真言宗と他宗

寅さん
アフガニスタンは、大変なことになりましたね。
ご隠居
タリバン(イスラム原理主義勢力)によるバーミアンの佛像破壊か。世界の非難をあびているが、彼らはそれを正しいと信じている。
寅さん
全く困ったものですね。 それはともかく、お釈迦さまがひらいた佛教は、インドから中国日本へ伝わるにつれて、多くの宗派に分かれました。そしていま、我々は自分の信じる宗旨を最良のものとして、それぞれの宗派に属し、各寺がご本尊とするほとけさまを信仰しています。
そこでご隠居にお訊ねしますが、お釈迦さまは佛教のこのような現状をどのようにお考えになっておいででしょうか?現在のような状態が、はたしてお釈迦さまのお心に叶うものなのか、どうか?
ご隠居
禅門に「答えは問処(質問のうち)に在り」という古くから言いならわされた言葉がある。
寅さんの疑問がまさにそれだ。
だから、その質問に答えるよりも寅さんの意見が、そのまま疑問点の回答になっているように思うのだが、どうだろう? なぜなら、各宗各派の説く教義の各条が、はたして釈尊のお考えになった佛教を正確に受け継いでいるものかどうか、というとき、分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を眺めんという古歌を引用すれば、答えはおのずから出る。
自分が属する宗旨のほかは受け入れない、という人も意外とたくさんいるが、それもある意味において、うなずけぬことではない。
なぜなら、自分の宗旨を最上と思っている人というのは、余計なことは考えず、ひたむきにその教えを信じて信仰一筋に励むため、目的に到達するのが早いといった利点がある。
たとえば、私たち真言宗ならば身口意(しんくい)三密(さんみつ)の三昧耶(さんまや)による即身成佛(そくしんじょうぶつ)、浄土宗なら阿弥陀如来の名号(みょうごう)を、また、日蓮宗ならお題目を一心に唱え、かとおもえば、禅宗では、念佛修懴(しゅうさん)看経(かんきん)焼香礼拝よりも、只管(しかん=ひたすら)、打坐(たざ)して心身脱落(しんじんだつらく)せよ、と教える。
――高嶺(たかね)の月は皆のもの――
寅さん
同じ佛教なのに、宗旨によって、なぜこうも、教えが異なるんでしょうね?
ご隠居
それは諸宗のお祖師(そし)方が佛教という人間の最高の生き方、あり方を提示したすばらしい宗教がありながら、それがあまりにも深遠でありすぎて、我々衆生はどこから入っていったらよいか、どうにもとっつきにくい。かさばっていて重く、しかもノッペラボーの荷物を想像すれば分かりよい。その荷物に持ち運びしやすいように、把手をお付けになったのがお祖師方だ。
その結果、現在のように私たちはみんな、その宗旨の教えにしたがって佛教を信心すれば、誰でも究極の人間のしあわせを得られることが可能となった。
それもこれも海のように茫洋として捉(とら)えどころのない佛法を前に呆然として佇(たたず)んでいた人々に、すすむべき方向性と信仰のあり方を分かりやすく指示しようと、各お祖師方がそれぞれの宗派を興された最大の眼目であり、目的であったわけだ。
すなわち我々真言宗は三密によって即証(そくしょう)し、禅宗は座禅によって直入(じきにゅう)し、日蓮宗はお題目によって直道(じきどう)する。
このように各宗旨はいずれも、一歩でも速く佛法の本質にたどりつけるバイパスを見つけだして、そのルートを指定し、できるだけ早く真如佛性の名月を我々衆生に仰ぎ見させようといった慈悲におおいつくされている。
したがって、人それぞれ自力(じりき)の一路を進むも、また他力(たりき)の路を進むももちろん個人の自由だが、そうはいっても、やはりこれまで縁の深い宗旨に帰入(きにゅう)して、ひたすらな信仰をつづけるのが一番ではないだろうか。
いたずらに法門の深浅、宗旨の優劣をくらべて、各宗各派の教義が釈尊のお考えになった佛教の本質と異なるのでは、などといった懐疑(かいぎ)は信仰の妨げでしかない。そんなことを考える暇があったら、自分が選んだ宗旨を信奉(しんぽう)、没入し、みずからを高めるために一生懸命努めることこそもっとも肝要なことではなかろうか。得道往生(とくどうおうじょう)の成否は、その先にある。
――極楽浄土――
寅さん
では伺いますが、得道往生したのちにゆけるという極楽浄土というのは、いったい、どんなところなんです?
素朴な質問ですが、極楽浄土というのは実際にあるんでしょうか、それとも想像の世界でしょうか?
ご隠居
極楽浄土は、現実に存在する世界ではない。かといって、まるっきり虚構の世界でもない。
しいて言えば、私たち人間に対して、正しい生き方、あり方を示した理想の世界とでもいえばよいかな。
寅さん
極楽浄土までの道のりはどのくらいですか?
ご隠居
極楽浄土は遠くでもなく、また、近くにあるわけでもない。
寅さん
なぜ、そのように遠近の差があるんです?
ご隠居
遠いというのは、ほとけの教えを聞き分ける機根(きこん)の能力が劣っている人には遠く、近いというのは、利根(りこん)の人にとって反対にすぐ近くにあるからだ。
寅さん
利根、鈍根によって極楽浄土の遠近の差が生じるというのは、おかしくありませんか?
たとえば一日の時間は、賢いとか愚かとかに関係なく二十四時間だし、距離にしても百キロは誰だろうと百キロは百キロ、賢い人だからといって百キロが十キロなんてことはあり得ないはずです。
ご隠居
たしかに、時間や距離は個人差によって伸びちじみしないが、極楽浄土の場合は、それらと一緒にできない点がある。
寅さん
それはまた、どうして?
ご隠居
佛教でいう遠近は、主として、ものごとの「すじみち」を説くものだからだ。
寅さん
佛教の説く遠近の道理とは、どのようなものですか?
ご隠居
西方十万億土を過ぎて浄土がある、と説いているのは「遠」、また、極楽浄土はここを去ること遠からず、などと説いているのが「近」だ。「ここ」というのは少し抽象的だけど、しいてこれを解釈すれば、「ここ」とはこの世であり、もっと観念的にいえば、私たち各自の心の内ということもできるだろうな。
寅さん
我々が住むこの娑婆世界というのは、いわゆる三界六道を輪廻(りんね)する穢土(えど)とされ、一方、極楽浄土というところは、三界六道のない、どこまでも清浄(しょうじょう)なほとけの世界だとされています。
けど、いまのご隠居の話だと、三界六道に輪廻する我々の心の中に、そのような極楽浄土があるというのは、少し矛盾しませんか?
――要するに心の問題――
ご隠居
佛教では、浄土も穢土もともに三界の内にある、としている。そして浄土は、その三界生死(しょうじ)の苦域を脱し、そこを突き抜けたところにあり、そここそが清浄無為(むい・絶対)のほとけの世界だとしているな。
寅さん
では、佛教でいう浄・穢(じょうえ)とは、いったい何を指して浄穢というのです?
ご隠居
浄穢は、肉体の清潔とか汚いをいうのではなくて、己が心の浄穢のことだ。
一切の無明(むみょう)、煩悩(ぼんのう)、妄想、執着(しゅうじゃく)が「穢」であり、それらを消滅すれ「浄」となる。
寅さん
じゃあ、浄土と穢土は、あくまでも心の中に存在するものであって、心を除外して浄土も穢土もありえない、というわけで?
ご隠居
そういうことだな。
寅さん
とすれば、西方十万億土も結局は心に描いた理想郷であって、実際はどこにも存在しないことになりませんか?
ご隠居
そうではない。西方十万億土は、その気持ちになってみると、この世界のことごとくが清浄のほとけの国土であるな。
維摩経(ゆいまきょう)の佛国品(ぶっこくぼん)にも、「其の心の浄きに随って即ち佛土浄し」と説いているように、心がもしも不浄ならば、この世界の果てのどこまでも、それは穢土であり、心が清浄ならば、全宇宙のことごとく極楽浄土であるとしている。
寅さん
つまり、浄土とか穢土とかの存否よりも、大事なのはむしろ私たちの心のあり方にあるのだから、そちらのほうにウエイトをおきなさい、ということですか?
ご隠居
そのとおり。十界〔迷界の地獄、餓鬼、畜生、修羅(しゅら)、人間、天上。悟界の声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩、佛〕、三千の諸法は、すべて心より現れ、心の問題とされている。
さらにまた、維摩経の佛国品には、「三心九行(ぎょう)をもって佛国土(浄土)の因(たね)となす」とある。
三心とは直心(じきしん・正しい心)、深心(じんしん・深く心に信じて変心しない)、大乗心のことであり、九行とは、一に六度(ろくど・布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)、二に四無量心(しむりょうしん・慈悲喜捨)、三に四摂法(ししょうほう・布施、愛語、利行、同事)、四に方便、五に三十七品(四念処、四正勤、四如意、五根、五力、七覚、八正)、六に回向(えこう)、七に説除八難、八に自守戒行、九に十善(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見)のことだ。
極楽浄土は、このように並大抵でない修行、三心九行によって成り立ち、私たち衆生の心からなる願望と信心によって理想化された至上の場所だから、むろん有形の場所ではないし、おいそれと行ける場所でもない。
こんなことを言うと、それはあくまでも真言宗など聖道門(しょうどうもん)の論理であって、すこし解釈が窮屈すぎるのではないかと、浄土門の人々からクレームがつくかもしれないが、そうではなくて、これはまちがいなく釈迦正宗(しょうしゅう)の浄土説なのだ。そのことについて釈尊の説かれた縁起(えんぎ)がある。
寅さん
それを聞かせて下さい。
――釈尊の慰問――
ご隠居
昔、天竺(てんじく)マカダ国で釈尊が法華経をお説きになっていたときのことだ。
ある国の太子が悪い友人にそそのかされて、その両親の国王と王妃を牢獄に押し込めてしまった。
王と王妃は、かねてより釈尊に帰依(きえ)し、私的にも親しかったからこの不幸な出来事を知った釈尊はさっそく目連(もくれん)、富婁那(ふるな)の二人の弟子をやり、牢獄につながれた王と王妃を慰問させた。
国王夫妻はうれしさに身をふるわせて二人の弟子を迎えた。特に王妃の喜びようはひとしおで、このようなとき、釈尊のありがたい説法をお聞きし、今のどうにも救いようのない気持ちを慰めてほしい、といった真情が全身にありありとあらわれていたので、弟子たちは帰ってそのことを釈尊に報告した。
弟子たちに入れ替わり、釈尊が牢獄に国王夫妻を見舞った。
見ると、これまで国に君臨し、人民から仰がれていた国王も今は見るかげもなく打ちしおれ、痩せ衰えて幽閉の身をかこっている。
ことに王妃は、深く前世の罪障の多いことを悔いて、
「どうか、この苦しみからのがれ心の安らぎを得させてください」
と、釈尊に切々として訴えた。
そこで釈尊は、王妃の心情を憐れまれ、西方浄土というところのすばらしさを、あたかも目(ま)のあたりにするごとく説かれた。
その地は、西方、無数の佛国土を越えた彼方にあり、安楽国(極楽)という。
極楽は寿命無量、光明無量であり、阿弥陀佛を国王とする。その国土は、想像しうるかぎりもっとも美しく、住むものにとって快適きわまりない自然条件、風光と動植物とに満ち満ちている。
そこに生まれた人々は、なにひとつ不自由なく、豪華で超自然的な衣食住を享受(きょうじゅ)し、道徳的にも、宗教的にも完全で、たのしい生活を送っている……というものであった。
王妃は大いに喜んで訊ねた。
「いまの苦難を忘れ去り、如来の言われる、そのような境地に到るにはどのようにすればよろしゅうございますか?」
太陽が没するところをじっと見守り、西方にある安楽国土に思いをいたしなさい、と釈尊は言われる。そして、悲惨な現在の境涯を忘れて、三心十六観の観念(かんねん)をこらすことなど、ねんごろに王妃に説かれ、それらの観念成就(じょうじゅ)のあかつきにおいて、ついには無念無想の境地にいたり、現在の悲しい身の上のいっさいを忘却して、無量寿佛の真如法性(ほっしょう)を見ることができるであろう、とお教えになったのがすなわち観無量寿経の起こりとされている。
西方浄土のことは、不幸な王妃のために釈尊が説かれた方便(ほうべん)かもしれないが、釈尊一代の経文(きょうもん)は、そのことごとくが、私たちに浄土というものを知らしめるためにある、といっても決して間違いではないように思うが、どうだろう。