法主さんの決断力と優しさ

お金は命から二番目に大切のもの、お金を儲けて何が悪いか。とんでもな
い事を言うから警察に捕まるのです。

 命から二番目に大切なものは、「慈悲」です。思い遣りです。いたわり
です。お金を儲けて何が悪いか、その「方法」に善悪があります。

 元来、宗教は「金利を悪」と考え、金銭の事を考えてはなりません。
 寺は、慈悲を説く人が居て、人が集まり、建物が建立される、
それが、寺院と言うものです。金銭とはおよそ遠いところにあるべきと、
法主は説かれます。

 ところが、僧侶を労働者と見做し、住職は源泉徴収義務者となり、専従職
員が必用となると、社会保険の適用となります。これは矛盾です。
 職員は奉仕者で運営されるべきです。

 私は、金銭の話が一番嫌です。嫌な事に時間を割き、決算書を作成する、
予算を立てるなんて愚の骨頂です。
 例え、経理を公開したとしても、愚の内です。しかし公益法人である以上
予算決算、収支計算書と貸借対照表をを作成するのは法定事項です。
 でも、予算は「入るを計らず、有るだけでやる」と言うのは違法では有り
ません。まぁ従来通り日次決算は従来通り作成します。

馬鹿げた戒名料 戒名のお布施?
 葬儀の相場なんて廃止すべき

 観音院の現在は皆さんの協力で現在があります。ご恩返しをしなくてはな
らない。素直に法主はそう考えました。
 観音院を慈悲の溢れる寺にしたいと法主は考えました。従って葬儀料とか
会場使用料等は全廃します。住職は大賛成です。賛成の職員が残りました。
 駄目だと言う職員は去りました。かつて世襲廃止には法主さんにも葛藤が
ありました。それを自分の子供を二人も寺に入れ家業とすると言う人には居
てもらう訳には行きません。信仰心と慈悲の無い人は、観音院には不要です。
法主や住職の指示に従わず、一職員の寺院の私物化には寛容でありません。
不祥事は済んだことですから全て忘れます。法主も職員も平安を取り戻しま
した。これでこの話は終わりです。
 寺の自浄作用が働いたと考えて下さい。ある意味では家族全員で寺を支え
ようとした事は賞賛すべきかも知れませんね。ただ、常勤監事と言う立場で
する事ではありません。見習いに採用した子弟の給与を月額三十万円と決め、
住む家の費用から携帯電話の費用まで寺で負担する事はこの監事の逸脱です。

 具体的には慈悲をどのように
  それを考えて実行を約束します

 法主も住職も寺の運営にはあまり口出しされません。プライバシーは皆無
にしようと努力しておられます。
 従来も血縁で観音院の住職を願った職員はいましたが、全部排除しました。
 お弟子さんは順調に育っています、この人達から次の住職が専任される事
が希望です。寺の決め事でもあります。
 観音院は護摩木一本、線香一本にいたるまで、一切の目安や定めていた金
額を全廃します。戒名料もお布施も全て世間の相場から完全に離れます。
 観音院に金銭を出されるについては、他人に相談せず、ご自分で決めた純粋
な布施、が、寄付では無くて、ご喜捨(きしゃ)にして下さい。
 代金、料金に該当する考え方を一切排除します。

 世間には葬儀や祈願の相場がありますが、決して相談をなされず、絶対に
ご無理の行かないようにご自分の分に応じた布施や喜捨にして下さい。
 万一、金額について「かれこれ」言う職員が居た場合は、皆さんのお寺で
すから、その場で解職を申し渡して下さい。皆さんのお寺ですから、皆さん
にそのような権限があります。

 信徒さんのお寺ですから、当然の事で住職さんも同じ考えです。
 自分の葬儀代が心配で、死なれないようなご不安は今後皆無にして下さい。
 また家族同様に可愛がっておられたペット、愛玩動物が、寿命が尽きた時
も丁重に葬儀を承ります。来世は人間に生まれ代わってくるよう葬儀をして
上げます。
 観音院は今後、慈悲の心で運営します。お米を買うお金が無くなればお粥
を食べてしのぎます。飢えて死ぬのも覚悟してこのようにされました。

 日本に一つしか無い、最大の親切と慈悲のあるお寺、これが、法主さんの
誓願です。是非実現して上げて下さい。
 法主さんに悩み事や困りごと相談されるのも無条件かつ布施は求めません。
 慈悲の無い寺は存在する理由がありません。観音院を慈悲深いお寺として、
皆さんのお寺として存続させて下さい。
 そのためには寺を実家と思って使って下さい。
 夏越しの厄除けの頃ですね。布施のことは、お金の事は一切気にしないで
誘い合わせてご参詣下さい。