強運は自分で掴むものです

■「運」は持って生まれて来るものでではありません。落ちているも
のでもありません。
「強運」は み仏さまの下さるものです。「出会い」が大切です。
 良き人間関係は、強運を運んでくれます。私は強運だと言われま
すが、何かあると、知り合いの方々が力になって下さいます。
 私はすべての人々の無事と多幸を祈るだけです。強運を運んでく
れるのは「善意」です。

■人は常に危険に晒(さら)されています。その危険を予告してくれ
るのは人間関係です。
 色々な事が有りましたが、その都度、人間関係に助けられました。
▼大切なのは、受取った、助けてもらった善意を忘れない「報恩」
の考え方です。

■一生懸命にして上げても分からない、恩を仇で返す人もいます。
 そのような時は、忘れることが大事です。善意でした事に返却を
求めるのは間違いです。

■どんなに良くしても、理解できぬ人は居て当たり前、サッパリと
忘れれば安楽です。顔色一つ変えては成りません。

▼観音院は線香一本からローソク、祈願料、得度料、葬式費用などの
相場を全て廃止しました。
■極端な場合、農家の人はお金をJAで下ろして来ないでも、畑の
大根一本抜いて来てお供えされれば、それがお布施の本質です。
■無理をすると後悔が生じます。
 観音院は、後悔が生じるようなお布施は今後受取りません。

▼僧侶が居て、慈悲を説き、人が集まれば「寺院」になります。
世間の相場なんて気にしないで下さい。お金が無くても、葬儀を
頼めるような慈悲の寺院にします。