信仰の不可思議

寅さん
突然ですが、「不思議」と「不可思議(ふかしぎ)」の意味は違いますか?
ご隠居
意味に違いはない。不可思議は、不思議をていねいに言ったまでで、佛教用語では不可思議のほうを用いている。
で、寅さんは、何が不可思議なんだ?
寅さん
うちのカミさんと一緒にたとえばデパートなどへ行こうとしますね。すると、家を出掛ける寸前のカミさんは、妙に鳴りをひそめて物音ひとつたてない時間があります。その間、彼女が、どこでどう、何をしているのか、その謎に包まれた動静が、どう考えても不思議でなりません。
ご隠居
あれはたしかに不思議だな。この世の中には、よく考えれば分かること……可思議と、今の話のように、外出十五分前の女性の謎の時間のように、どう考えても分からない不可思議があるな。
とくに宗教には不可思議が多い。
また、その不可思議なところに宗教のえも言えぬ不可思議の魅力であって、人間はその魅力にひかれて身も心も法悦感にひたる、それを私たちは信仰と呼んでいる。
したがって、不可思議の申し子ともいうべき信仰というものは、そう簡単に解明することはできないし、また、他人が個人の信仰をとやかくあげつらうものでもない。
寅さん
そうはいっても、信仰というのは、どこから根ざしてくるものなのか知りたいですね。
――信仰の正体――
ご隠居
信仰というものは、自分の能力の限界を知った上で、人間をはるかに超えた超自然的なものに憧憬(しょうけい)し、それを信じたい、またそれを信じようとする人間の知性と情念から生じた心の綾(あや)、とでもいったら、信仰というものの本質を多少は言い当てているかな。
とにかく宗教というものは、事をわけ、順序だって説かれてみると、思議することが可能なようであって、もうひとつよく分からない部分があり、分からないようでありながら、すうっと素直に納得のゆくところもある。
その、分かるようでいて、またよく分からぬ部分に宗教の学問が介在する理由であり、分からないようでいて、なにかの拍子に自分の全身でもってすべて分かったと感じられるのが、宗教の信仰であるとされている。
つまり、宗教学はあくまでも知性からのアプローチであり、信仰は丸ごと感情の体当たりなのだ。
これを佛教の立場からいうと、解(げ・佛教を客観的に知識として理解すること)と、信(当事者として全身全霊でもってほとけの教えを信ずること)といっている。
そして、この「解」と「信」だが、どちらが重要かというと、佛法は「信」のほうが大切であって「解」はその次だ。したがって佛教を知識として理解するものは、往々にして信仰心に浅く、反対に初めから信仰一途でもって佛教に帰依(きえ)したものは、佛法の理解力の点において非常に深いものがあるとされている。
寅さん
佛教を、学問によって理解する人は、なぜ、信仰心の面でとやかく言われるんです?
ご隠居
学問の世界、とくに科学の分野などは、懐疑(かいぎ)、つまり「なぜだろう?」の解明から始まって、研究テーマの周辺にある学術学問を総ざらい詰め込む必要上、どうしても知識偏重にならざるを得ない。
佛教学がそのよい例で、膨大な資料に埋まって経・論などの研究に取り組んでいると、そのことのみに追われて、肝心の信仰のほうが二の次にされるからだろう。
その点、信仰一筋の人は、理解の面に多少かけるところがあるかもしれないが、佛教を信ずることによって得る福徳というものは、はかりしれないとされている。
いずれにしろ「信(しん)」と「解(げ)」が両方とも完全であるにこしたことはない。この信仰と理解の一致したものこそ、真実の佛法(ぶっぽう)を会得(えとく)できるとされている。
たとえば過去世のこと、未来世のこと、因果業報のこと、神佛存在のこと、これらは普通、私たち人間の智恵や能力でもっては、とても考えの及ばない領域の問題のはずだが、ひとたび、それを篤い信仰心によって信ずるときは、意外にたやすく心に思い描くことができそうな気がする。
このように、ほとけの教えを素直に、積極的に理解しようとする気持ちが強いから、いわゆる学問によって修めた知識・理解度と、信仰によって培(つちか)った佛教の理解とは、それほど差異はないようでありながら、到達点に大きなへだたりがあるといわれているようだ。
――人智の不可思議――
ご隠居
さて、不可思議にも段階がある。いわゆる無知、幼稚の不可思議と、人智の不可思議、佛智の不可思議、そして絶対の不可思議の四段階の不可思議だ。
無知、幼稚の不可思議とは、可思議—-物事の法則的なつながりを順をおって考えれば簡単に分かることも、無知なために、なんでも不思議がってしまうたぐいだ。
次に人智の不可思議とは、私たち人間の思考の範囲はおよそタカがしれている。その他の大半は、いくら考えてもわけの分からないことによって占められている……
寅さん
でも、今は科学技術の進歩によって、これまで未知であった分野も徐々に解明されつつある。
ご隠居
たしかにサイエンス・テクノロジーの領域はそうかもしれない。しかし、どんなに偉い学者といえども、自分を含めて人間に関することについては何ひとつ分からない。
たとえば、目の前で話あっている相手の意中もそうだし、一瞬先は闇というように、すぐあとに何が起こるか、これまたまったく予知できない。まして過去、未来のことなど、とても人智でもっては知ることなどできない。これが人智の不可思議ということだ。
次に佛智(ぶっち)の不可思議だが、これは菩薩(ぼさつ)の位に達し、六神通(じんつう)八解(げだつ)〔菩薩がそなえる六種の超人的な能力と、三界(さんがい)の煩悩(ぼんのう)のいましめから解脱して涅槃(ねはん)に至るための八種の禅定〕を得た人にあっては、人智において不可思議といえるところのものも、すべて手に取るごとく理解できるが、さらに一歩すすんで究竟円満(くっきょうえんまん)なる佛智(ぶっち)にいたっては、声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩といえども、それをうかがい知ることができないとされている。
つまり、菩薩や声聞、縁覚の境地(きょうち)にたてば、我々人間世界、三界六道のことは現世からあの世にいたることまですべて分かっているが、もう一つ奥深い佛智にいたっては、どうしても思いはかることのできないものがあるというわけだ。
だから舎利弗、目連のような聖者でさえも、佛智—-お釈迦様のみこころはあまりにも深くて、その法弟(ほうてい)である私たちの浅い智慧では、とてものことよく思議することができないと嘆げかれた、ということだ。
それくらい、ほとけはこの世からあの世のこと、はたまた過去、現在、未来のことにまで通暁(つうぎょう)されて、およそ思議すべき分際(ぶんざい)は、佛智においてことごとく思議し尽くしておいでなので、ほとけはそれ以上お考えになることはない。
――ただ尊きに涙こぼるる――
寅さん
思議の分際?
ご隠居
そうだな、佛がお考えになる範囲といったらよいかな。
つまり十界三千(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界の迷界と、悟界の声聞、縁覚、菩薩、佛)の諸法のことだ。
さて次の、絶対の不可思議とはまさにそれは絶対だから、これを真如(しんにょ)—-佛法の本体で常住不変の絶対真理であるとする。
そのゆえに、ほとけは、これを「妙」とお説きになった。妙(みょう)とは、言葉をかえていえば不可思議のことだ。
このように人智の可思議—-つまり自分自身よく分かっているつもりの考えというものは、じつは一人よがりの妄念にすぎないが、聖者の可思議は、あくまでも真実そのものを見つめ、お考えになる。
また、人智の不可思議は、なんだかよく分からぬ曖昧模糊とした不可思議だけれど、聖者の不可思議は、すべてを見通したうえでの論理的な不可思議であるゆえに、我々のようなまみの人間には、ちょっとはかり知ることのできないものがある、ということだ。
したがって可思議と不可思議は人によってそれぞれ個人差があり各人の精神の到達度に準じて不可思議の性質が変化する。だから、佛教の不可思議を思う場合、何をもって不可思議とするのか、よく考えてみる必要があるようだな。
最初に言ったように、信仰というものは、人間の知性と情念とが一つになり、超自然的な存在である神佛に対して心のまことを捧げ、あるいは現世(げんせ)の利益(りやく)をお願いする。こう考えてまず間違いなかろう。
寅さん
それだけです? まだほかにも何かがありそうですが。
ご隠居
こまかに分析すればそう単純ではないが、つきつめて言うと祈祷(きとう)とか供養の宗教的行為、これが信仰というものの本質だろう このことをずばり言い当てた言葉がある。

  

なにごとの おわしますかは知らねども ただとおときに涙こぼるる

手を合わせ、みほとけのお姿を伏し拝み、ただただありがたくてなんともかとも言い表しようのない感情のほとばしり……これこそが真の信仰というものではないだろうか。

子に乳も与えないような、ふしだらな母親が報いを受けた話

日本霊異記

越前の国加賀の郡(こおり)に横江臣成刀自女(よこえのおみなりとじめ)という女人がいた。

生まれつき多情で、だれかれの見境いなく、男と情を通じる淫奔な女だったが、どうしたわけか、女ざかりにもかかわらず、ふとしたことで亡くなった。

そのうえ、そのむくろは長い間放置されたままであった。

さて、紀伊の国名草の郡に寂林という法師がいる。

寂林は故郷を離れて諸国を経めぐり、法を修し、道を求めながら越前加賀にたどり着いて、そこへしばらく止住していた。

称徳天皇崩御(ほうぎょ)のあと、平城宮に光仁天皇が即位された宝亀元(七七〇)年のことである。

冬、十二月二十三日の夜、寂林は夢を見た。

寂林は、大和の国斑鳩にある法隆寺前の路を東へ歩いている。

その路は広くて鏡のように平らで、大工道具の墨つぼで線を引いたように、まっすぐ整然としていた。道端に茂みがある。

ふと、立ち止まって覗くと、草むらの中に、見るからに豊満な肉づきの女がいる。女は肌もあらわに、首うなだれてうずくまっていた。両の乳房は腫れて、土饅頭の形をしたかまどのように垂れ下がり、その乳首から膿血をしたたらせて、苦痛にたえぬように、「乳が痛い、乳が痛い」と、うめき苦しんでいるのだ。

そこで寂林が聞く。

「汝はどこの女か?」

すると女がいった。

「私は、越前加賀の郡大野郷は畝田村の横江臣成人(なりひと)の母です。私は自分の器量をよいことに、幼い子どもたちの面倒などそっちのけにして、男を取っ替え引っ替え淫逸の日々を送ってきました。だから、子どもたちに乳を飲ませることが後回しになり、子の中でも一番年下の成人には乳を与えず、ひもじい思いをさせました。そのため前世で、幼い子を乳に飢えさせた罪によって、今このように乳房が腫れる病の報いを受けているのです」

と。

「どうすれば罪を免れるのか?」

「それは、成人が今の私の苦しみを知ったなら、この罪はゆるされることと思います」

と女がいう。

そこで、寂林は夢から醒めた。

寂林は、その不思議な夢のことが気になって仕方がない。

思い余ったすえ、夢の中で女のいう畝田村を訪ねることにした。

村里を行くと向こうから男がやって来たので訊ねる。

「この村の横江臣成人という人を知りませんか?」

すると

「私がその本人です」

といったから、寂林は自分が見た夢の一部始終を話した。

成人は

「母のことは、私がまだ幼児の頃だったのでよく分かりません。ただ、私の姉なら、あるいは知っているかもしれません」

というので、さっそく姉に会った。

「法師さまのおっしゃる通りです。私たちの母は容姿にすぐれ、いつも男に言い寄られてはふしだらな関係をつづけ、家を外に男あさりに日も夜もない状態でしたからたとえ乳飲み子が泣いても、まったく知らん顔の情のなさでした」

でも、いまさら薄情な母を怨んでみても、どうなるものでもない。

やがて成人が静かに呟いた。

「そんな母でも、母であることにちがいはない。どうして産みの母がそのような苦しみを受けているのを見過ごすことができよう」

と、子どもたちは佛を造り、お経を写して、亡き母の罪のつぐないをしたのである。

成人たちの母のねんごろな法事も終えて、しばらくしたある夜のこと、寂林法師は夢を見た。夢の中にあの母が現れて言った。

「やっと私は罪を免(まぬか)れることが叶いました」

と。