今年原爆の日の感想

【院家さん】 両親には絶対服従で亡くなられるまで孝養の限りを尽くしました。

死ぬ前には無茶苦茶な要求もありましたが、それも無条件で従いました。

考えてみると年寄りの要望ぐらいは、別に叶えて上げるくらい大した苦労があったと思いません。せいぜいあの店の出来たての中華蕎麦が食べたいと言う程度です。雪中の筍【せっちゅうのたけのこ】を求めるような事も御座いませんでした。

原爆の落ちた時は、一面死臭漂う瓦礫の延長で立派な鐘つき堂も本堂も庫裡も、何も無くなった。祖父は火傷で八月三十日に遷化、父親は腰を痛め、母親は火傷して腕が曲がらなかった。

家族は凄まじい下痢に苦しんでいた。すぐ下の弟は行方不明、妹は衰弱死、とにかく何も無かった、人も居なかった。私は母方の祖母に僅かな食料を無心に再三行った。その後現住職の寛恵僧正が被爆二世として生まれて来た。

十三歳の私は、両親と家族を扶養するために、辛酸を舐め尽くした。寛恵は氷の配達をしながら学校を出た。

【寅さん】 現在の観音院があるのは、長老さん兄弟の辛酸の結果だな。

【院家さん】 ともあれ、先代が七十六歳で遷化されたので私が推されて住職になった。死ぬのを覚悟で毎日読経に明け暮れた。大晦日の晩に後ろを見ると、参詣者が本堂に溢れていた。寛恵を教育して僧侶とした。私が五十二歳で引退、三十七歳の寛恵を住職とした。八十二歳の今日の至るまで住職を支えてきた。

今年の二月に礼華と婚姻し、頭が良いので相談相手として適任だと思って居る。その礼華は、八月二十三日に高野山に行って得度し、度牒を得て来年約百三十日を専修学院の尼僧部で研鑽することを計画している。

【寅さん】 薄々は感じていたが、長老も寛恵僧正も大変な苦労をしていなさる。「不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不貪欲、不瞋恚、不邪見」十善戒は何よりも大切にして居られますね。

【院家さん】 借金皆無、博打嫌い、投資嫌い・商才皆無で、毀誉褒貶は屁とも思って御座居ません。

【寅さん】 そう言えば誰かが言ってたな、「怖いものは一に女性、二に税務署、三に警察」。長老さんは女性に対して誠実だし、経理は公開してるし、おまわりに捕まるような悪事は絶対に為されないな。

【院家さん】 それにしても上手い具合に行ったものだな。「いたわり慈しみ思いやり相手の立場で考える」が効いたかな。

【寅さん】 最近は院家さんは般若心経を読誦しながら腕輪念珠を作っておられて、その根の詰めようは常人では真似が出来ないな。あれ全部、信徒さんに無料で差し上げるのですね。

【院家さん】 腕輪念珠を作って「いらんかえ!」と配って歩いたりはしないよ。

縁がある人に上げている。あの腕輪念珠は七福神が七列一万人来られるほどの御霊験がある。