戦争は無辜の民を必ず殺生するものです

非暴力と言えば、インドのマハトマ・ガンジー(一八九六~
一九四八)です。この原稿を口述している一月三十日に暗殺さ
れました。人種差別反対、非暴力主義、宗教間の融和を願い、
ガンジーは近代の弊害に対して、道義の力、精神の力という
アジア思想の重要性を説きました。そして、イスラム教徒の
凶弾に倒れたのです。宗教の融和が、イスラム教徒にとって
侮辱と受け止められたようです。
 湾岸戦争でテレビゲームのような光景を見ましたが、無人
航空機が標的を探索して攻撃するのは大変に怖いことです。
核は拡散の傾向にあり、各国の国家指導者の考え方が問われ
ています。(法主さまのお話を田川純照が筆記しました)

 日本は礼節が保たれ、質実勤勉であり、国民全体の識字率も高く、
欧米諸国に追いつく努力をしていました。
 維新、富国強兵から大戦、そして敗戦。廃墟と化した都市、占領
軍の進駐、新憲法の制定。不戦の誓いから再軍備とも思える自衛隊
の保持、戦後の商工業の驚異的な発展、肥大した経済の破綻。
 そして失われた十年。気がつかない間に、経済の制度や仕組みが
変更されていたのですから、将棋をしているつもりが実は碁をして
いる、このことを理解していない人々や会社、金融機関、もしかし
たら政府も日銀も皆さんも知らない内に異常気象のように社会構造
が変化していたのでしょう。
 これらは日本だけではなく、地球的規模の変化と考えるべきでし
ょう。
経済が良くないのは、世界中の国々に起きている現象で、日本は
世界一の好況であっただけに、落差を大きく感じているだけのこと
です。

 私(鈴之僧正)は、観音院の運営に直接に関与する立場ではあり
ません。しかし、常に、寺のこと、信徒さんのことを考えて、考え
尽くして、寺にできる奉仕、寺の役割、僧侶の現代的戒律を提案し、
透明性を磨き、住職や職員たちの相談にも乗り、問題点を整理し、
他の宗教法人に無いものを創り出すことに専念しています。
 同時に信徒さんが何を求めておられるか徹底して聞いています。
改善すべき点も多々知っていますが、費用対効果も比較し、調和も
考えなくてはならないと励んでいます。
 私は収入を大きくするとか、剰余金を増やそうという発想はあり
ません。観音院の財務は通常一億円の九十五%乃至百五%を費用と
して支出するよう、塩梅(あんばい)をとっています。五%の±で
考えるのは大変難しいことです。
 経費の節減は、十五年くらい前に話し合って、諸手当は自発的に
三十%カット、私自身は八十%カットしました。厚生年金が約二十
万円、総額七十五万円の税込み所得がありますが、出張費や接待費
などは個人で支払うよう心掛けています。貯金なんて考えてもいま
せん。
 支出には、個人と法人のどちらに属するか判別が難しいものが
ありますが、グレーなものは全部サッパリと経費には致しません。
昨年は十五回、三十日はホテルに宿泊していますが経費にしたこと
はありません。接待費なんて頭から個人負担と考えています。
 本来なら、満足していますので、手当など不用なのです。奉仕の
精神が根本だと思って寺に二十四時間います。

 お寺さんが運営のことなど考えてと批判をされるなら弁明があり
ます。
 寺院は公益法人ですが、法人であれば財務諸表の作成は不可避で
所轄官庁からみれば経済機構の一つです。
 観音院は、日時決算を几帳面にしていて、県と税務署に三月決算
が済むと直ちに届け出ます。三月末の決算翌日には届出書類は完成
しています。
 貸借対照表と収支計算書は日々作成していますので、絶対に悪事
は不可能にしてあります。かつ、万一、不正があるとしたら、その
不正の金額の倍額を私が寺に振込みます。かつ職務を公正に処置す
ることを保証する金額は約束ではなく、予め寺に供託しています。
 不正を防止する制度として、経理を公開し、常勤監事を置き、
不正を埋める供託金が用意してある法人は商業法人でも聞いたこと
がありません。
 たかが経理くらいのこと、では済まされません。私にとっては、
公正な帳票の作成と経理の公開は、理想の実現だと生涯の目標のよ
うに考えています。運営については税務署と同じ厳しさで判断する
ことにしていて見解の相違などはあってはならないことです。

 観音院には立ち入り禁止の場所は、電力関係のキューピクルと
カラーコピー機の場所だけです。金庫は有りますが防火用だけで、
番号は七三三です。証書類だけで現金はありません。
 ご希望であれば、私の部屋でも住職の部屋でも施錠してありませ
ん。どなたでも出入りできます。部屋に施錠することは厳禁となっ
ています。

■戦争はこの上ない殺生(せっしょう)です。殺生は人を殺傷
 すること、ものを粗末にすること、金銭を浪費することです。
 金銭の貸借、金利なども殺生に準じます。
「殺生」の範囲を広げ過ぎることも、殺生です。

■公益法人で多額の手当を得ることは組織にとって殺生。
 使い込みも殺生。不渡りを出すことも殺生。
 他人の心を傷つけることも、殺生に準じること。
 戦争反対、死刑制度反対は当然のことです。

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2003-03-2

 一市民として生きることにも幸せも
     誹謗中傷と毀誉褒貶に関わらないこと

私(鈴之僧正)は、立身出世というような、私自身の能力とかけ
離れた欲望を持たなくて良かったと、過去を振り返ってみて思いま
す。観音院の住職を引退しようと考えたのは四十五歳頃、それから
五十歳を目標として準備して、結局は五十二歳に希望を叶えること
ができました。
 役員さんに恵まれて、どなたにも反対されなかったのは幸せなこ
とで、責任とか、役割とか何も追求されませんでした。もしかする
と「もう引っ込め」と、皆さんが願われていたとは思いません。
 それからもう直ぐ二十年ですが、まさか、もう死ね、と思われて
いる方も無いようで、最近は、あからさまに長生きをして欲しいと
言われて、風邪も引けないのは不自由なことです。

 毎月、四百字詰め原稿を口述を含めて五十枚くらい書いて、ぼつ
ぼつ三十年になります。年間五十日くらい出張して、時々信徒さん
の前で話をして、毎週テレホン法話を吹き込んで、大きな病気もせ
ず、どちらかと言うと五十二歳の引退時より現在の方が元気です。

 引退したら、何処かで小さな寺でも拵(こしら)えようかと考え
ていたのですが、思うようにはならないもので、ずるずると今日に
至りました。
 おおかた七十にもなりましてパソコンなんか使っておりますと、
不思議なような顔をされまして、意外です。
 何でも扱えるように錯覚されていますが、最近はヤフーのADSL
を引いて、東京の事務所にもBBフォンを引いて、会員間の電話は
劇的に低廉(ていれん)と言うより、ただになりますので、そのよ
うに考えて、皆さんに喜んで貰おうと考えています。
 携帯電話番号を発表しても良いのですが、夜は早く寝ますので、
それは、勘弁してください。パソコンのキーならまだしも、電話の
iモードは未だ余りなれておりません。
 しかし、iモードは粗略に出来ません、携帯電話の発展は、近い
将来にはパソコンに取って代わるのは時間の問題と考えています。
私自身、カメラ付きの携帯電話を持たされていて便利です。
 パソコンのEメールにはウイルスが毎日のように数十通は来てい
て駆除するのが大変です。

 観音院のホームページも、携帯にネット対応機能が付いて即座に
対応し、大きな効果を上げています。
 人生もそうですが、インターネットも同じで、サーバー管理者は
超有名人ですし、画像処理はカンヌ国際広告金賞を取った人などに
面倒を見て貰っています。自分一人でやろうとしたら何事もできま
せん。私の大切な友人です。今日までに多くのITベンチャー企業
と出会いました。多くは挫折し、現在も立ち上げに協力しています。

 私は、凄い人だとか、三十歳は若い、とか実力以上に評価されて
います。
 実際には、人様の前で話す時もこの原稿を口述する際も前もって
勉強をしませんし、原稿も要旨もメモもありません。ありのままの
私で、一市民であることと、栄誉も地位も立場も考えません。気楽
に思い付くままに話していて論理一貫せず隙だらけです。
 誹謗中傷も毀誉褒貶も舌禍も筆禍も考慮しません。失うべきもの
は何もありません。

 そもそも隠居とは言え、僧侶を出家したくらいの気持でした。
以後、喜怒哀楽を同時に受けることが多く、そのようなことに関心
を失いました。人は煩悩多く、欲望に満ちています。その善悪を
判断しません。み仏さまの加護で皆さんの欲望がストレートに成就
(じょうじゅ)されることを熱心に祈っています。
 四苦八苦などはとっくの昔に解脱(げだつ)しています。欲望
なんか何もありません。
 人々の苦悩を自分の苦悩とし、人々の喜びを一緒に喜んでいる
だけです。
済んだことは、過去のことは良い事も悪いことも全て忘れてい
ます。他人から受けたご恩も愛情も覚えていません。親の恩なん
て言う前に比較にならない、み仏さまの大きな御恩があります。

 体調さえ良ければ五体の存在なども完全に気にもならなくなり
ます。誤解を恐れずに言えば、私は何も無い状態に私を置くこと
が可能です。
 普通の感覚で現代の言葉を話す私と一切の欲望を解脱し、一切
の苦悩を解脱した色々な人格を持っていて、人と面談すれば、
その人に対応する私が表面に出てきます。
 ともあれ、私は、皆さんの何かのお役に立つだけのために存在
していて、他に目的は一切ありません。
 どなたかとお会いしている時は、その人のお役に立つことが全て
で、他のことは一切、寺のことも何も考えないようになっているの
です。
 み仏さまよりも周囲の人よりも私自身よりも、その人の立場で
考えます。
 そのように在ることが私の立場であり、言語で説明するのは
無理です。

■他人の評価はとても大切です。思い上がりで自己を
過大に評価すると、二階に上げられて梯子をはずされ
ます。謙虚にどのような仕事でも最善を尽くしてやる
と良いですね。なすべき事が大切。

■例えば便所掃除に誹謗中傷も毀誉褒貶も関係はあり
ません。私は評価されたり褒められたりする仕事は
あまり好みません。誰にもできる易しくて平凡で
簡単なことに全精力を上げてしています。

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鈴の法話 2003-03-3

 品質にはこだわらないで、清潔に志すこと
   臭いや口臭、粗雑さによって僧侶の資質を問われる

清潔な心と清潔な行動、清潔な身体が望ましい僧侶の日常です。
難しく考えないで日常から清潔に心がけることです。
 例えば、毎年晩秋にインフルエンザの風邪の予防注射を受ける。
外出から帰ると手を薬用石鹸で良く洗う、イソジン等含嗽水で口を
良く漱ぐことなどです。ここで絶対に間違ってはならないことは、
病人を避けるということではありません。

 臭い便所は不愉快ですが、自ら進んでその便所を掃除する心掛け
がとても大切です。便所の臭い施設等の職員、便所の臭い家の家族
は、心掛けを正して清潔な便所を維持してください。
但し他人の家まで押し掛けて、便所を掃除させて欲しいとお願い
するのは勝手が過ぎます、自分の修行のために、知らない人の家に
上がり込むようなことは止めて、公園とか公衆便所などで掃除する
と良いでしょう。

 お寺の便所の臭い場合は、其処に居る僧侶が臭い、ビッタレであ
ることを示しています。このような僧侶の来世は糞便塗れの糞壷の
中でしょう。観音院の僧侶が来世で糞壷の蛆虫であってはならない
と切実に願っています。
 観音院に来られて、便所が臭かったり汚れていたら教えてくださ
い。即座に対応させていただきます。観音院は皆さんのお寺ですか
ら、この寺の欠陥は、皆さんの来世に直結します。どうぞ叱咤激励
鞭撻をお願い申し上げます。

 衣服の清潔、寝具の清潔、靴の清潔、顔や身体の清潔等も大切な
幸せの条件です。私には、清潔について個人秘が無く、箪笥の引き
出しも洗濯物も私自身も、自分の勝手とは考えていません。
 靴の清潔は、乾燥と除菌です。人間も細菌が繁殖すると臭くなり
ます。歯周炎も胃腸が悪くても、臭くなります。
 人には体臭があって当然です。臭さには対策があります。病気は
治療すること、嗽(うがい)や手洗いは風邪予防に当然としても、
除臭には医師の治療や除臭剤、脱臭材の使用が不可欠です。

「炭」は優れた脱臭効果をもっていて、洗えば何度も使えます。
冷蔵庫や箪笥など、部屋のあちこちに網袋入り炭を置くと、大きな
効果があります。
 大蒜(にんにく)料理を食べたり、アルコール飲料を飲んだ後は
ブレスケアという小林製薬の良い薬があります。
 真菌繁殖などの悪臭には水虫の薬を薄めて使うと効果があります。
 私は香料に好みはありませんが、強いて言えば、日常、み仏さま
と一緒ですから伽羅(きゃら)系になります。
 タオルや布巾は一度使用したものは洗濯熱風乾燥して、そのまま
では二度は使わないのが観音院の決まりです。
 寝具等のカバーは来客の都度クリーニングに出しています。食器
類も定期的に点検し、マイセンなどの良いものを供用するよう心掛
けています。
 これらの多くは寺を運営される評議員さんか監事さんのご意向に
よるもので、私の嗜好とは関係がありません。
 プライバシーを持たないことは、個人の嗜好(しこう)を抑える
ことにつながります。
 ですから、私の衣類は勿論、靴下、下着に至るまで、信徒さんの
選択です。利用するホテルからレストランに至るまで指定されてい
まして、私個人では選択できませんし、する気もありません。
決して、不愉快な所はありませんし、嫌なものを着せられたり、
嫌なものを食べさせられたこともありません。

 健康については、定期的に検診を受ける、食事についても個人の
嗜好は全くありません。常勤監事の意向通りです。
このような組織の種を蒔いたのも育てたのも、私ですから従うのが
当然です。
 嫌な臭いには、病気だから治療しなさいとか、掃除をしなさいと
忠告を出しているのです。好ましい匂いは清潔とか健康、幸せなど
を示しているのです。
 清潔である上に良く整っていると良いですね。洗濯済みでもアイ
ロンを掛けると綺麗に見え、手触りも好ましいと感じます。柔軟剤
も必要です。
 勤労の結果の汗の匂いは、良い人間関係をもたらしますが、汗が
酸化されて臭うと、人間関係に距離や飽きが来る、運が悪くなりま
す。
 得度や修法等の仏教の重要な行事を行うは、斎戒沐浴(さいかい
もくよく)します。身体や髪を洗って綺麗にするのは、沐浴だけで
結構ですが、斎戒(さいかい)には身体の状態を調節し、精神を浄化
しておく意味があります。
 斎(さい)は、心の不浄を浄めることで、戒には身の過ちを戒め、
飲食や体調、動作を清めることを意味します。
日常生活で言ってはならないことに「誰々は臭い」ということで
す。実際に体臭やイジメなどで悩んでいる人もおられ、深刻な悩み
で、本人も家族も悩んでおられる場合があります。もう一つは犯罪
を犯した疑いを「臭い」と言う用語法があるからです。臭い人に
「臭いが」と言えるのは、共に信頼し愛している関係だけです。

■汚れた衣服が平気な人は、僧侶に向きません。糞掃衣は僧衣の
 ことで、本来は、糞塵の中に捨てられた弊衣(へいい)を洗って
 縫い合わせた粗末な衣服が正式な僧衣だったのです。
 洗ってあることが鍵です。

■清潔と整理整頓は、僧侶の大切な心掛けです。整理しなければ
 ならないほどに財産を持つことは、僧侶の立場としては不可。
 観音院の財産は、全て信徒に帰属すると考えて、運営と経理は
 公開です。