浄水を供養し、恩に報いる

「逃げ水」という現象は、蜃気楼(しんきろう)の一種で、春の季語ですが、実際には、盛夏の強い日差しを受けた舗装道路で見かけることがよくあります。
 その水たまりを追えども追えども、その都度、遠くのほうに逃げていき、一向にその距離を縮めることはできません。
 仏法を求めて、インドへ旅した玄奘三藏も、灼熱の砂漠でこの逃げ水(オアシス)を見ることがおありだったかもしれません。

 ここ最近、毎年のように、水不足の報道がされています。同様に、大雨による被害も各地でニュースになっています。

 このような気象問題は有史以来、弘法大師の時代にも大きな問題になっていました。
 お大師さまがご誕生になられた讃岐の国(現在の香川県)では、度々、水不足に悩まされ、また、農業用水の設備も整っておらず、そのため満足にお米を生産できずに悩んでいました。民衆を救済するため、弘法大師は満濃池の修築を命ぜられ、修法なされました。

 現在、日本は水源に恵まれています。蛇口を捻れば飲料水が流れ出てきます。水は、ただで手に入るという考えが一般的ですが、他国を見るに、水はガソリンよりも貴重な所もあります。

 インドでは古くより、来賓にはまず水を出して、手や顔などについた埃を洗ってもらうことが「もてなしの作法」とされています。
その接客の作法は、宗教的に高められ、密教の修法(六種供養:ろくしゅくよう)の中にも取り入れられました。
 その際に用いられる水のことを「閼伽(あか)」と呼びます。夜更け頃、水中の生物たちも寝静まり、水が最も澄んで清らかな状態のものを汲みおいて使用します。
 み仏さまをおもてなしするのにも、水は欠かせないものなのです。

 水は、生命を養う上で不可欠な存在です。日本のような四季があり、手軽に水を入手できる環境と、生んでくれた両親に感謝し、その環境を築いてくれた祖先に感謝し、節水に心がけましょう。

「四恩(しおん)」という仏教用語があります。この世に生を受けた人の、誰しもが受ける四つの恩恵、つまり、父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三宝の恩のことです。
 父母の恩、これは、文字通り、両親が最初に与えてくれる、自分に命を授け、この世に誕生させてくれたという恩恵です。
 弘法大師空海は、母親が晩年に高野山の麓に移ってこられた際、ひと月のうち九度も山を降りて、母親を訪ねて孝行したそうです。
高野山の麓に「九度山」という地名があるのもその名残です。

「父母に与えられたこの身このまま」で「仏と一体化すること」ができる「即身成仏」の思想は真言宗の教義の根本とするところです。
 弘法大師は四恩の中でも、この身を与えてくれた父母の恩への、感謝の念を格別に抱かれていたのかもしれません。

■盂蘭盆経(うらぼんきょう)に次のような説話があります。

 釈尊の十大弟子の中で、神通第一と称された目連ですが、自分を生んでくれた両親の恩に報いたい一心で、神通力を使って世界を見渡して探したところ、母親が餓鬼道に堕ちているのを発見しました。
 飢えに苦しみ、骨と皮だけになった母親の姿を哀れに思い、目連は釈尊に母親の苦しみを救済する方法を尋ねました。
 釈尊がおっしゃるには、雨安居(うあんご:雨季に僧侶が一箇所に集まり勉強をする会合)が明ける七月十五日の結夏(けちげ)に、僧侶たちが集まって自分たちの行いを懺悔(さんげ)し、亡き親などへの追善を併せて願うので、その際に僧侶たちを供養し、母親が救われるように祈ってもらいなさいとのことでした。
 目連は釈尊の教えのとおりに、僧侶たちに食事や寝床を布施し、彼らに祈ってもらったところ、母親は餓鬼の苦しみから逃れることができたそうです。

 現在でも、旧暦の七月十五日前後(新暦では八月中旬頃)に盂蘭盆会が行われ、ご先祖への追善が各地で祈られています。
 盂蘭盆とは、サンスクリット語の「ウランバナ」の当て字とされ、逆さ吊りにされる苦しみを意味しています。
 苦しみの世界から祖霊を救済するために、僧侶に祈りをささげてもらう仏事として、今の私たちの生活の中にも息づいています。
 一年に一度、お盆の時期には、この世に生を受けさせていただいた祖霊に感謝しましょう。
 皆様も、広島に帰省された際は、是非、観音院で法要にあい、手を合わせて、焼香礼拝し、先祖供養をなさってください。

 さて、四恩の残りの三つの恩に関して。
 まず、衆生の恩。これは、自分の周りの生きとし生けるものすべてから受ける恩恵のことです。
 人は、誰しも一人では生きていくことができないものです。何をするにも他人の協力が必要です。
また、生命を維持していくためには動植物の命を犠牲にしなければなりません。
 困っている人には手を差し伸べる。「慈悲喜捨」の心を常に持とうと努力すれば、どなたもが「菩薩」への歩みをなしているのです。

 次に、国王の恩。これは、本来は生まれてきた国の王様から受ける恩恵です。古代のインドや中国、日本において、王の権限は絶対のものでした。自分たちが平和に暮らしていけるのも、王様が適切に統治してくれているおかげであると思われていました。
 現代の日本では、国家の恩と言い換えてもよいでしょう。
 最後に、「三宝」の恩。これは、仏・法・僧から受ける恩恵です。
僧は「僧伽(和合衆)」で修行者の集まり、仏教の教団を表します。
 わたくしたちが苦しいときは、み仏さまにおすがりすることで心が楽になります。

 仏教の宗教観、「まことの道」「鈴の法話」の教えを学び、生きる基準としての教えをもち、道徳観や倫理観を養うことで、生活に思いやりと安らかな秩序がもたらされることでしょう。
 また、僧侶の法話を聞いたり、荘厳な法要に会うことで心が清め動かされ、生きる活力を得ることができましょう。あるいは、幼い時から父母とともにお寺に参拝して厳粛な雰囲気を味わう。
 そういった仏教的な様々な恩恵は、日本の風土に根付いており、無意識の内にも、誰しもが受けているものです。

 四恩に報いるという「感謝」の気持ちを持ち、日々過ごすことで、度を越した欲に心を悩まされることもなくなってくることでしょう。
それが、太古より伝えられてきた仏教の智慧なのです。

 まだまだ暑さは続くと思いますが、皆さまにおかれましても、適時、水分補給をされて、熱中症や脱水症状にならないようにお気をつけください。
 また、お盆の時期には、仏前やお墓にお水を供え、先祖への感謝の気持ちをあらわされてはいかがでしょうか。 合掌九拝