発心即菩提、志すことが大切

早いもので、今年も残すところあと半年になりました。
 去年の夏は、猛暑で体調を崩されたり、大雨や台風などで被害に遭われた方も多かったことと思います。病気や災害は避けられないものですが、日頃の心がけ次第で被害を少なくすることはできます。
防災対策、体調管理は日々計画して意識していくことが大切です。

 さて、七月に行われる仏事に関して、関東では盂蘭盆会(うらぼんえ)をするところもあります。
観音院では七夕際を執行し、引き続き、お盆の法要を執行します。
先祖供養、有縁無縁の精霊供養の法要が丁重に執行されます。
 七夕祭には毎年、多くのご信徒さまが、所願成就(じょうじゅ)を祈念され、五色の短冊に願い事を書かれてお参りされます。皆さまも、是非ご参拝なさってください。
 ところで、七夕について。
「天の川」に別たれた織姫と彦星(又は、牽牛:けんぎゅう)が、年に一度だけ逢うことを許された日、ということは多くの人がご存知だと思います。
 さて、それでは、二人はどのようにして広大な天の川の岸を渡ることができたのでしょうか。
 百人一首の中に、その答えを見ることができます。

かささぎの渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける
 これは、弘法大師空海が活躍されていた頃の、奈良時代の歌人、大伴家持(おおとものやかもち)が七夕について歌った一首です。
 翼を広げて、天の川を渡るための橋になってくれたカササギのおかげで、二人は逢瀬をたのしむことができたのでした。
 カササギとは、カラス科の鳥類で、中国では、縁起の良い鳥、縁結びの鳥として大変愛されているそうです。

 橋を渡る、岸を渡る、という比喩(ひゆ)は、よく仏教では用いられます。
 此岸(しがん)から「彼岸」へ渡ること、すなわち、わたくしたちが今いるこの世界から、涅槃(ねはん)の世界へ渡ることです。
渡るための船が「仏教の教え」とたとえられています。
 涅槃という言葉は、一般には死後の世界と思われがちですが、実際には、輪廻転生から解脱した、悟りの境地という意味で、仏道の修行者が到達する最終的な目標といえます。
 さて、同様に、生死(しょうじ)の苦海を渡り、迷いの世界から目覚めて彼岸に渡ること、輪廻(りんね)の流れを渡ること、という意味を持つ言葉に、得度(とくど)があります。
 一般には誓願して仏門に入ること、出家のことをいいます。
 真言宗でも、伝法灌頂を受ける前には、得度、受戒、加行を済ませなければなりません。
 得度とは、律令体制下の古代中国において作られた言葉で、出家することを許された僧侶が僧籍に入ることを意味します。
 インドでは、出家の際に国王に許可を得ることはありませんでしたが、中国に仏教がもたらされた当時、すでに中国では儒教等の高度な文明が存在し、中央集権の体制の下で国家が宗教を管理していました。したがって、僧侶を志した者も、正式の僧侶になるためには国家の許しが必要だったのです。
 中国の文明の影響を多分に受けた日本でも、僧侶になるためには朝廷の許可が必要だったのです。
 弘法大師が生まれた平安時代、都には南都六宗(なんとろくしゅう)とよばれる仏教の宗派が存在しました。すなわち、法相(ほっそう)・三論(さんろん)・華厳(けごん)・律・成実(じょうじつ)・倶舎(くしゃ)の六宗ですが、これらの各宗派から、毎年、人数を定めて試験をして、所定の学問を学ばせたものにのみ、得度を許しました。このことを「年分度者(ねんぶんどしゃ)」の制度といいます。
 しかし、実際には、朝廷の管轄外で僧侶になる修行者も多く出現しました。年分度者に選ばれた僧侶を官僧と呼ぶのに対し、彼らは私度僧(しどそう)と呼ばれ、役人たちは彼らの取締りにおわれていたそうです。
 私度僧には、朝廷に課せられた雑役や納税から免れるために世捨て人になったものもいましたが、中には、民衆の中に生活し苦楽を共にし民衆のために橋を作ったり、仏像を作ったり、供養をしたりする「聖」もいました。
 上求菩提(じょうぐぼだい)・下化衆生(げけしゅじょう)は、仏法修行者の根本とするところですが、平安期の私度僧の中にも、その尊い姿が垣間見れます。その代表といえるべき人物に行基(ぎょうき)がいます。最初は、彼の行動を疎んじていた朝廷も、後に彼を認めて、東大寺の大仏造営の勧進役に起用しました。

 宗祖弘法大師も、大学在学中に求聞持法(ぐもんじのほう)に出会ってから仏教への思いが強まり、修行僧となって山野を行脚され、瞑想を行われたといわれています。
正式に朝廷の下で得度したのは、諸説ありますが、二十歳の時というのが通説です。あるいは、遣唐使になるためにぎりぎりになって三十一歳の時に得度したという説もあります。
 仏道の精神からいえば、本来なら官僧でも私度僧でも関係はないのかもしれません。日々の生活を律し、人々のために役立つ行いを積み重ねることが、行者のあるべき姿であると思います。
流転三界中 恩愛不能断
棄恩入無為 真実報恩者
 (るてんさんがいちゅう 
  おんあい ふのうだん 
  きおんにゅうむい
  しんじつほうおんしゃ)
 この偈文は、得度式の際にとなえるものです。現世への未練を断ち切り、出家して仏道に精進し、恩を受けた人に報いなさい、という内容ですが、同様に葬儀のときにも用いられます。
 出家者、あるいは亡くなられた方の頭に剃刀を三度当てて、導師はこの偈を誦ずるのです。

 観音院では、世の中の人のために尽力される聖を育てるために、僧侶養成講座を開講しております。
広島道場はもちろん、東京道場でも開催しております。仏道を修めたい方、仏様と縁を結ばれたい方は是非、観音院で得度式をお受けください。職員一同、心よりお待ちしております。

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