法主さまの諦めようは見事です

法主さんは真に器用で、大概のことはなされると知人は申されます。参詣三十年で、法主さんと知りあった人は、法主さんの四十台のころを知って居られます。

 昭和五十年台のことになります。この頃は一生懸命国訳大蔵経を読まれていたころです。合わせて御尊父様の言いつけに何一つ逆らわず言う事を聞かれる、晩年には一方通行の逆送を命じられても、警察官も観音院さんの親孝行と検挙しなかったそうです。

 昭和五十二年五月御尊父が逝去なせれ、遺言に従い観音院の住職に就任されました。

 それからは朝昼晩の法要を欠かされず、観音院は禁酒禁煙になりました。

 昭和五十五年現在の観音院を完成されました。

 昭和六十二年十二月、住職を引退なされ、寛恵住職が就任されました。

 満五十二歳の事ですから、役員一同驚きました。その後は法主様は僧侶の代表とし教師総代会々長で寺を導いておられます。

 観音院は受戒を願う人に戒名を無料で付けられるようになりました。受戒をするには正式には得度して頂きます。

 キリスト教で洗礼を受けるように、帰敬式を設けました。その名を基として僧侶になり、貰った院号で寺を立てる事もできますし、観音院で勉強して僧侶になる必用があります。

 受戒することは正式な信徒になることを意味します。

 加えてインターネットのIDを貰う事も可能です。1Dはabcd@muge.jpと言うような無碍を表すものから@kannon-in.jpような観音院の弟子や職員を表すもの等色々あります。観音院はネットに対応している寺院です。

 観音院はネット霊園で大変に有名ですがご要望ではホームページを作成して上げるサービスも有ります。詳しくはinfo@kannon-in.or.jpまでお尋ね下さい。

 法主さんは四月一日付けで観音院ではブランドと言うべき「鈴之僧正」の名称を住職に移転されます。鈴さまとも親しく呼ばれ、見たく無いものは見ない、聞きたく無いこは聞かない、怠惰な様子は見ない、悪口を聞かない等を象徴したお名前です。本来は若い頃ら山野を跋渉されていて、熊よけ狼除けの鈴で、鈴を振り振り邪淫も出来ませんので法主さんの身体を守りました。

 法主さまのお名前は新しいお名前は「融通無碍」となさいます。

master-yuzu@muge.jpで法主さんにメールが届きます。

 お名前は無碍様「むげさま」とお呼び下さい。ちんこが剥けてる無碍さまと覚えても良いでしょう。正しくは融通無碍僧正となります。

 融通尊と言えば聖天さまを表します。正しくは大聖歓喜天と申される商売繁盛のことを標榜する佛さまです。

 法主様を取り上げた産婆さんが「この子剥けてる」縁起の良いお子様だから大切にしましょうと言ったそうです。

 鈴之僧正の持物は二個の鈴でしたか、名前と持物は住職に差し上げられました。融通無碍僧正の持物は甘露飴です。いつも甘露飴持参しておられ、出会いの縁ある人には甘露飴二個を下さいます。甘露飴は店で買えますが、法主様の下さる甘露飴は仏教の慈悲を象徴しています。本当にお聖天さまを大切にされる方は小さな声で「オン・キリク・ギャクウン・ソワカ」と唱えられます。

 法主さまは子安観音さまの両脇の日光、月光両菩薩を彫刻なされました。

 普通に大工として日当が取れる器用な方ですが、突然「今日より後は鉛筆も削らない、釘一本打たない、電動工具ドリルなど一式、測定器など一式を全部住職さんに差し上げられました」

 法主さんの部屋には何の工具も有りません。

 良い年をして工具なんか使って怪我でもしたら、信徒さんに申し訳ないとサバサバされたものです。高い所に上がらない、脚立も使用しないと申されています。

 パソコンのメモリーを増設等されていましたが、ドリルもペンチも使われないので、これも駄目になりました。

 法主さんのなさっていた印鑑の彫刻は継続してなされます。無料の判子を中に観音さまを入れて彫刻されるのは御自分の仕事として残されるそうです。

タイトルとURLをコピーしました