倫理観の高い、誇り高き日本を復興しましょう

私は、誇り高き、礼節の正しい、人を大切にする、約束を守る、
借金をしない、自然の豊かな日本の将来を、子孫たちに残したい
と願っています。
 日本に住む人々が、老人や子供たちに優しく、弱者に思い遣り
の深い国家にしたいのです。全ての人が安心して住める、高福祉
国家、先端企業の集積体、加えて健全な娯楽施設のたくさんある、
楽しい日本になることを願います。
 犯罪者が少なく、真面目に働く人が正当な報酬を受け取れる—-、
夢を語っているのではありません。古き昔の良き日本、人間関係
の暖かい、思い遣りにあふれた国家になることを、誠実に願って
いるのです。 (法主さまのお話を田川純照が筆記しました)

 私は専用的な浴室を持っています。専用的と言ったのは、他に誰
も使う人がいないからで、別に占拠しているのではありません。
 ここには清潔なユニットバスや、タオルや洗濯物を入れるもの、
乾燥洗濯機、仕上がったタオルなどの入れ物、洗剤などが置いて
あって、法主として寺にいつも待機しているとは言え、何だか、
生活費に属する部分を寺に負担させているように思えてなりません。

 住職も同様で、一日三度は汗を流す熱い法要をしていて、且つ
多忙ですので、専用の浴室を使っています。
 その他にも浴室は二つありまして、多分、お湯は一度きりの、
使い捨てになっていて、これは勿体無いとはどなたも言われたこと
はありません。
 電気代や水道代を負担した記憶はありません。これは所得に相当
するのではないかと、包括的に、私も住職も相応の費用を分担して
います。

 昔の観音院には、五右衛門風呂があって、風呂焚きは子供か母の
仕事、風呂に入るのも順番があって、一番が住職、二番が老僧、
三番目が子供で、母親が終い湯に入り、掃除して出る、と厳しく
順番が決められていました。兄弟姉妹が居る場合、昔は決して姉妹
が兄弟より先には入浴出来ませんでした。
 この考え方には住職は壮年期で、沸き立ての風呂に入る体力があ
り、父親を荒い湯に入れないという親孝行の考えがあり、男の子供
が女の子より先に入ることの根底には女性蔑視の考えがあり、主婦
が終い湯に入るのは主婦の責任みたいなものがありました。
 幸か不幸か、女性の裸を見る機会は無く、おそらくは、幼児期に
は母親と一緒であったと思うのですが、記憶には全くありません。
 父親や祖父と一緒に風呂に入った記憶は鮮明にあります。父親よ
り早く風呂に入り、風呂水を柔らかくしておくことは私も心掛けま
した。

 最近は、荒い湯に入ってはいるのですが、入浴剤等に良いものが
たくさんあり、湯の痛さなどは感じなくなりました。風呂焚きをす
る必要は無く、四十℃の設定で湯量も百七十リットル、全部自動で
す。風呂から上がると洗濯物とバスタオルなどを全自動の洗濯機に
入れて、途中で下着を取り出しハンガーに掛け、あと乾燥は自動で
終わりまで行きます。
 洗剤も大変に良くなりました。液体洗剤や、ふんわりと仕上げる
ものやら色々あって、誰にも迷惑を掛けずに、洗濯や掃除が出来ま
す。
 小さな台所には冷蔵庫や電子調理器もあって、結婚しない症候群
の人たちの気持も、少しは理解できます。
 ここに無いものは人気くらい、他は全て揃っていて、申し分あり
ません。

 昔は、食事は一家の主人が箸を取るまでは誰も手が付けられなか
った家庭は沢山ありました。礼儀というよりは社会全体がそのよう
で当たり前のことでした。
 一家の生計はご主人のもたらすものであったのです。商家などで、
主人が放蕩者で遊蕩に溺れ、奥さんが一切を仕切って繁栄すること
もありました。
 しかし商店街の会合などは遊蕩者のご主人さんが店を代表して出
ました。
 戦前の日本はガチガチの封建制度の下にあって、長幼の序列とか、
戸主の尊厳、お役人さんの権力、学校の先生に対する敬意など、
複雑でありながら、単純な秩序で、それを逸脱しないことが、礼儀
正しいこととされていました。

最近のアメリカとイラクの関係で感じる事は礼儀と密接な関係が
あります。
 強制力を伴う人間関係から発生した上下関係を巧みに保つ社会的
態度が礼儀作法と考えてもよいかもしれません。
 本来なら、全ての人や国家にとって平等な環境が整って、その上
で相互に敬愛することから生まれる礼儀が、人と人との関係で生じ
ることを願います。
 清潔で、相手の立場を考えて、威嚇を伴わない、支配と服従の
関係ではない、言葉遣いや態度が一般的であることを切に願うもの
です。望まぬことはしないでも良い、人としての義務は誠実に果す
ような人間関係を求めます。

■他人を傷つけないこと、他人を不愉快にしないこと、人々が安全
に過せること、安心して迎えられる将来があること、ものを大切に、
清潔にすることなどが、礼儀の基本であって欲しいものです。

■一糸乱れぬ団体行動、同一の言葉などが、礼儀正しいとは考えま
せんが。ある葬儀で、自衛隊の方々が礼装で礼拝されるのを見て、
とても感動したことがあります。礼儀について考えたいものです。

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2003-02-2

 勤勉と節約が礼儀の基本です
       時間の使い方も考えましょう

 無礼の最たるものは、約束を破ることです。約束時間など、最近
は、携帯電話が随分と普及してきました。待ち合わせに遅れる時な
どは、簡単に連絡が付くはずです。

 人が生きるということは、生存時間そのものです。自分の時間を
粗末にすることも、他人に無駄な時間を消費させることも殺生その
ものです。金銭は時間に換算することができます。浪費や借入金の
踏み倒しは殺生に該当します。

 私は待ち合わせをする時は二十分前に約束の場所に行くよう心掛
けています。遠方であれば前日に行って約束を違えないよう心掛け
ています。私自身が待つことが嫌いですし、相手を待たすことは
殺生のうちに入ると考えて日常を過すようにしています。
 観音院の日々の法要も毎日正確な時間に執行しています。役員会
も午後六時であれば、六時丁度に開催しています。時間については
几帳面な寺になっています。

 高利を取ることは大殺生です。現在の超低金利も殺生です。殺生
に該当しない金利が有るかどうかしりません。
 年金も殺生な利息計算の上に成立していますので、破綻するかも
しれません。割賦も殺生です、収入は何時まで続くか確定したもの
ではありません。
 借金や預金は、それ自体は減りも増えもしません。紙に書かれた
約束が利息を生むのです。
 約束は履行されるべきです。言葉や文書はとても大切なもので、
紙一枚が人の生命を絶つことは、しばしばあります。紙一枚が途方
も無い金額になることもあります。
 人と人が約束した文書も、双方に約束を守るよう拘束しますが、
本人が知らない文書、例えば法律など、知らないでは済まされない
ものも有りますから勉強したり、専門家に意見を聞くことが大切に
なる場合もあります。

 人が動物と異なることの最大の特徴は、言葉で意思を伝えること
ができ、文字を書き、記録できることです。
私たちが心に思うことを言葉や記号にするようになって三万年か
五万年か、あるいはもっと古い歴史があるかもしれません。
 今、私は、七つの電子辞書、二つの電子地図、エンカルタの総合
百科事典をパソコンに置いて利用しています。
 観音院のホームページは約一ギガのテキストで成立しています。

それ以外に、私自身の辞書を持っています。パソコンの誤変換は
困りものですが、単語登録の機能を文節で登録しておくと、大変に
便利です。
 例えば「じゅうぜんかい」と入力すると
「不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、
不慳貪、不瞋恚、不邪見」と変換します。

 「こんにちは」と入力すると、「今日は、ご無沙汰していますが、
お元気ですか。」と変換されます。
 「げんき」と入力すると「お元気で過されるよう祈っています。」
と変換します。
 拝啓の次に来る言葉は五種類くらい、「では」の次に来る文書も
大体決まっています。書きかけの文書を離れて、他の仕事をする
ときは「と」一文字で「●●●途中●●●」に変換します。

 話が脱線しましたが、人は最初は声の届く範囲に意思を伝え、
文字を書くことで遠くに運ばれ、印刷、電信と情報伝達の手段は
多様化し速度も早くなりました。
 インターネットでは相手に秒単位で情報を伝えることも可能で
す。
 言葉の伝達が大量であれ、速度が速くなったとしても、範囲が
広くなっても、言葉の果す役割に変化はありません。真実を伝える
こと、礼儀正しいものであること、用件を正確に表現しているこ
と。不妄語、不綺語、不悪口、不両舌の範囲を超えないよう留意
しなくてはなりません。言葉で人を傷つけることは絶対にしては
なりません。

 死刑の執行から国家の分割、開戦や終戦、この世の出来事は、
全てが言葉で始まり、言葉で終わります。
 宗教の教えも、思想も、法律も、全て、言葉で書かれています。
大切なことであれば文言の一語一句が慎重に扱われます。言葉は
時として衝突し、矛盾を生み、傷付け、同時に和解や愛、慈悲を
もたらし不安と安心の基本になります。
 言葉を大切にしないと、人とは言えません。
 言葉と語られる時間で、時を刻み、それが人間の歴史になります。

 私は言語学者ではありません。言語の成立や人間の進化と言葉
にどのような関係があるか知りません。
 時が時間を刻むのではなく、言葉が時を刻むのは確かだと思い
ます。
 争いなどは、不幸な時間の使い方です。なるべくなら辛い歴史
を書きたくないものです。
 人の生涯は時間と言葉そのものです。決して浪費しないよう、
大切に使い、充実と真実に近づくほど幸せといえます。悪い言葉
は人間関係を絶つ場合もあります。善悪の判断基準は十善戒を
篩(ふるい)として生きて行くならば、間違い少なく生きた人と
して大いなる み仏さまの加護が期待できます。

■鈴さん!今日は……なんて書き出しのメールが時々入ります。
毎日、大体一時間毎にメールチェックをして時間があれば、即
返事を書くように務めているのですが、来客などで無理もあります。

■運が良いと、メールを下さった方が席を立たれないうちに
ご返事を送れることもあります。夜八時を過ぎると、翌日朝に
メールチェックすることにしています。チャットの文字お喋りは
不可能です。

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鈴の法話 2003-02-3

 良い「気」持つよう努力しましょう
     景気も元気も多くのことは「気」です

気が有るとか、気が進まないとか、「気」は理解を超えた不思議
な力の源(みなもと)のようなものです。物事や存在、宇宙の法則
を動かす原動力そのもの、と考えてください。

 人間の良い気分、気の強い人、弱い人、とか言いますが、それも
同じです。「気」は深く研究すれば、人間の歴史や太陽系はおろか
宇宙の果てまで解き明かすことになります。このようなことは専門
家に任して、目の前の人々の苦痛を除き、景気を回復させ、幸いを
多くし、悪い気を除くように礼拝することが、供養であり祈願でも
あります。
観音院の法要を俗に「元気法要」と呼ぶことがあるのは、皆さま
を元気にして悪いことが無いよう、み仏さまの「善い気」を分けて
上げるためです。
 人それぞれに「気」があって。元気な人、不気味な人といろいろ
ですね。

 今、私がレーザー彫刻機で彫っている「大日如来像」は三世供養
を拝み込んだもので、前世を供養し、現世–この世を供養し、来世
を供養したものです。霊魂も元気なのが良いように思います。
 気は不思議な傾向があって、他人に分けてあげることもできます。
あげればあげるほど大きく、慈悲深くなるようです。

 気晴らし、気が向かない、気が優れない、気が沈む、気というも
のは沢山の性質のものがあります。
 景気の「気」も元気なのが良いですね。人によって色々な気があ
るように、景気の「気」も人によって異なります。俗に「福相」と
いうものが有りますが、これは時間を掛けて判断します。家の貸借、
お金の貸借関係にも、家にも有ります。企業にも有ります。

 「福相」には決まった形は有りません。裕福を永く維持すると、
自然に、福々しい雰囲気という気が、備わって来るから不思議です。
宝くじの一等が当たっても福々しい雰囲気は生まれません。

 気が強いとか、弱いとかとも、よく言われることですが、生きて
行く上で気力と呼ばれるものも大切にしなければなりません、病気
の治療でも気が強い人ほど回復が早いと言われます。
 人間から完全に気力が抜けると脳死の状態、会社なら破綻、自然
にも気力があって、気力が抜けた山や林は荒れ放題、川から気力が
抜けると、魚が棲みません、海から気力が抜けると大変です。
 タンカーなどが座礁すると多量の油が海面を漂い、岸の岩や砂ま
で油だらけになり、自然は再生しにくく、漁師さんの死活問題にな
ります。最近はよくある事故です。
 原発から気力が抜けると制御不能になります。自然にしろ、人で
も、企業でも、気力は大切にしなければなりません。気力を失うと
機能しなくなります。
 人間について言えば、気力は、精神でも脳の働きでも有りません。
人間としての全体の調和を図る調和機能です。

 「気」は高めることも無くすこともできます。よく手入れをすると、
気力は高まります。人間なら、飽食せず、適度の運動をなし、良く
勉強し、誠実で、嘘を吐かない。精神的負担も少なく、精神も脳も
良く機能し、免疫も高まります。
 会社も不良債権を抱え、技術が陳腐になり、資金繰りが怪しくな
ると、株価も下がり「気」が会社にも社員にも感じられ無くなるよ
うです。
 気力は、共振や共鳴をする傾向がありますから、放置できません。
日本経済は気が抜けつつあります。利益が上がらず、税金も払えな
い、国家は税収が減り、債務が増えつつあります。働く人は生活費
を支給されて、家族が多くなるにつれて支出が多くなります。生活
程度は高く、賃金を払う主体は気が抜けつつありますから、生活を
保障することができません。

 気を高めるためには、刻苦耐労、勤勉、団結奮闘、かつ報恩積善
で、日常を過ごす必要があります。企業も国家も同様な努力が必要
です。
 日本は、高額所得の役人が増えました。このままでは気が抜けた
お役人さんによって、気の抜けた国家になりかねません。悪くする
と、ずるずると死んだような国家になりかねません。
 やる気のある人を登用し、気の抜けた人たちには適性のあるとこ
ろへ移動できる構造改革が急がれます。
 気の抜けつつある国家には国力がありません。巷に失業者が溢れ、
就職できてもミスマッチが多く、気の有る人も無気力になります。
政治の混乱は国民の政治不信をもたらしました。どうすれば国家を
建て直すことができるか、何方にも分からない手探りの状態です。

 日本は一時期、大国らしい様相を示していた時期がありました。
過去の栄華を誇っても見栄を張るだけです。
 現実から出発し、堅実に国家を運営し、将来に向けて対策を立て
ましょう。このままだと日本から「気」が抜けてしまいます。国民
も安心して暮らせないと「気」が抜けてしまいます。気が立ち昇る
ような国家にするためには、上に立つ人々から慎みと誠実さ、生活
の改善が第一歩になります

■景気の「気」は当分の間は、元気にならないと考えるのが妥当で
しょう。国民全部が倫理観を高く持ち、一生懸命働ける職場の提供
が必要です。日本の山や川や都市が、元気を取り戻したいものです。

■社会人全体の再教育が必要です。国家資格に基く資格も再試験が
必要です。一旦資格を取れば終身資格を持ち続けるのも技術革新を
妨げます。国民全員が「気を発揮する」勉強と努力が必要な時です。