと未来まで、どこかにあり続けるものなのか、どちらでしょう?
- ご隠居
- 霊魂を、佛教では阿頼耶識(あらやしき・基底的潜在意識)という。また、神識とも、単に心ともいうことがあるが、ふつうこれを霊魂と言っている。
- 以前にもたしか話したと思うが、人間は、肉体が消滅すると同時に霊魂も消滅すると考えるのは、いわゆる断見(だんけん)で、まちがった考え方だ。
- また、この身は消滅しても、霊魂は肉体から離れて、消滅することなく未来へ移り、業(ごう)と一緒に六道のなかをさまようという考えも、肉体は断見を起こし、心に常見(じょうけん)を起こすといった断常二見を掛け持ちにする考え方なのでこれも間違いだ。
- 私たちは、すべて因縁(いんねん)によって私たち人間が、現在ここに生きて在るという事実を、正視しなければいけない。
- 私たち人間は、身も心も、まさしく因縁から生まれたものなのだ。
- これはアメリカの高名な科学者の言葉だが、生命の起源は宇宙の小さな事故によって始まった、と言っているように、因縁によって所生したものは、もともと風とか雲のように無自性(むじしょう)だから、なにひとつ常住不変(じょうじゅうふへん)のものは存在しない。始めがあれば必ず終わりがある。生があれば必ず滅するな。
- しかしながら、この始めと終わり、生と滅といった事柄や現象はあくまでも外見上の相(すがた)であって、その相の本体は不生不滅(ふしょうふめつ)、無始無終(むしむしゅう)である、という。
- 寅さん
- きょうの話は、どうもややこしいですね。
- 始めもなければ終わりもないものが、生じたり滅したりする・・・理屈に合わないではありませんか。
- なぜ、なんですか?
- ご隠居
- 実は、これはある人の話の受け売りで、その通りしゃべっているのだから、寅さんもそのつもりで聞いてほしい。寅さん そういうことなら、辛抱して拝聴しましょう。
- ――業風と波浪――
- ご隠居
- 無始無終のものが生滅(しょうめつ)をくり返す、なぜなのか、それは業力の作用のせいだ、というのだ。
- 業力(ごうりき)は、心身から離れないものなので、その業力がたえまなく作用し続けて、生滅の現象を引き起こすというのだ。
- これはたとえば、心身を水のようなものと仮定すると、心身の形相は波のようなもの、心身の業力は風のようなものであるという。
- 海があれば、そこには必ず風が起こるし、風が起これば必ず波が巻き起こる。そのように心身は業風によって現れたものなので、業風の力が衰えるときは、心身の波浪もその相(すがた)を隠す。
- しかし、波浪が消えて、海が穏やかになったとはいっても、海水そのものが消えてなくなったわけではない。海水が消滅しないかぎり、波浪はまたその相を現す。
- この世と、あの世は、はっきり境界を異にしているな。
- したがって、人が死んであの世にいったとき、この世からあの世を窺(うかが)い見ることができないのは、たとえていうなら、海が無風のときに波浪を見ることができないのと同じ理屈で、心身の波浪が消滅するとき、波浪そのものも、ともに消滅すると考えるのは、断見だという。
- なぜなら、波浪そのものが消滅したわけではなく、波浪はどこかに相を隠しているにすぎない、というのだ。
- 業風の大きさや強さによって、波浪はその様相が変わるもので、人間は必ずまた人間に生まれ、動物は必ず動物に生まれると思いこんではならない。なぜか? それは業風の大小、善悪によって波浪の相が変わるからで、悪業が積み重なれば、人問であっても次には動物に生まれ変わらないともかぎらない。こう考えると常見は起こらない。
- また、人間と動物はその相こそ異にしているが、同じように生滅(しょうめつ)相続(そうぞく)して三千世界(さんぜんせかい)を
輪廻転生(りんねてんしょう)しているので断見は起こらない。 - このように、この心身は本来ひとつのものなので、肉体が生滅するときは心もともに生滅し、心の生滅するときは、肉体もまたともに生滅する。
- したがって、この心身はどこまでも密着したまま生滅をくり返すものであるから、肉体は生滅するが、心は変化することなく常に存在する、などと、かん違いしてはいけない。
- そうはいっても、個々の生滅はたしかにくり返されているが、これを宇宙的視野でながめてみるとこの世界は、まちがいなく不生滅なので、この心身が生滅するものと考えた場合は、むろん生滅しているが、不生滅と考えれば、心身はともに不生不滅で、生じもせず滅びもせず、まったく変化しない宇宙のなかに精神がときはなたれるだろう、と言っている。
- しかるに、そこのところを深く考えようとしない人々は、生即不生滅(せいそくふしょうめつ)、滅即不滅という大原則を知らないものだから、生は、何もないところから、原因もなくして突然あらわれるものと思ったり、滅はまた何も無くなって、すべてが滅びつきると思っている。
- けれども、生滅というものを客観的に見た場合、それぞれは生じたり滅したり、千変万化(せんぺんばんか)しながら移り変わってゆくが、これを宇宙的視野でながめてみると、たしかに変化はしているが、この世界は不生不滅であって、増えもしなければ減りもしない。そのままである。
- ゆえに、生死去来(しょうじきょらい)は人問の真実、生死去来は諸佛(しょぶつ)の真実、生死去来はただこれ生死去来なり、というな。
- ――生死(しょうじ)は佛(ほとけ)の御(おん)いのち――
- 寅さん
- よく分かりませんが、それはどういうことで?
- ご隠居
- 私もよく分からないが、人間は、この世に生をうけた限り死がすでに約束されている。そして佛様(ほとけさま)も、生死の理(ことわり)を私たちによく伝えようと努力されている。
- しかるに、佛様のおっしゃる出離生死(生き死の迷いを離れること)、生死解脱(生と死の束縛、迷い、苦しみからぬけだし悟りをひらく)などの教えを聞き誤って、佛法を修行する者は、この生死の問題を、履き古した靴を捨てるごとく、なんの未練もなく処理してしまうのが正しいと考えているのが、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)の小乗佛教である。
- そして、これと対照的に、生死のことに強く執着するのが、いわゆる「凡夫」の考えという。
- 道元禅師は、こうおっしゃったという。
- 「この生死は、すなわち佛(ほとけ)の御いのちなり。これを厭(いと)い捨てんとすれば、すなわち佛の御いのちを失うなり。佛のありさまをとどむるなり(佛様の存在する意義がなくなる)。厭うことなく、慕うことなく、このときはじめて佛のこころにいる……
- また、生死は除くべき法ぞ、と思えるは、佛法を厭う罪となる。……生死去来真実人体(にんたい)というはいわゆる生死は凡夫の流転(るてん)なりといえども大聖の所脱なり」とな。
- 寅さん
- これまた難しいですね。
- ご隠居
- つまり、この宇宙をそのまま佛様の世界と考えると、この世に住む私たちの生き死にのことも、佛様のみ心のままということになる。
- だから私たちが、なぜ、人は生まれたり死んだりしなければならないのかと、その生死に疑問を感じて否定すれば、それはこの世を否定し、佛様を否定することになる。したがって私たちは、この宇宙の法則を素直に受容(じゅよう)し、人間もこの大自然の中の一員にすぎないことを自覚すれば、佛の御心(みこころ)にはいれる、というのではないかな。
- さて、大乗佛教の真実を学ぼうとする者は、凡夫や小乗の見解を超えて、生即不生、滅即不滅の道理をよく理解しなければならないという。
- 生即不生であるゆえに生也全機現(せいやぜんきげん)といい、滅即不滅のゆえに死也全機現という。
- 寅さん
- なんですか、それは?
- ご隠居
- 生の時は一切が生であり、死の時は一切が死である、ということらしい。
- それは、生の時は生に成り切っており、死の時は死に成り切っておるからだという。
- それなのに、凡夫は生死のことに強く執着し、声聞、縁覚は涅槃(ねはん)にこだわる。
- 涅槃は本来、一切の煩悩から解脱(げたつ)した不生不滅の高い境地のことなのに、小乗は、涅槃を単に生死の問題ととらえて、これを除くべきことと思っている。
- 大乗菩薩の見解はそうではない。
- 常に生死と正対して涅槃を忘れず、涅槃の境地にあって生死に遊ぶ。ゆえに生死即涅槃、涅槃即生死なりと悟り知る。このように悟れば、生死にあって生死に執着せず、涅槃にあって涅槃に停滞しない。凡夫の生死は絶え間なく移り変わるが、大聖はこれを所脱している。超越した生死を佛の御いのちと言う。
- 佛の御(おん)いのちは無量寿(無限の寿命)であるために、生滅に束縛されることがない。束縛されないので生死解脱とも、出離生死とも、三界出離ともいう。
- このように諦観すれば、断常二見の邪見などにおちいることなく佛祖の正見に住することができる。
- 道理はその通りだが、これらは修め学ばなければ明らかにすることができないし、証して悟らなければ得ることはできない。けだし修証顕得の境地に達しなくても、このように諦観すれば、邪見に堕すことをまぬがれる。
- そしてもし、修証顕得の境地に入れば、まさしく即身成佛、即心是佛の人である。
- 佛教の安心立命(天命を悟って心を安らかにし、悩まないこと)とは、つまりこのことである。
- 「大智度論」にいわく、「一切世界に三種の人有り。下位の人は現世の楽に着し、中位の人は後世の楽を求め、上位の人は道を求め、
慈悲心有りて衆生を憐愍(れんびん)す』と。
執金剛神に祈願して、佛道修行を成就した金鷲行者の話
奈良の京、春日山に小さな寺があった。そこに金鷲(こんす)という優婆塞〔うばそく・出家しないで佛道を修める男子、ここでは鷲(ワシ)にさらわれた故事のある良弁僧正(ろうべん・そうじょう)のこと〕で、その寺は、金鷲と呼ばれていた。
いまの東大寺である。この東大寺が建立される前の、聖武天皇の御世(みよ)、金鷲行者が佛道に精進(しょうじん)していたときのことである。
その山寺に、金剛杵(しょ)を手に、佛法を守護する「執金剛神」の塑像(そぞう)があった。行者は朝晩、その神像に縄を結び、それを手で引きながら一心に祈願して休むことがなかった。
あるときのことである。その執金剛神像が、突然光を放ちはじめたのだ。そして、光は、やがて皇居にまで達した。
天皇は不思議に思い、すぐに人を出して、光の出どころを確かめさせることにした。
天皇の御使が光をたどって行くと、それは奈良京の東北、春日山の寺から放たれており、そこに一人の行者がいた。
行者は、神像のふくらはぎに掛けた縄を引っ張って、一心不乱に礼佛悔過(けか)していた。
御使は宮中に帰ると、見たままのことを奏上した。
天皇は、さっそく行者を宮中に召し、詔(みことのり)された。
「汝は、執金剛神に、なにが望みで祈願しているのか」と問われた。
すると行者が答えた。
「ほかに望みはございません。ただ出家して、佛法を修学することだけが唯一の望みでございます」
ただちに得度(とくど)をお許しになった。天皇は、それとあわせて金鷲という法名を与えられた。
そればかりか、彼のおこないを嘉(よみ)せられて、四種(房舎、衣服、飲食、散華焼香)を供養されることとなったから、それからの彼の住む山寺の暮らしは、なんの不自由もなくなったということである。
世問の人々も、彼のおこないを褒め称えて、金鷲菩薩といって、たいへん崇めたそうである。
光を放ったというその執金剛神の像は、いま東大寺の、不空羂索(ふくうけんざく)観世音像を本尊とする三月堂の、北の入口に安
置されている。
賛(さん)にいわく、
「善きかな、金鷲行者。信仰のともしびを春に点じ、盛んな焔(ほのお)を秋に上げて燃やす。〔若年に信仰に入り、逐年、信仰 心を高揚させる。〕
腫(はぎ)から輝きでた光は、佛像が人を感化する力をたすけ、天皇はつつしんで佛像感化のありさまを具現された」
一心に祈願して、ねがいごとが果たされないことはない、というのは、こういうことを言うのであろう。
良弁〔689-773〕奈良時代の僧侶、日本華厳宗の第二祖。
二歳の時に母と桑畑にいて鷲にさらわれて、二月堂の杉の木におかれ、僧義淵(ぎえん・法相宗)に育てられたとの伝説。東大寺建立に尽力、初代別当。金鐘行者、金鷲菩薩ともいわれる。