分かっちゃいるけど、なかなか病人に成れない

主治医の川本先生に、心臓冠動脈が細くなっているからステントという金属製のパイプ補強材を入れようかという話になって、4月末、土谷病院に3泊4日の入院しました。
 ステントと言うのは文字通りステンレスで編んだ網みたいな補強材で、腕の手首や足の付根あたりの動脈から、細いガイドする針金を入れて、それに直径1ミリから、私(法主)の場合は2ミリと3ミリを心臓に血を送る動脈に入れました。
 痛みは最初に、腕にガイドを入れる穴を開ける時に、チカっとしたくらいで、まあ赤子でも耐えれる程度のもの。
 手術後は入れた穴から出血しないように器具でギュッと締め上げて親指と人差し指に感覚が無くなって、それに造影剤を早く身体から締め出すために8時間くらいかけて点滴しましたが、恐れる事なんか何もありません。
 費用は健康保険1割負担で、ここから先は、よく分かりません。ステント1個はは色々あって単価も大きさも色々あるらしいからです。
 細いステンレスを複雑に編みあげて、長さも太さも色々ある。薬の染み出すものなど色々あって、場所に応じて適当なものを使うらしいです。
 少し不自由したのは半日くらいで、これに味をしめて調べてもらうと、右大腿動脈にもようすがおかしいところが有る。
 さっそく5月に入院して処置してもらうことにしたけど、今度は大分違う、前日から点滴を始め、太い7ミリのステントを入れることになりました。手術に先だって、カテーテルを尿道に入れる。毛剃りをします、と、電気剃刀でさっと剃られて、導尿カテーテルを入れられた。
 後は、心臓冠動脈にステントを入れる時と同じ、問題は足の付根から入れてるから止血が大変、大きな抑え物を血管の上に置いて、腹部からテーピングしての止血。これが様子がどうも変でとても苦しい、尿が出てないのだ、膀胱がパンパンに張って、大変なことになったと思いました。よく観察すると導尿がうまくいってなかった。
 看護師に言いつけて2ミリのカテーテルに変更して貰うと、何と1リットルのシビンが2本も必要なくらい。
 痛みは尿道カテーテルの入れ損ないをテープで締め上げた事だったのです。
 それも翌日には快方に向かった。内出血の跡が2週間くらい残りました。
 造影剤を入れると腎機能に悪い影響があります。
 身体全体が可笑しいので6月、日赤病院に即入院しました。
 これが結構しんどい入院になりまして検査に次ぐ検査、かと思ってたら、しばらく放置される。患者にとっては検査漬けより、放置の方が苦痛です。
 観音院のことは気になるし、信徒さんの事が自分のことより気になります。
 腎臓の方は少し悪いけど自戒次第で天寿を全うすることができるらしい、頭のCTでクモ膜下と頭蓋骨の間に小さな血腫があるけど、頭にドリルで穴を開けて吸い出すほどの事もないらしく、これはとても安心しました。
 病院というものは、大変に騒々しい処でこれには困りました。
 隣室に詳細は知りませんが、何かがあると、大声で騒がれます。要望には病院側も全部は対応できないらしく、日中深夜の大声と壁に響く大きな物音。自室のテレビの音を大きくして、その音で騒音を消して寝ることにしました。
 家族関係が良くないらしく、見舞いが有ると大声になられる、何だかその患者さんが可哀そうに思えました。
 さて、入院の元はと言えば、百日咳をこじらせて、鎮咳剤を服用しながら、車を運転して、一日に三度も軽い対物自損事故を起こし、約60年も面倒を見てくれた自動車にお別れすることにしたのですが、入院して養生して、しだいに元気になると、車とお別れする決心が相当に怪しくなりました。
 私は絶対に事故など起こさぬ自信が有りましたのに不思議な経験です。
 それやこれやで6月の大般若は千田町の日赤の方から遠方からの気持ちの礼拝になりまして、済まないことを致しました。
▼今、一番頭に掛っていることは、山門入口に、身寄りの無い人や供養してくれる人が居ない人のための永代供養堂の設置です。頑丈な金庫を重ねて置いて上段に幅が40センチ高さ60センチの「大日如来像」を二十躯安置し、正面には、私の持佛である薬師如来、阿弥陀如来、阿修羅神をお奉りしようと考えて居ます。その下には、位牌を納める大型金庫二台を設置します。
 今般の入院も先般の土谷の入院も、皆さんにお知らせすることを禁じました。病院見舞いは、時として患者が、見舞って下さる方に気を使うことになりかねません。
 病院従事者も多忙で、一人の患者のために、より多忙になることは慎むべきことと考えているからです。病人は大人しく養生して、早く退院するのが宜しいと常々思っております。
 皆さんに、私のようにしなさいと申しているのではありません。死ぬのが怖い人は呼んで下されば、お見舞いや看取りくらいはして上げます。
 私は生死の境界をあまり気にしておりません。死んでも生きていても、それほどに大きな差はありません。皆さんは、そうはいかないかも知れないと考えています。
 今、日赤病院の6階の病室から市内を見渡していますが、古い建物、新築の集合住宅、形も色も様々、壊される建築物、新築もあります。人間の生涯もこんなものと思っています。
 日赤に居ますと、事故か寿命が尽きかけたのか、毎日のように救急車が到着します。お寺もそうですが、病院も人間社会の縮図です。
 私は今までずっと良いお医者さんに恵まれてきました。人間関係にも極めて恵まれました。これからも、良い人間関係の輪の中で生き続けていきたいと願っています。

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