法主さんは、東京へは大体一ヶ月に一、二度くらい、滞在は三日か四日です。それ以外にも名古屋や大阪など、暖かい春になり桜が咲いて出歩くのが少し楽になられたそうです。
娯楽とか、遊びが無いので、建物ならきちきちで建ちません。聞いた話では過去二十年か三十年に待合せで五分遅れられたことが一度だけです。
ご自分の時間も大切にされますが、世間さまの時間も大切にされのす。 法主さんが一番大切にされているのは、瞑想(めいそう)の時間です。頭にある一番大切なことは間違いもなく「不殺生」です。
争いや戦争を回避する、情有るものを人為的に殺さない、報復の倫理とか復讐の倫理について敏感です。
最近のイラクの現状やイスラエルとパレスチナの紛争、台湾や韓国の政情も、日本海にアメリカのイージス艦配備なども心配されています。
政治にも多少の興味は持たれていて自民党と民主党の合併を望まれていて、それでいて、平和憲法護持派なのですから矛盾だらけす。ご本人は決断する立場にないから自由だそうです。
それにしても、タイやフィリピンなどのイスラム過激派の分離独立運動はとても難しい問題です。日本は良い国だそうです。分離独立を主張する人たちは沖縄にも北海道にも四国にも九州にもおられないように思います。
日本人は、ある意味では、宗教色が希薄で、渾然(こんぜん)一体化して平和的に共存していますね。
東京都などでは葬儀に際して、家の宗教も知らないし、特に僧侶とも付き合いが無い人で、葬儀社に任せて適当に探してもらう家族がたくさんあるそうで、団塊の世代では僧侶の数が足りないと言う調査資料もあって、だから法主さんが僧侶の養成を考えておられる動機の一つになったそうです。
法主さんは、「僧侶の心の持ち方」に強い関心を持っておられます。単なる教義の理解と所定の修行だけでは、相手にもされません。聖者と言われるような「ヒジリ」の心の有無を問題にされています。
聖者とは、どのような人格でとしょうか、一般の宗教団体が付与する大僧正とか中僧正のような団体内の呼称でもありませんし、年功も序列も負担金も有りません。
社会の皆さんから聖者として認知される「衆望」のようなものです。
生涯を聖者で通すことは不可能で、まずは社会的成功が必須条件です、それから聖者を目指すといいですね。
人生の半分で苦労し、社会のことに通暁(つうぎょう)し、生活を安定させて、そこそこの財産を有し、それから聖者を目指すのが良いですね。
聖者に生産性はありません。家族を養うことは、多分困難だと思われます。法主さんのご尊父は聖者でした。
ご尊父は生涯に一度も嘘を吐かれたことがなかったそうです。法主さんは少年期に書生として大学教授のもとで働いておられれ、その法主さんの苦労を知る人々は、原爆で壊滅した市内で毎日が穴を掘り瓦礫を埋めて焼け跡の整地、そして夜学に通学し、勉強は駅の待合室だったそうです。
このようなご生活の中にどのような希望が持てたでしょうか。二メートル四方、深さ二メートルの穴を掘って、一メートル半の深さに瓦礫を埋め、五十センチの土を被せる、雨の日は泥だらけの少年に見えたそうです。
法主さんは回顧録は書かれないと思います。過去の事の話はお嫌いです。
焼け跡に野菜や麦などを育てる—-、ですから、現在世界の各地の戦争被災地の子供さんについては、とても心配し同情されています。
資産が無い人が聖者をすると周囲に負担や迷惑が掛かるそうです。
聖者であっても子供を手元に置けなかった父親に、法主さんも住職さんも敬虔な孝心を維持されています。
過去を語らない、過去を語れば他人を傷つけ、自らを傷つける。法主さんの言葉ですが、経験に基づいた尊者の尊いお示しだと思います。
お陰さまで観音院の役員会も四月十日土曜日の午後六時から開催されて、無事、平成十五年度決算ならびに十六年度予算も承認されました。観音院は毎年、四月の第二土曜日が恒例の運営役員会開催日です。