一日一日を大切にして、皆様の多幸を

私の五十代は住職を譲って長老に就任したり、約七億円で観音院を建立したり、沢山の信徒さんの要望が叶うように祈願したりで多忙でした。

寺に近い役宅マンションの一室で原稿を書いてるとき、銅ぶき屋根は反射して眩しいから、醤油を塗って表面を銅色の古い感じの堅い皮膜で覆わねばと考えている内に、スーとしたような感じで気を失いました。

ところでね、救急車で口から空気を入れてくれて、心臓の上を肋骨が折れるくらい押えてくれているのが見えるのです。「コリャア手遅れかも」と話して居るのが聞こえるのです。救急車は恐ろしく乗り心地が悪く、そのまま救急病院に担ぎ込まれて、心電図が付けられ、酸素を入れられて、注射をされて、電気ショックを掛けられて、「おお動き出した」と言うような会話が聞こえるのです。

住職夫妻も駆けつけ集中治療室から個室に移してくれました。大小便は起きて朦朧状態の自分に従って病院には迷惑を掛けました。

多分心臓がオカシクなって十五分くらい続いていても、痛いものは痛いし、多分脳味噌は死んでいなかったのだと思います。発作が起きる前一週間くらい黒い便が出ていて、胃腸の何処かに出血していて心配してました。

ですから三日絶食して、原稿を書いていたのです。胃の中は空っぽ、水分を入れて内視鏡を鼻の穴から入れて検査されました。その時に私は胃の中を映し出す画像を見てました。

胃の中は小さな山が沢山できていて、その山が鼓動に合わせるように血を吹いていました。住職さんも心配そうに画像を見て説明を聞いている。

胃はもう駄目で全摘手術で出血を止めましょう。胃は潰瘍状況で全摘をしましょう。安定しつつありますから云々。住職夫妻は医師の言いなり手術に同意しました。噴火山みたいなのが沢山できて、血を吹いている画像を見たからでしょう。

注射をされても痛く無くなった頃から観音院の屋根が気になって、スーと観音院の斜め上空から工事を見られるのです。正に瞬間移動、次は本堂の須弥壇に居て強固なコンクリートも苦も無く通り抜けている。私不在にも関わらず法要は常に如く執行されている。

私は二十五菩薩さまのあたりから皆さんを見守ってる。そうだ護摩を焚かなければと壇に座り一心に現状を大日如来に祈念する日々が続きました。

時に門前の六畳の休憩室が、病床と観音院の媒介をする場所でした。

この時に此所を「亡くなられた人に愛を光と祈り」の場所にしようと考えつきました。自分は死んだのかも知れない、此所はあの世の通過ポイントかなと朧気ながらに思いました。

それから毎日、観音院に来て護摩を焚いていました。二週間で百八回も祈念して焚きました。

手術の前日に意識が正常に戻りました。病院の中は周知してました。医療スタッフの話を聞いて居たからです。

予定表はに明日私の手術が書いてありました。

即座にタクシーを呼んで寺に帰りました。病院で大騒ぎして私を探していると電話がありました。私は手術を受けません、もう大丈夫です・・・・・・。

お腹は痛くも痒くもありません。取り合えず入浴して、沢山の垢が出て、サッパりしたところで、職員に全日空ホテルの雲海に食事にさそいました。

この時は特注のスープだけが喉を通りました。

翌日から重湯を食べ、やがてご飯と、以後胃腸が病気になった事はありません。胃の全摘の前日に治療を中断して病院から寺に帰ったのです。

そこで、あの世の通過ポイントを全面改装して周囲に金箔を貼り、蓮水を下に、欄間は鳳凰とし、大日如来十八と薬師如来、阿弥陀如来、阿修羅を察し、台はアメリカから輸入した金庫四十二個を一つに繋ぎました。

此の部屋の真ん中に座ると心が平安に満ちて来ます。今春竣工しました。

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