過ぎ去った昔のことを回顧(かいこ)すると、嬉しいことも悲しいこともあります。恨むことは精神の浪費です。悲しいことを思い出すと現在の幸せを壊します。立腹すると犯罪につながりかねません。
良くして頂いた方には報恩の気持を持ちたいものです。やられたら機会があればやり返す、良いことをしてくれた人には、必ず恩返しをする。これでは生きて行くのが、辛いことが多くなります。
現在の立場が苦しくても、より良いように努力して行くことが人間の証明になる。苦難はそれを乗り越え、人が成長するためにあります。生涯を振り返って見て後悔しないように日々を努力すると良いですね。
(法主さまのお話を田川純照が筆記)
生きていれば、車にはねられることもある、宝くじに当たることもある。自分が他人をはねて怪我をさせることもある。金銭の運用で大損をすることも予想できますね。生涯には良いことも悪いこともいろいろあります。
温故知新(おんこちしん)という論語の言葉は、古きをたずねて新しきを知る、とされていますが、正しくは古き事柄も新しい事柄もよく知っていて、昔の事柄を研究・吟味して、そこから新しい見解や知識を得ることが出来て始めて、人の師になることが相応しいという意味ですが、昔と現在の様相の変わりようが激し過ぎます。
昭和の初期でさえ七十八年の昔、明治は百三十六年の昔、大正も含めて、日本にとっては激動であった。徳川幕府のころまで遡っても現在と比較できる様相は全くありません。
昨今の先端技術はあらゆる意味で生活に激震を与えています。
湾岸戦争もイラク戦争も劇場型で、世界中に同時中継。世界の何処からでもつながる携帯電話など、際限の無い技術の進歩は使いこなすのが大変。
最近に頂いた携帯電話は百三十万画素、デジカメ機能を搭載していて、文章入力は初期のワープロよりはるかに賢く、変換効率がとてもよろしい。
パソコンも激変しています。私の専用はSONYのVAIOですが、テレビを見ることも、録画も出来ますし、DVDも出来ます。HDDは百二十ギガですが、これに百二十ギガを外付けにして、夜十二時にデータをコピーしてくれるようになっています。
新製品は出ると皆さんは直ぐに評価用にもって来てくださるのですが、何でも今までのCPUの倍の処理能力があるものが出来たそうなので、それが組み込まれるまで、パソコンの代替は一息おこうと考えています。
東京事務所の道場と観音院の本堂は、ポリコム社製の音声と画像が双方向で結ぶ機械が設置されています。画像も滑らかで、音声は明瞭。観音院と東京事務所の電話代はヤフーBBであれば無料です。
今後一年間は通信環境とコンピュータにとっては激変する歴史的な年になると思っています。現在使用しているソフトがそのまま使えれば望ましいことですが、電算機業界の対応が気に掛かります。
失った過去の十年と良く言われますが、合わせて昨今では失われる将来の十年と言う予言的な言葉も聞かれます。
私は、終末論は嫌いですし、将来がより悪くなると言う考え方も好きではありません。
確かにどなたが考えられても年金会計は計算出来ません。金利の問題だけではなく、負担する年齢の人口が少なくなるのですから、減額とか、最悪の場合は破綻するかもしれません。
ところで、少子高齢化社会では、高齢者を支える若い人たちの負担は大きくなるかもしれませんが、子供の数が少ないと遺産相続する人も少なく、受け取れる遺産の額は史上最高になるのではないかと想像します。
中には、遺産の受け取り手がいないという相談も多くあります。全てを使い切って死ぬことは難しいので、死んだ後のことまで心配しないで、成り行きに任せて、国家の収入になっても良いのではと助言しています。
厄介な話は死んだら財産を上げるので、老後の面倒を見てくれる人はいないかという性質のものです。
死ぬまで馬面人参方式(うまづらにんじんほうしき)で、誰にも遣らず、与えずにチラチラと見せながら、持っておきなさいと助言します。
親子間でも家の建て替えで当然に子供が面倒を見てくれるものと思って貯金をおろして、家が完成してから嫁姑の仲が上手く行かずに一文無しになる老人の相談が多くなりました。夫婦親子などで効力のある公正証書は必要なのではないかと思うことがあります。
何かと物の考え方の違いが、誤解を生んで悲劇になっています。
今日一日を大切にすることの積み立てが
貴方の過去を後悔のないものにするのです
犯罪にかかわらぬこと、醜聞に巻き込まれないようにすることが、明日からの生活に重大な影響を及ぼします。
昨今、地位ある人たちが、セクハラが原因で、地位を失っておられます。
贈収賄はやってはならないことです。談合も禁止されています。仕事の手抜きも絶対にしてはならないことです。
脱税も絶対にしてはなりません。国家の基盤を揺るがす行為になります。
これらの行為は、高利の借金を返済日に返さないのと一緒で、債鬼のようにあらゆる手段で取り立てに来ます。
脱法行為は非合法なことを正される日が必ずやって来ます。捜査が始まると予感があります。逮捕され、拘留され起訴され、判決が下りるまで安らかな心で過ごせる日はありません。
日々を安心して過ごせることは大切な幸せの要素です。危険なことの大半は金銭が絡んでいます。
セクハラは、異性の嫌がることを地位や力づくですることです。現実の社会には欠陥があって、ある程度までは異性の嫌がる行為や会話が許される場所があります。そのような場所へ出入りするには払う代償が大きいようです。
セクハラにも許される限界が有って、限界を越すことは許されないはずなのですが、それも最終的には金額次第で限界が変わるようで、困った世の中だと思うことがあります。
セクハラに対する慰謝料は、地位と収入に密接な関係があって、名誉ある人やお金持ちは大きく、収入の少ない人や名誉など全く関係無い人は、それなりの覚悟をしておくと良いでしょう。
セクハラと合意の分け目を、どこで付けるのかは難しいことです。相手が意地になると、解決は難しく、落としどころが本人にとって大変だと思います。
観音院は面談する場所には全ての場所にモニターカメラが設置してあり、安全をたもち、言いがかりを付けるのは難しくしてあります。電話はシステムとして過去七十時間分の会話は全て録音するようになっています。
公職に就いている人などは、格別に注意してください。世の為になり人の為になる人材が、下半身の問題で失脚されるのは忍び難いものがあります。
贈賄や収賄は、日本の風土では馴染み難い犯罪です。入札などの貴重な情報をくれた人には、丁重な恩返しをするのが普通でした。しかし、原資が税金でですから、絶対にしてはならないことです。贈賄には、必ず裏金といった脱税行為があるのが普通です。情報の漏洩や守秘義務違反でもあります。これからは破廉恥なことと思いましょう。
注文は、分かり易い文書で出せば、見積もりの多くは半額近くになります。
東京都の水道メータの談合は、念の入り過ぎです。一度やったことは二度なされる見本のようなものです。談合に関わった会社は、永久追放するくらいの強い規制が欲しいですね。
大学生の集団暴行を「まだ元気のいい方だ」と言ったとか言わないとか、こんな議員さんは免職ものです。
逮捕されてもバッジを外さない議員さんの歳費も顰蹙ものですね。
日本は国会議員さんも相当おかしい人がおられます。
刑罰の強化は望ましくありませんが、仕方の無いことかもしれません。
しかし死刑は、釈放の無い無期懲役くらいにするのが望ましい思います。
犯罪の発生率が高くなり、検挙率が下がるのは、端的に言えば、警察官が足りないからだと思われます。人手が余っている官公庁の職員さんを警察に回せば、日本の治安も大分良くなると思います。
本題に帰りますが、今日は、明日の過去です。一日一日、過去を積み上げているわけで、一生懸命に勉強したり、考えたり、仕事をすると、日々が充実します。パチンコ等やゲームで一日を浪費するようなことは絶対に考えられません。勝負事はとても疲れる作業で決して はまってはならない習癖です。
死ぬことを願わない、死を考えない
自殺は家族や知り合いにとって迷惑です
自殺は、家族や知り合いにとっても大変な迷惑です。
人は誰でも親切にしたい、優しくしたいと言う願望をもっています。さりとて、死にたいと思われるような動機の原因となるような問題は、到底、他人が関与して解決できるような半端なものではありません。
例えば、万一に、過失を犯したり、醜聞に巻き込まれる、脱税して税務調査を受けて反論できないような立場になったら、自殺するかもしれません。
しかし、醜聞が立ったとしても、身に覚えがあろうと無かろうと、このようなことは人の噂も七十五日と言いまして、自殺は選んではいけません。
私は、脱税はできる立場にありませんので、これは大丈夫です。住職には申し訳ないのですが、引退して十八年、お金には縁が無い日常です。
もっとも信徒さんにご馳走になったり、頂いた服飾品などが所得として認定されたら嫌ですね。着用しているものも周りのパソコンなども全部信徒さんに頂いた物で、私の物は何もありません。ですから、信徒さんが欲しいと言われれば何でも差し上げます。
ただ、備品台帳に載っている物は私が自由に処分すれば業務上の横領になる可能性が高いです。私は、税金には基本的に国民の義務だと思っていまして所得税が百%になっても平気です。そうなると多分乗物も食事も医療費も一切合財無料になると思います。
税金が異常に高くなると、生産性はとても低くなると思います。
消費税の簡単な計算は、二で割って〇を一つ引くと考えていましたが、十で割ったら消費税と言うような計算式になるのは嫌ですね。
何れにせよ、私は自殺をしないし、皆さんも自殺はしないでください。
自殺をすると、来世は無いと考えてください。お盆にも帰ってこれません。供養を頼まれても、なにかピンときません。供養したという実感が無いのにお布施を受け取るのは気が咎(とが)めます。
自殺は、惨事を他人がきれいさっぱりと忘れられるくらいまで、約三十年くらいは彷徨うように思えてなりません。
他人を殺傷することは更に罪深く、出家して弔うくらいの心がけで一生をかけても償うことが出来ません。
暴力を振るうこと、心身を傷つけ、傷跡を付けると、整形が上手く出来たとしても深い恨みを受けます。服役しても本当は償ったことにはなりません。
最近、不気味な殺人が多くなりましたが、過失であろうと、恨む理由があろうと、他人を傷付けたり殺したりすることは双方の魂を深く傷つけます。
殺生(せっしょう)は仏教で説く最大の罪悪で、私はそのような立場の人を救う方法を知りません。ご本人が猛烈に悔悟されて、ご本人が努力される以外の道は全く無いと思います。
お盆は先祖供養の良い機会ですが、お坊さんに棚経を上げて済まさずに、皆さんもせめて十善戒くらいは考えてみてください。せめて、般若心経の本くらい、本屋さんには必ずありますから、読経の一遍でもしてください。
観音院では専従の僧侶になるためには比較的簡単な見極めをしています。
般若心経を一日千巻、百日間、合計十万巻読誦です。仏縁が無いと続けられません。
読経の間に「法悦」が感じられるようなら仏縁があります。仏縁が無いと、鼻血が抜けたり、胃潰瘍になったり、無限のストレスを感じます。
観音院の僧侶になりたいなら、連続でも積み上げでも構いませんので是非とも試みてください。
般若心経十万巻読誦を成就すると何があるか、何も期待しないほうが良いと思います。ご自分とみ仏さまの間に深いご縁があることが理解できます。
私はこのようにして観念を持ちました。住職も職員も例外はありません。
僧侶の観念や覚悟はそう簡単に出来るものでは無いようです。