観音経普門品偈

観音経のこと
寅さん きょうは「観音経」のことについて、ひとつじっくりお訊
(たず)ねします。
 観音経には「たとえまた、人があり、罪のある無しを問わず、そ
の身が、手かせ足かせ首かせに繋(つな)がれていようとも、観世
音菩薩の御名(みな)を称せば、たちどころにして桎梏(しっこく
・手かせ足かせ)の束縛から解き放たれて、すなわち身を脱するこ
とを得ん」とあります。
 もし仮にこんなことになると、たとえ罪人であっても、観音様の
名号(みょうごう)を称(とな)え念じさえすれば、どんな悪人で
も罪が許されることになり、それでは善人の気持ちが釈然としませ
んし、それ以上に、観音菩薩の本願(ほんがん)じたいがぼやけて
しまいます。これではだいいち、仏法の教える因果(いんが)の仕
組みまで否定したことになりはしませんか?

ご隠居 仏教の説く「因果」とはそんなに単純で薄っぺらなもので
はない。寅さんは勧善懲悪(かんぜんちょうあく)という四文字熟
語を知っているだろう?
 つまりこれは、善い事を勧め、悪をこらしめることだが、これは
国の法律上からも、また仏教の教義からも、すべて「勧善」をもっ
て道徳の規範としている。
 法律においては「悪いことをすると、これこれの罰則がある」と
いう教育を徹底し、佛法においては四恩(しおん・天地、国家、父
母、そして人々の恩)と十善、それに三学と六度(ろくど・布施・
ほどこし、持戒・いましめ、忍辱・たえしのび、精進・はげみ、禅
定・しずまり、智慧・さとり。菩薩の六つの修行の徳目のこと)な
どによって、人間が正しく生きるための規範としている。

 このような規範にしたがって過(あやま)ちのない日々を送るこ
とが私たち人生の理想であり、正しい人倫のあるべき姿であること
は言うまでもない。

 そこで、法律というものは、そういう人の道を踏み外したり、背
(そむ)いたりした者に適用されるわけだが、その法律にこまごま
と規定してある懲罰は、罪を犯そうとしている者に対し、罪を犯せ
ばそれに見合う、これこれの懲罰を課すぞと、人間の悪心にブレー
キをかける役割と、悪を懲(こ)らしめるためにある。
 だから、たとえ重罪を犯した者でも、その罪を心から悔い改めて
真人間に立ち返れば、その人の犯した罪は清算される理屈になる。
なぜなら、「罪を憎んで人を憎まず」が法律の大もとにある精神だ
からだ。
 その場合、いつも問題になるのは、では、その被害者の救済はど
うしてくれるのだ、とやり場のない怒りの気持ちで、おさまりがつ
かないのが普通だな。

 しかし、これが佛法の世界だといたって寛大に処理される。
 つまり法律を犯して、その罪に処せられたとしても、己の犯した
罪を悔いて心底、観音様に救いを求め、観音菩薩の御名を一心に称
えれば、その者はまさしく至心に懺悔(さんげ)したものとして、
観音様はただちに救いの手を差し伸べられる。

善業力(ぜんごうりき)
寅さん なぜ観音様は、人を易々と信じられるんでしょう? 騙さ
れることもあるはずですが。

ご隠居 いやしくも嘘いつわりをもって観音様を念じる者はいない
だろう。
 たとえば、猫をかぶり、いい子ぶって刑期を短期間に終え出所後
また悪事をはたらいてやろうなどという悪だくらみをもって、口先
だけで観音様の名号(みょうごう)をいくら称えようと、その者は
決して救われることなどありえない。
 他心通(他人の心を読む力)を得ていない人間ならば、あるいは
言葉巧みに騙すことも可能だろうが、観音様のような、他人の心の
内が手にとるように見透かすことのできる方に、そんなごまかしは
通用しないからだ。
 したがって、観音様に救いを求め、観世音菩薩の御名を称えて、
手かせ足かせの苦難から解き放たれた者は、古来よりすべてまちが
いなく至心(ししん)懺悔(さんげ)の人にかぎられるわけだ。

寅さん なるほど、道理ですね。
ご隠居 悪いことをすれば、そのむくいとして、いつか必ず悪果が
身にふりかかってくる。といって「悪」というのは、つねに悪のま
ま心を黒雲のように閉ざしているわけのものではない。何かのきっ
かけで、ふと我にかえり悔悟(かいご)するといった善業力が強く
はたらけば、その悪が善に転じる場合もある。

 一方、「善」もまた、悪と同じように、いつまでも善が無垢(む
く)のまま変質しないというわけでもない。善が転じて、いつ悪に
変貌(へんぼう)しないともかぎらないからだ。

 だいたいが、佛道に背くような悪業力のつよい者は、法律などに
より罰せられるまでもなく、自分みずから滅んでゆくことが多い。
反対に、善業力の強い者は、その果報(かほう)を来世(らいせ)
などという遠い日を待たずとも、あすにも得ることができるわけで、
観音様を信じて解脱(げだつ)を得るのは、まさにこの善因善果で
あるというわけだ。

 いまの時代は、人間関係が希薄になり、我利我欲のはびこる殺伐
とした社会であるだけに、観音様のお名前をとなえて解脱を得るな
どといったことは、残念なことにほとんど不思議なような話になっ
てしまったが、古い書物には、観音様の御名を称えて救われた話が
たくさん載っているな。
寅さん その話をお願いします。

観音経 普門品偈(ふもんぼんげ)

ご隠居 まあ待ちなさい。その前に、寅さんは、観音院さんの常用
教典「まことの道」のなかの「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」と
いうのを読んだことがあるか?
寅さん ええ、まあ—-。

ご隠居 その冒頭にこうある。

  観音(みほとけ)は 人々の苦しみを自らの苦しみとして
  救い行き、この世の悩み尽きるまで 尊(とうと)き事業
  (みわざ)なしたまう。
  苦しみ悩む人々が、観音(みほとけ)の大慈(なさけ)に
  すがりて、その名 呼び、御姿(みすがた)を拝し、心に
  念じて求むるならば、常にわが身のうえに ましまして、
  能(よ)く その苦しみを除きたまう。
             (まことの道93ページ参照)

 そしてまた、「観音経偈文」の104ページの中ほどに、

  或囚禁枷鎖 手足被紐械     *紐は木偏。
  念彼観音力 釈然得解脱

 という一節がある。
 意訳すると、
  あるいは首かせと鎖で繋がれ、手かせ足かせで自由を
  奪われていても、観音を念じて その力にすがれば、
  たちまち心がからりと晴れわたり解脱することができる。
 と、こんな意味になる。

「観音経偈文」の、このくだりを字義どおり素直に読めば「紐・ち
ゅう *木偏」は手かせのことで、「械・かい」は足かせ、「枷・
か」は首かせ、「鎖」は罪人などを縛るなわのことだ。
 だけど、これを佛教的に解釈すると、うんと深い意味合いを含ん
でいるとされる。
 まず、紐、械、枷だが、これらは昔使用された刑具類で「かせ」
といい、罪人の首や手足にはめて自由を束縛するのに使っていた。

 佛教では、これらの「かせ」を家や家族、財産であると解釈し、
鎖のことを無明(むみょう)煩悩(ぼんのう)であるとするわけだ。

 私たちは、ふだん生活するうえで、何かによって自由を奪われ、
身体を拘束されているわけではないが、しかし考えてみると、家族
や親類縁者、隣近所、友人知己、職場、はてはコミュニティーにい
たるまで、あみの目のごとくこまごまとした複雑な人間関係の鎖に
よってがんじがらめにされているから、ほんとうは自由でもなんで
もない。そして、家とか財産とかが重圧のかせとなって心の自由を
奪い、身うごきできない状態だ。

 偉い先人は、そこのところをこう言っている。
「家族愛のやわらかな鎖のしがらみに縛られて三途(さんず)に
 佇(たたず)み、財宝の甘い毒に酔うて正路を見失う。
 しかし、翻然(ほんぜん)と心をあらためて心身脱落(しんじ
 んだつらく)すれば、我我所のかせは身体から自然にはずれ、
 即座に観自在の妙智力(みょうちりき)を得るであろう」と。

 いずれにしろ、この観音経の大きな御利益ははかりしれないもの
がある、というわけだ。

牢屋で鎖がはずれた話

ご隠居 そこで、さっきの寅さんのリクエストに応えて、観音経普
門品にかかわる話をしてみよう。
寅さん お願いします。
ご隠居 昔、唐の国に薫雄という人がいた。
 薫雄は、若いときから佛法を信じて、戒律を守り、食べ物にして
も、酒はもちろん、魚肉やネギ、ニラ、ニンニクなど五辛のたぐい
までみずからに固く禁じて、数十年のあいだ、つねに普門品(ふも
んぼん)を念誦していた。
 こうして薫雄は、下級役人から次第に出世してゆき、太宗皇帝の
貞観(じょうがん)の頃に大理丞(司法長官のそえ役)までになり
政務に励んでいた。

 その頃、ある者が太宗皇帝に背いた。薫雄は、その謀叛の首謀者
と親しかった関係で、事が露顕するにおよび、心ならずも反逆者の
汚名を着せられて、役人を専門に裁く御史台(ぎょしだい)という
役所に収監されることになった。
 そして、謀叛をくわだてた一味の張本人は薫雄だ、というふうに
讒訴(ざんそ)する者がいたため皇帝の怒りはひとかたでなく、貞
観十四年の春、御史台に命じて、彼に対してさまざまな拷問を加え、
さらに薫雄を錠前付きの鎖で縛り詰牢に放り込んだ。一味の者たち
も同じ牢屋に繋がれた。

 我が身のかかる危難はさだめし前世の悪報ででもあろうか、こう
なったら仕方がないと、潔く死を覚悟した薫雄は、それからは余念
なく普門品を誦(ず)することにした。くる日もくる日も誦経した。
 ある夜のことである。ふと目覚めて、いつもの通り静かに普門品
を誦しているときのことだ。呟くように誦みすすむうち、身体を縛
っている鎖がひとりでに外れてい
く。ガチャリ、ガチャリ—-。
 はて、妙なことがあるものよ、と思って目を凝らして見れば、鎖
が身体から一つずつはずれ落ちているのに、そのつなぎ目はどこも
切れていないのである。薫雄は合牢の者たちを起こして、その不思
議な有り様を見せたが、みんなはただキョトンと見守るばかりだ。
 このままの状態だと、自分で鎖をはずしたと疑われ、さらに過酷
な拷問にかけられると考えた薫雄は、ありのままを牢番に話すこと
にした。
 さっそく当直の役人が牢内にのりこんで、念入りに問題の鎖を点
検したが、どこにも破損したり、不審な箇所は見当たらなかった。
 しかし、用心深い係役人は、薫雄を元通りに鎖で身体をぐるぐる
巻きに縛ったうえ施錠し、さらにその上から紙でもって封をし、そ
こにご丁寧にも墨黒々と書き付けをしたのである。
 さて、役人や牢番が去っていったあと、薫雄はゆっくりとまた座
りなおし、あらためて普門品を口のなかで誦(ず)しはじめた。

 —-と、明け方ちかくだった。
 またまた身体に巻きついた鎖がガチャリ、ガチャリ、抜け落ちて
ゆくではないか。それはあたかも目に見えない人間の手で一つ一つ
外しているような情景であった。
 薫雄が普門品を誦むのは、ひたすらに後生(ごしょう)のことを
思い、業障(ごうしょう)を懺悔(さんげ)する気持ちからだけで
あって、いまの業苦からのがれ、牢屋から出るための手段としてお
経を利用しているわけでは決してない。
 薫雄は、夜が明けると、同囚の者たちに暁の出来事を語った。
 みんなが見ると、鎖のつがいめはしっかり繋がっていて、施錠は
そのまま、封をした紙も元のままだし、墨書した文字の乱れもない。
 それでも、薫雄の身体は鎖から完全に解放されているのである。

 謀叛の一味で、同じ牢に囚われていた敬玄という者などは、少年
のころより成人したこんにちに至まで、仏法を信じる心根などいっ
こうにない人間で、彼の妻がお経を誦むのをそばで聞くたびごとに
「おまえは、なぜ異国の佛というものとかに惑わされて、そんな得
体のしれないものを誦むのか」といつも苦々しげに叱っていた。
 しかし、実際にいま、この不思議な事実を目のあたりにして、こ
れまでのことを深く反省した。
「私は、このことを見るにおよんで、初めて仏法の奇特(きとく)
を知った」と、いつまでも不思議だ不思議だと首をかしげて感じ入
っていた。

 また、同囚の王忻という者も、そのことがあってより、にわかに
信心をおこし、薬師経にある八大菩薩の名を称えて、それがようや
く三万遍に達したとき、ためしにあらかじめ身体を縛っておいた鎖
が自然にぬけ落ちて、手足が自由になったということである。
 ともかく、敬玄、王忻の両名は薫雄を見習って、それからは一心
に佛法を尊信して普門品を誦していたが、やがてこのことがはるか
上聞に達し、ついに三人は罪を許されて、元の役人に復職すること
ができたということである。
(感通録という書物より)

 以上の話は、善業力をもって悪業力を退治したという逸話(いつ
わ)だが、そこには、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」の功徳(く
どく)がよくあらわれた話だとおもうが、どうだろう。