私も傘寿をすらりと乗り越えたい

叔父の米寿のお祝いの案内を貰った。十一歳年上で、母親の弟にあたる。

 子供のころは良く面倒を見てくれた。サァーチャンとユキヒロ(法主)、の関係で、自転車を紐で繋いでよく母の実家に連れ帰ってくれた。

 私が高校生の頃は、私立高校の校長をしていて「うちの学校に来い」と便宜を図ってくれた。

 先年、白血病を患い、抗がん剤の投与で体毛を全部失った、家の中に抗菌室を拵えて養生してたけど、全快して白髪が全部黒々とした毛髪になった。

 外を出歩いて知人に会って「髪を染められたん」と聞かれ「自毛でがんす」と説明すると言っていた。

 心から信頼相談し、私心無く答える尊敬すべき最高の有り難い叔父です。この叔父には随分と心配も掛けました。

 「がんす」は広島弁で「です」を意味しますが最近はあまり聞きません。

 私(法主)はその血を引いてますから八十八歳までは生きる希望が湧いて来ました。多くの病気は遺伝はしないと世間は言いますが、病院では必ず、親族の病気の有無について聞かれます。

 「十年経っても恋してますか」と言うコマーシャルを聞いたことが有りますが、「結婚は六十年経っても恋していますか」と言う重大事なんです。

 メール婚とか婚活とか、相方の家族なんかも全然知らずに結婚し子供を待たれますが無謀なことです。十分に考えて、ご自分の結婚観を持ちましょう。

 信徒の皆さんにも、独身や、結婚したく無い人、母子家族も増えました。

 結婚したくても相手がいない、付き合いが下手な男性も増えました。

 結婚が継続できない、相手の癖に辛抱出来ない離婚も増えました。これは交際期間が短かった、相手の性格を見抜けなかった事に原因があります。

 私は、交際範囲を広げるのに、大体一年を掛けます。いわんや結婚というような大切なことを、一目惚れでするのは錯覚や誤解が有って当然、軽率に結婚をしてはなりません。

 出来ちゃった婚なんて、聞くことも有りますが、婚前交渉は絶対に慎むべきことです。

 昔は相手の家に行って、玄関などが乱れていたり、便所の掃除が行き届いていない場合など、交際を止めるような暮らしの知恵がありました。

 ブラジルの日系三世の信徒がいますが、カトリックの影響で大変に堅く、婚前交渉なんて考えられないとご本人は言ってますが、昨今は乱れているとも聞きました。世界的な傾向かも知れませんね。

 観音院は全室モニタカメラが付いてるので、監視されてるような感じがしないかと言う人もいるけど、お互いが一室で仕事をしている感じで便利です。

 かつ、寺の中で変な事やセクハラやおかしな事は絶対に起きません。

 日本振興銀行の破綻、初のペイオフの適用は考えられる範囲ですね。実際に被害を受けるのは三%くらいらしく大規模な被害にも金融恐慌にもなりませんでしたが、明日の事は分かりません。円高ドル安ユーロ安も尋常なことではありません。各国と連携して協調介入も難しいようです。

 金融機関も選別される時代になりました。寺院とて例外ではありません。観音院の特筆すべき事は、年中無休で毎日三座の法要を営んでいることですが、どのようにすれば市民から選んで頂けるか何時も考えています。

 今般の「心身清浄破地獄曼荼羅」もその工夫の一つです。

 どなたも知ると知らざると、他人を傷つけていても気が付かなかったり、詫びを一言言いたくても、相手が亡くなっておられる場合も有りましょう。このような事を、一切清めて、これから先の人生は「相手の立場で考えて」世の中を清めるよう努力して生きてください。

 私(法主)は、地獄を余り説かない僧侶ですが、死んでから閻魔さんの前で、玻璃鏡に、自らの生前の悪事が全て映し出される、大半の人は地獄行きでしょう。

 お盆は、正式には「盂蘭盆会」(うらぼんえ)」といい、語源は、梵語のウランバナ「逆さまに吊るされるような苦しみ」を除き救う為の行事です。

 お釈迦さまの十大弟子の目連さまの亡きお母様が餓鬼道の世界に落ちて苦しんでいるのを助けたいと、お釈迦さまにお尋ねすると「七月十五日(僧自恣の日)、雨季のおこもり修行を終えた僧侶たちにご馳走をつくり供養するように」と教えてくださいました。

 その教えの通りに供養すると、目連さまのお母様は餓鬼道の苦をのがれ、無事、成佛する事ができたといういわれからきています。

▼「萬倍さまのご分霊」も、「心身清浄破地獄曼荼羅」も、どれくらい「お供え」をすれば良いか、「お気持ち」とは申せませんが、紙塔婆が千円、萬倍さまご分霊は五千円~一万円、破地獄曼荼羅は二千円くらいがご祈願の浄財ご喜捨として適当でしょう。 編集部

祈願とか法事、お葬儀の依頼をされて、一番嫌な話は「相場はどれくらい」と聞かれることです。

 観音院は僧侶のものでは有りません。皆さんが話し合って決めてください。が、ドッコイそうはまいりません。お金の無い人には、全部観音院で負担して葬儀でもして差し上げる権限を、私(法主)も住職も持っております。

 僧侶が、世間に慈悲をもって接する行為は役員会の同意は必要ありません。

 事前でも事後でも、常勤監事の同意があれば、それで大丈夫です。

 先々代の住職が「あなたが死んだら観音院で葬儀し、境内に葬って上げる」と約束してくれた、と言って来られた方がありました。

 その方が亡くなって、施設から連絡を受けて、ご遺体を引き取り、葬儀を行い、墓を建立し、今も永代供養をしております。

 知らぬ方から葬儀を頼まれて、その亡くなられたご主人がお若く、小学生と保育園児が二人おられる。

 帰りに、頂いたお布施を「お子様の養育資金の足しにして下さい」と置いて帰りました。

 成人されたお子様が現在は観音院の信徒になられている—-、そのように都合は良く行きませんが。

 似たような事は沢山していますので、結果なんて一々記憶して居ません。

 僧侶が善行を積むのに、それが何かの形で返って来るなんて夢にも考えてはならない事です。

 在家の皆様、一般の方は、善因善果を期待されるのは当然の事です。善因が何時善果になって返って来るかは分かりません。善根を積むとはそのような事です。

 知ると知らざると犯した罪業は悪因です。悪い結果になって返って来ます。善因善果の時間的契約が成立しないのに比較して、悪因は悪果となって返るのは比較的早いようです。

▼今度の「大日堂」も死後の供養をしてくれる人が居ない、すべき人が居ても遺骨を寺に預けてそれっきり、連絡先も不明と言うような傾向が激増しているから対策として作った次第です。

 ここは私(法主)も喜んで利用します。私の持佛が、本尊さまの出世薬師さま、脇佛には西方極楽浄土の主である阿弥陀如来さま、佛教を守護する阿修羅神を奉ります。

 左右に大日如来さまが十八躯体も御揃いで皆さまを迎えて下さいます。

 台座は、従来のアルミ製から堅牢な金庫といたしました。表面には本金箔の二重張りにし、紅白の蓮の花と水流が画師により描かれます。壁も天井も総金箔張りですが、格天井ですので、追々、皆さまの描かれた奉納絵を樹脂加工して張る予定でおります。

 寸法は追って発表しますので、皆さま奮って応募ご協力下さい。

 平成二十二年十月三日は「大日堂」の完成披露法要と大般若転読法要三百座記念法要も執行します。

 正面入り口には常夜灯、吊り燈籠などは全てLED照明を発注しました。

 法主さんの居られるお部屋にも同じ大日如来さまが安置されます。

 保護の為のモニタテレビやカメラの位置などまで、綿密な業者さんとの打ち合わせなどは私の仕事です。

 一日メール千通前後、不必要なメールが大半で、選別して、夕方三十分で処理します。

 取材の申し込みも多いですが、全部お断りしています。

 大般若転読法要百座記念ではご喜捨をお願いしましたが、今般は全く依頼しておりません。

 日切地蔵さま(地蔵堂)と、大日堂の前は駐車禁止とさせて頂きます。最近は近所に有料駐車場が増える傾向にあります。

▼諸佛諸菩薩をお迎えし、下部に蓮華の処に故人の遺物を納めることが可能な佛龕(ぶつがん)も領布も再び始めました。一木で制作してあるので、仏壇程高価では有りませんが相当値段が張ります。中にチップが付けられますので故人の写真などを呼び出すこともでき、とても便利で、小さくて場所も取りません。佛龕の素材は柘植と白檀(ビャクダン)の二通りありますが、何百年もいたまない白檀を主にしてお分けしたいと考えております。

▼観音院は「故人」にとりまして、段々と面白い寺になりつつ有ります。これは、とても大切な事です。ご自分の身に引き変えて考えてみてください。

 駆け込み寺の機能
観音院は「駆け込み寺」として著名ですが、資金繰りに困られた方がお金を貸して下さるのでは無いかと誤解されて電話が掛かることがありますが、融資はしません。

 家庭内暴力などで、別れ話を出すと殴られる、蹴られる、このような人はとかく自殺を考えがちです。自殺防止の意味で受け入れています。ただし、薬物依存の方は受け入れ不可能、家族一名の同意書、警察の生活安全課に届け出の上で保護します。万一、行方不明者として捜査願いなどが出された場合は観音院に保護している事を伏せてもらえます。原則費用は不要です。これは私の人脈によって、時には顧問弁護士さんの協力も仰ぎます。この世の中の事は、全部決め事があります。