三月から四月はとても憂鬱な時期です

三月卒業式、四月は進級や入学式、進学が決まらなかった人は、例年なら予備校へ通われて来年の試験に向けて準備されます。東大の理三を希望しておられる人たちは、広島の予備校では希望が叶えられることは少ないようです。東京の全員が東大を受験するような予備校が望ましいです。浪人せずに一発合計した人は三人しか知りません。

  最近は浪人することが難しくなりました。家計の都合で、就職される人が少なくありません。

  失業者の増加もさりながら、新卒者で就職できなかった人たちのことも、心配されて居られます。

  何年も仕事らしい仕事をしないでいて、時々好きな仕事をしていた人たちの多くにも仕事が無くなりました。

  余裕もだんだんと底をついて、生活費の無心を言われることもありますが、法主さんは三万円以上の金銭を公私ともに自由に使えません。その範囲の金額でも後日、常勤監事の承認が得られないと弁償なされます。

  最近は、お布施が負担できない葬儀も増加の傾向です。お布施が無くとも信徒さんの葬儀くらいはして上げるのが義務かも知れませんね。供花くらいも当然にさせて頂きます。これらは、経費に認められる費用ですが、法主や住職が個人的に負担される場合が少なくありません。

  観音院程度の規模の寺院で自家用車両は必要不可欠です。しかし、観音院に自動車は有りません。

  法主さんや住職さんが個人で負担されて、観音院の用途に提供して居られます。もしかすると駐車場費用も負担しておられるかも知れません。

  寺は不要な電気をこまめに消すなどの節約もしています。

  かつて原爆で観音院も被災し檀家の大半も全焼し、死傷者を沢山出して、一面の焼け野原から出発された法主さんにとって、今般の経済危機なんかは容易に克服できると言われてます。
「艱難辛苦なんて生きて行く上で当然有りうること」と受け止めておられます。これらは慈悲では無いそうです。単に「受け止め方」の問題と考えておられます。

 観音院の「経理の公開」も「世襲制の廃止」も当然に行き着いたところのものと言われます。

 今度「セカンドライフ」と言う三次元で表現できるサーバの中に観音院を作られました。此処にも霊園が作られます。墓碑の設置から実際の納骨、永代供養まで全部無料でなされる計画のようです。いろいろと最新の技術を駆使されて運営されています。

 セカンドライフを使っておられる方は是非とも広島市の観音院を検索して見て下さい。お寺を三次元でインターネット上に設置することは大変でした。

 観音院は常に最先端、と言う世評が有りますが、それほど単純では無く、住職さんや常勤監事が良く話し合ってから法主さんに計画を立ててもらうことが少なくありません。

 法主さんは毎朝一番に新庄町の磯野医院で注射を受けられて、寺でも一日二度くらい血圧検査をされます。二ヶ月に一度は血液検査もされ、監事は法主さんの健康状態を良く把握し、無理をされないよう配慮しています。

 今年は法主さんは「喜寿」に相当される数えの七十七歳ですが、何かお祝い行事をと考えましたが、「米寿」の時にして欲しいと言われました。米寿は八十八歳のことです。同年齢のお友達にも健康に注意して長く生きて、世の中に尽くしてくださいと願われます。

 ご本人は百五十歳まで生きたいと考えておられるようです。

 経済が緊張すると、自殺者が増える傾向にあります。

 戦後に、家も家族も近所も勤務先も多くを失い、飢餓状態から日本は世界二位の経済大国になりました。

 沢山の近親者が戦災で傷つき焼け死に、友達も死んで、国家の体制が変更されて、外国の占領下にあって、飢餓状態に近い状態でも、自殺の話は聞かれたことが無いそうです。

 観音院の法要は人を元気にしますから「元気法要」と言われるようになりました。

 その元気は法主さんや住職の元気に由来するものです。「どうして、そんなにお元気なのですか」と聞いたことがありますが、「一つには、み仏さまに守護されていること、二つに、多くの信徒さまを愛しているから」と言われました。

 人生を生きていると、経済的に困難なことも、表面化されると恥かしいことも、親しい人を裏切るようなことすらもあります。

 でも自殺だけはしないで、老いて寿命が終わるまで生きてください。自然に沿って生きてください。悪いことと良いことは、どちらも避けれません。

 今、悪い状態でも、生きていれば、必ず良いことがあります。自殺することは人を殺すことと同じように殺生をすることになります。

 不殺生は法主さまが一番大切にされている教えです。死にたくなったら、観音院に来てください、僧侶にどう生きるか教えてもらえます。

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