広島の観音院にいます

【寅さん】 院家さんの名刺はとても謙虚だと思うよ。広島の観音院にいますと言う事ははもしかしたら出て行く事も有るという事かな。

【院家さん】 いや、そんな深い意味は無い。観音院に居るから居ますと書いているのだ。洋服を着る事が多いので、わざわざ僧侶でございますと書いている。

名前にはYUKIHIROと読みを付けているのはホテルに宿泊する時などにカードと同じだと便利だから幼名のままにしている。僧侶としてはKANYUUと呼ばれている。子どもの頃は「ゆきちゃん」
と呼ばれていた。今でも昔の事を知っている人は「ゆきちゃん」とか「ゆきひろさん」と言っている。

【寅さん】 これでは彷徨えるお坊さんが、たまたま観音院に寓居を据えていると誤解されますよ。

【院家さん】 いや、その見方は正しいかもしれない。何かの御縁が有って観音院に居させてもらっていると言うのが正しいと思うよ。
観音院に生まれて来て、住職を世襲したけど五十三歳で住職は引退した。

【寅さん】 あれには皆さん驚いた。何と言っても早すぎる。何故かと檀信徒さんは怪しんでるよ。

【院家さん】 実はね、観音院は弟が継ぐと決まっていた。だから親の希望を早く実現したわけで他意は無い。だから他所の寺から養子の話が良く有った。何故か養子に行くような気持ちは有りませんでした。両親の希望とは別に兄弟の話し合いで私が
観音院を継いでくれと頼まれていた。物凄い貧乏寺だったからな。普通の人なら住職にはなりたく無いだろう。

【寅さん】 何で寛恵さんは僧侶になられたの。どこかのスーパーだったかな。立派なスーパーバイザーとして勤めておられたよな。

【院家さん】 社会人としては寛恵さんの方が私より余程出来ているな。でも、寛恵さんが僧侶になりたいと帰って来た頃は観音院は大膨張の最中で社会人より僧侶の方が楽だと思ったのではないかな。
それとも両親の希望を思い出したのかな。僧侶として私が相当苦労しているのを見ていたから、楽だからと考えて僧侶になったのではなく、手伝ってあげようと考えたのだろう。

【寅さん】 観音院は世間から「フランス大使館」の様に瀟酒だと言われる事がありますよ。

【院家さん】 寺を建てる前にねチベットに見学に行って参考にしてね、なるべく無駄が無いように考えて、そして頑丈を旨として設計した。だから観音院は雑草が生える隙間もない。大きな寺だが受付の奥を住居にすれば1人のお坊さんで管理できるようになっている。

設計にあたり日本のお寺は何処も参考にしなかった。木造の寺は焼失したり、シロアリが喰ったり、地震で倒れたりする。現在の建物は頑丈の上にも頑丈で建て替えで信徒さんに負担を掛けずに済むように出来ている。

【寅さん】 確かにフランス大使館とは誰も思わないな。こんなに沢山のお坊さんが居られて、毎日三度もお経が唱えられている。従来の木造建築の寺院様式よりはお寺さんらしい。

【院家さん】 良く考えて見ると、よそ様と比較したり競争する考えを全く持っていないですね。

この前新聞で読んでいたが、日本人の男性の平均寿命が八十・一二歳と有ったけど、私は精々六十歳くらいまで生きれば良いと思っていたので、何だか法外に生きさせて貰ったような感じですよ。
観音院は厚生年金に加入しているので二月に一度、三十六万四千六百八十三円の厚生年金を貰っている。

もしかしたら掛けたお金よりは支給されたお金の方が多いのではないかと心配しています。長く生きると若い人に迷惑をかけると思っていますが、一度遠慮しようと言ったら「長生きされる事は祝うべき事ですからご遠慮なく」と断られた。

【寅さん】 院家さんはとても裕福に見えますよ。

【院家さん】 冗談じゃない、お金の事は考えないが、裕福とは程遠い。

【寅さん】 雰囲気が裕福に見えるのは院家さんのオーラみたいなものかもしれない。

【院家さん】 オーラときたら仕方ないな。僧侶は「乞食」と言ってね、「こつじき」と読むけど、本来は皆さんから食べ物を貰って生きている「こじき」が有るべき姿かもしれない。多くを望まず与えられるだけで満足し、信徒の皆様には心から感謝してございますよ。

【寅さん】 観音院が何故大きくなったか分かるような気がする。「毎日拝んでいたらある年の大晦日に後ろに人が一杯おられた」という話は何度も聞いたが、自然体でこの様になられたのだな。

【院家さん】 大きいとか小さいとか、物事を比較して考える事は無い。自分が為すべき事は無い。自分が為すべき事を淡々としているだけだよ。

続きは、月刊観自在 平成26年9月号

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