日本の外務省の優秀な官僚がイラクの復興支援のために出張されていて、テロと想定される犠牲となって殺された。現在のイラクは安全だ、危険地帯だ、戦争中だ、と色々いわれているのですが、人伝てに聞いただけで、実際に自分の目で見て語っている人は少ないので、議論が噛み合いません。イラクに自衛隊が復興支援で派遣されて、もし犠牲者が出ると、信徒さんか信徒さんの親戚が、いずれにしても他人事ではありません。私が今一番行ってみたいところはイラクです。この度亡くなられた二人の方は、信徒さんの知人でも友だちでもありました。日本の自衛隊のことがとても心配です。
(法主さまのお話を田川純照が筆記)
イラクの歴史は戦闘と流血
戦略と経済流通の要衝の悲しみ
ニューヨークの世界貿易ビルとペンタゴンのジャンボ乗っ取り突っ込みテロは多くの人々を殺傷し、被害は未だ復興されず、関係者の心の傷は小さく見ても今世紀の中ごろまでは癒されない、癒されることなく忘却されるかもしれない。実際に原爆で親が傷つき、兄弟を失い、友達を失い、家が焼かれたことを、私は忘れていません。
ですから、エノラゲイが復元展示されることにも複雑な思いです。
ですから、ニューヨークのテロに対するアメリカや関係者の祖国の怒りも十分に理解できます。
ビンラディンの組織、タリバーン誕生は一九七九年のソ連によるアフガニスタン侵攻であり、侵攻の結果生まれた親ソ政権に対して、アメリカをはじめとする西側諸国の支援をうけたイスラム聖戦士(ムジャヒディン)の抵抗に起源があります。
アフガニスタンと言えば日本人にはバーミヤーンにある仏教石窟がよく知られています。なかでも中心部石窟群の東と西とにそれぞれ高さ三十八㍍と五十五㍍の大仏立像をほりだした巨大な龕(がん:仏像を安置するため岩壁にほられたくぼみ)は有名で、二〇〇一年三月、偶像崇拝を禁じているタリバーンは、最高指導者モハマド・オマール師の布告により、バーミヤーン石窟の大仏を破壊しました。仏教美術の貴重な文化遺産に対するこの野蛮な行為は世界じゅうの非難をあびました。
三十年も前なら、中国からアフガニスタンを経てパキスタン、インドの仏跡を参拝するツアーもありました。
私には星の美しい国という印象しか残っていません。パキスタンもイラクも同様です。生活程度は日本の敗戦直後より悪かったように思いました。
中東諸国は古代ローマ時代から十字軍の派兵を始めとして冷戦時代の影響、内乱に次ぐ内乱で、平和であった時代は殆どありません。
イラクは西南アジアにある共和国で、正式国名はイラク共和国。北はトルコ、東はイラン、南はサウジアラビア、クウェート、西はヨルダンとシリアに接しています。シュメール、バビロニア、アッシリアなどメソポタミアのいくつかの古代国家が繁栄した地です。総面積は四十五平方㌔、人口二千五百万人、バグダッドが首都になっています。
この国が騒然として、そこへ自衛隊を派遣するのですから犠牲覚悟です。
テロは主義主張を通すために暗殺や破壊を行うもので、かつ殉教という考え方は死をもって購うものがあるわけですから、最後の一人が居なくなるまでは正しくは戦争終結とは言えないとおもわれます。
日本の東京もテロの標的だそうですから、国家を挙げて防御すべきだとおもいますが、私たちは平和慣れをしていて本当の恐怖を知りません。
テロによく似た概念に地震がありますが、予知は先ず不可能、防ぐ方法はありません。テロ行為は地震と異なり航空機に乗る検査ほどに全ての交通手段に対して爆発物の有無を検査すれば比較的に安心かもしれません。
東京に事務所をもって以来、明後日には大地震があるとの噂話を再三聞きますが、日本列島に住むものとして地震が怖くては生活が成り立ちません。
日本人の宗教心は自らの宗教のために殉ずるほどのものはありません。
私も教義を展開する上で、間違っても教えを守るために、殉教するならば極楽を保証するとは説きません。
他人を殺傷し、設備や建物、交通機関を破壊することは十善戒に反します。
恨みにも怨嗟(えんさ)にも倫理道徳の範囲外であってはならないと思います。怨嗟に怨嗟で報いるならば、怨嗟の連鎖が始まると、救いがありません。
本来、怨嗟の輪は寛容で断ち切ることが期待されるのですが、今般のテロは理解を超えています。国内の武器が良く管理されているのは幸いです。
お年寄りの戒律の試案はどのように
これは私自身の自戒とも言うべきものでは無いかと考えています。
◆月曜日 朝の言葉
若い者に迷惑を掛けない。若い者の意見を良く聞く。
暑い日、寒い日に出歩かない。身体具合が悪い時には医師に診てもらう。
無理をしない。体力が衰えるのは加齢に伴うもので当たり前。車の運転や機械を動かす時は慎重にする。
なるべく携帯電話が使えるようになる、緊急時の連絡先の登録をする。
引退は早めに、何時までも権力を持たない方が楽。あとは無責任で。
軽々しく遺言をしない、軽々しく資産の名義を変えない、投資はしない、金銭を貸さない、借りない。
近頃の若い者は、は禁句。若い人から席を譲られたら有難うと微笑みを返す。
◆火曜日 朝の言葉
物が無くなったら、良く探すことが大切。盗られた、盗られる、は禁句。身辺を良く片付けて、大切な物の置き場所を決めておくのが自分のため。
子や孫に金銭物品を与える時は、何らかの反対給付は絶対に期待しない。
自分のことはなるべく自分ですることが大切。周囲の人を煩わさない。
皮膚の手当ては、こまめにするよう努力する、小綺麗に心がける。
腹八分目、医者の助言を大切に、検診は三ヶ月に一度、血液さらさらにするよう心がける。
寝たばこ厳禁。お年寄りが見本になるよう心がける。火事を出さない。
眠りが浅くなったら、医者に相談して薬をもらう。失禁、粗相はしかたの無いこと。映画やJRには割引もある。公的施設の多くは無料だから使う。人生を楽しむ考えで日々を生きる。
◆水曜日 朝の言葉
老いて一人身は淋しいからね。若い者に遠慮せずに、何時までも若い心で配偶者を大事にする。
万一配偶者を失った時は、再婚まで一年は月日を置くようにする、つまらぬ人と一緒にならない。出会い系のサイトに出入りするのは危ない。お年寄り専門の騙し屋さんが待ち受けている。
悩み事がある時は、民生委員さんやお寺の和尚さんに相談する。
良い人と決める前に、会合や寺参りに行って良く交際してから。若い者にも良く相談してみなければ。
下着は清潔に、年相応よりは若いものを身につけよう。手や足裏、肘、膝には尿素配合のクリーム等を付けて手入れを怠らない。滑らかな皮膚を保ち、何時までも色気を大切にする。
◆木曜日 朝の言葉
老いて嘘吐きになるのは悲しいことだ。嘘を吐くより、騙される方が多いから気をつける。
子供や孫から、困っていると電話を掛けて来たら、良く確かめることが大切だ。事故を起こしたからお金を出してと言うのは、新手の詐欺らしい。
子供や孫のしたことに責任は無い。借金を払う義務も無い。最近は「おれおれ詐欺」なんかが流行ってるから。
見知らぬ人が親切にしてくれて、それから高額な物を売り付けるあくどい商売もあるから気をつけよう。玄関に鍵を掛けて、外が見えるような呼び鈴もあるそうだから、それをつけよう。
◆金曜日 朝の言葉
若い者の言うことにも、耳を傾ける寛容さをもちたいものだ。交通事故にはくれぐれも気を付けて天寿をまっとうして一日でも長生きをしましょう。
遺産をやるから老後の面倒を見てくれとは口が裂けても言ってはならない。
遺産目当てで年寄りの面倒を見させるのは若い者を堕落させ可愛そう。
孫を可愛がるのはほどほどに、最近の子育ては随分と違った。自分が育てた子供たちの変化ではなくて、世の中が変わったのだろう。
アルツハイマーになった時は、アメリカのレーガン元大統領みたいに周囲に告げて、すること言うことを大目に見てもらうことにしよう。
癌になった時に、医師から自分に告げてもらうよう頼んでおこう。
運が良ければ百二十歳くらいまで生きれるかも。どうせ一度は死ねますから、死ぬことを恐れないで、ひょいと敷居を跨ぐくらいの気持で居よう。
死んだらどうなるか、それは観音院に任せた、こんなに良く供養する寺は無いから頼りにしよう。明日は土曜日、ゆっくり寝ましょう。
◆土曜日 朝の言葉
約束を守る見本にならなくては。知らない人の言うことは聞きません。守れない約束もしません。約束は必ず守ります。もし約束が守れなくなった時は、早く約束した人に約束が守れない理由を伝えます。むだ使いはしない、知らないところへ行かない、好き嫌いを言わない、物を粗末にしない、持ち物は整理整頓する。部屋をきれいに掃除する、難しい本も読む、人間生涯学生だから、若い者の手伝いをする。
身体具合が悪い時はゆっくり寝る。無理は絶対にしない。
◆日曜日 朝の言葉
親切な人と言われて終りたい。さりとて縁の無い者に親切にすることもない。ああしろ、こうしろと言っても思うようにはならない。寄って来る者を可愛がる。知らない人には絶対に親切にしません。親切にすることは相手が何を願っているか想像して、願っておられることをしてあげよう。よくよく考えて相手の立場で考えよう。
争っている人があったら和解をして憎まれずに老後を過ごすように工夫しておこう。最後には、皆さん、有難うございました、と言いたい。
お年寄りに十善戒を説くのは難しいことです。これで確定したわけでは無いので、皆さんの意見を聞いて、改訂版を重ねてください。ところどころに若い人々に対する不信感があるように思いますが、若い者に裏切られたり、粗末にされている人々からの相談がとても多いのが実情です。
ところで、お年寄りが若い人を騙す場合もあります。嘘だと簡単に証明できるのに、嘘を言いつのられる場合も皆無ではありません。
死生観については何れ丁寧に説明します。逝きやすいように、ご希望に沿いながら来世を建設したいと願います。
子供にとって戒律はどのように
◆月曜日 朝の言葉
大切にします。生き物の命、草花や緑など、小川の魚など。
丁寧に観察します。生き物の成長、草花の花の咲く時、木々の葉の色の変わることを。
遊びに出た時は、道路信号を良く見て交通事故を起こしません。自転車の二人乗りはしません。
お年寄りを大切にします。何か用事やお使いでもしましょうか。買い物に行って上げましょうか。
きょうだい助け合い、仲良くします。お父さんやお母さんの言いつけを良く守り、心配を掛けないようにします。
外から帰ったら、すぐに手洗い、顔洗い、うがいをしましす。
よふかしをしないで早寝早起き、部屋は散らかさないよう整理整頓します。
◆火曜日 朝の言葉
泥棒や万引きは絶対にしません。よその家のものを黙って持ち帰りません。親の財布から黙ってお金を取りません。万引きをさそう友だちはといっしょに遊びません。
おかしいと感じたら親と相談します。
欲しいものは、こづかいを貯めて買います。友だちからお金をかりません、かしません。
ゲームは四十五分以上はしません。予習復習をおこたらないよう努力します。
買い食いや立ち食いはしません。
◆水曜日 朝の言葉
エッチなことはしません。男の子と女の子にはしてはならないことがあります。
エッチな本は読みません。エッチなことを言いません。大人にエッチなことをされそうになったら、大声でさけびます。逃げられなかったら噛みつきます。
知らない人からものをもらいません。知らない人とはどこにも行きません。
友だちが遊びに来た時はドアは必ず開けておきます。家族には必ず友だちを紹介します。
◆木曜日 朝の言葉
嘘は絶対に言いません、先生や友だちの悪口は言いません。
困ったことがある時には親とすぐに相談します。
授業中は先生の話を一生懸命に聞きます。かってに話したり、歩き回ったりしません。
話したり書いたりする時は、経験したこと、想像したこと、希望することは分けます。
勉強は、教科書を見て、口に出して読んで、手で書いて記憶します。目と口と耳と手を全部使います。繰り返して勉強します。
◆金曜日 朝の言葉
先生や親の言われることは素直に聞きます。知らない人の言うことは聞きません。
守れない約束はしません。約束は必ず守ります。もし約束が守れなくなった時は早く約束した人に約束が守れない理由を伝えます。
むだ使いはしない、しらないところへ行かない、好き嫌いを言わない、物をそまつにしない、持ち物は整理整頓する。部屋をきれいに掃除する、勉強は毎日こつこつとする、親の手伝いをする。あれもこれもと欲しがりません。
◆土曜日 朝の言葉
親切な人になります。親や親戚の人に親切にします。きょうだいは仲良くします。知っている人には親切にします。知らない人にはぜったいに親切にしません。親切にすることは相手が何を願っているか想像して、願っておられることをしてあげることです。知っている人の話は良く聞きます。
お菓子は、みんなで仲良く分けます。自分が一番多く取ろうなどとは考えません。よくばりな人になりません。
◆日曜日 朝の言葉。
感謝の気持を大切にします。先生ありがとう。お父さんありがとう。お母さんありがとう。皆さん ありがとう。物を買った時もありがとう。
きたない言葉は使いません。何かを頼まれて、してあげる時は「かしこまりました」。何かをしてもらった時は「ありがとうございます」と言います。
「子供の十善戒」である「朝の言葉」を考えているのですが、不邪淫をどのように説いたら良いか、複雑な気持ちで考え続け悩んでいます。
月刊誌に関わっている人は今二月
私は正月号ですが、常に近未来に対応
月刊誌を発行していて大変に素晴らしいことは、なるべく発行時の世間の出来事と原稿を合わせたいとの願いです。明日をも知れぬ人間が、来月やその次の月のことを考慮して原稿を書くことは容易なことではありませんが、週刊誌のライターはもっと大変でしょう。新聞となると、今日のことを今日書くのは当然、深夜や明日早朝のことまで掲載したい、これは大変です。
締め切り時間をできるだけ遅くして、高性能の印刷機で刷って、読者にお届けする。地球はひとつで時間差で各国が生きていますから、何が何時、何処で起きるか分からない。最近は地球の反対側で起きたことに利害が絡んでいますから、新聞は大変でしょう。
テレビの速報性は世界をひとつにするような機能がありますから、印刷物で生き残るのは辛く厳しいことです。
月刊観自在の場合は、昔に一度遅れたことがありまして、大変な反響で、以来遅れないよう、毎月一日に出すよう、これでも微妙な努力をしています。
印刷の場合は、原稿、校閲、製版、印刷の過程があって、こつこつと日常努力すれば、それほどのこともありません。体調を崩したり、スランプに陥ると、工程に追われて徹夜するようなことがおきたりします。スランプの原因は、仕事外の悩みや家族の病気、サラ金に追われたりしたら多分駄目だとおもいます。月刊観自在のスタッフは徹夜は厳禁、余裕をもって、明るい内に仕事は済ますことにしています。
七十歳にもなると無理はできません。徹夜は翌日にぐたっとするくらい応えます、祈願などで切迫した状態で依頼されると三日間に三十三座の護摩くらいは焚きますが、捨身祈願です。三千五百六十四本の護摩木に施主のお名前と願意を書いて一心不乱に拝みますと、大体が九割かた死にかけています。
さりとて祈願寺の僧侶ですから、何時、何方から祈願を頼まれるかもしれません。スランプなんて言い訳は聞いてもらえません。
一ヶ月に三十三座の護摩祈願を三度やそこらは受けられるように、体調を整えて生きて行かねばなりません。
私は祈願を始めると、水は自然に飲みますが食事はできません。痩身にはなりますが、倒れて医師に診察を受けることは滑稽です。楽爪苦髪と昔から言われてますが、頭髪は三日で一㌢は伸びて、爪は伸びず、甘皮が剥けます。
祈願は、皆さんの願いをみ仏さまに伝えることで、無理は駄目です。歯を失われた人の三本目の歯は生えません。
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空中から小判は降らせられません。
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与えられた義務をこつこつと済ませ要望に応じて祈願し供養します。不思議や奇跡はあって当然、そのような日常ですが、感謝があってこそ生きている不思議も理解でき、慎重に日々を過ごして、今日あることの奇跡が理解できるものです。
最近はメールが便利になりました。私は携帯電話のメールアドレスを公開していましたが、これに一生一度の祈願をして欲しいと依頼されることがあります。
生涯一度といわれるような祈願ですと、それを承知しましたと受けるのが私の立場です。
私は電話であれ、電報であれ、依頼方法の手段を問わず、知人であれ、初めての人であれ祈願したり、供養する立場にあります。
しかし、携帯のメール一本で、捨身祈願をするのは軽々しいと監事さんに注意を受けました。
私の行動様式を知らない人は、私にどんな無理をさせても気付かない。のみならず、自分の願いが通らぬ時は、追及するとメールに書かれていたそうで、祈願中の私には話し掛けることは遠慮させていますので区切りが付いたところで停めないと、多分本当に死ぬまで祈願を続けると思われたそうです。
なんともいえないことですが、私は間違っていない、そのように思っていて、メールであろうと、依頼者が納得されようと、されまいと、祈願し礼拝する態度は絶対に変えません。
今日起きたことは今日中に済まして借金はせず、一切の負担が無く、夜は早く寝るのが普通ですが、継続して祈願を依頼されれば、一段落するまでは私は寝ることができないのです。
息子の嫁が家を出そうだ、止めるよう直ぐ護摩を焚いてくれ、車に乗ったが何とかしろというような護摩祈願の依頼、それが可能であってはならないのが護摩祈願の真実です。
■僧侶に一番大切なことは自律自戒です。常に身体の健康と皆さまとの調和を考え、生活は規則的に、十善戒に反すること無きよう、出来ぬことを出来るかのように言わず、正直に生きて、四苦八苦に苦しむ衆生に抜苦与楽の精神で、かつ健やかに生きて下さることを祈ります。
■祈願や供養はみ仏さまに精神誠意伝えるのが僧侶の立場で、拝めば何でも可能と言うのは公序良俗に反します。どのように礼を尽くされようと、僧侶は自然に反するような祈願をしてはなりません。病気平癒の祈願などでは信じる人にとっては免疫を高めるように働くでしょう。