生きる上で一番大切な事は 殺生をしない事です (前編)

【院家さん】 十善戒の第一は不殺生です。簡単に言えば生きとし生けるものの生命を絶たぬ事です。

殺生とはただ単に刃物で人を傷つけたり、首を絞めて絞殺するような単純なものに止まりません。
人は知らず知らずの内に殺生を犯して気づかぬ事も有るのです。

【寅さん】 私のような者でも殺生な事をしているのかな。

【院家さん】 寅さんよ、今まで生きて来る間に人に哀しい思いをさせた事はないか。

【寅さん】 どちらかと言えば世間様の喜ばれるように努力して来たつもりだけど、人に絶対に嫌な思いをさせた記憶は全く有りません。

【院家さん】 そうだろうな、寅さんが殺生した過去が有るとは思えない。だけど気の毒な人を見て、私には直接に関係が無い事として放置した事は無いか。

【寅さん】 それは有ります。成長するにつけて弟が勉強しないと怒った事が有ります。

【院家さん】 その結果、弟さんが寅さんを大事なお兄さんとして今日まで慕っていてくれるなら叱った事も非難できないかもしれないな。

【寅さん】 家内に手を上げた事は有るな。あれは気分がむしゃくしゃしている時にたまたま食事が遅くなったので、面白くなくて
怒った事が有りますね。良く考えればこれは家内が全く責任が無いのに、叩いてしまった。三人目の子供が出来たときに生活費が大変になると思って話し合いの上で中絶してしまいました。

【院家さん】 中絶された子供さんの立場からすれば、折角この世に生を受けた命を中断される事になる。子供は何も文句を言う事が出来ない。もし育てていれば、ノーベル賞を貰うようなお子様になれた可能性は有る。親の都合で妊娠中絶する事は刑法の殺人罪には問われないが、子供さんは殺されたことになるな。

【寅さん】 中絶した子供については命日毎に読経し「済まない事をしました」と懺悔を繰り返しています。

【院家さん】 中絶は殺生だけどそれを反省し供養を続けているなら、忘れているよりは大分罪が軽くなる。このような直接的な事で無くても、最近は少子高齢化で親の面倒を生涯見る事が経済的に不可能になって施設に預けてしまうような事も少なくない。親が安心して住める場所を奪い、日常的な接触の無い場所に置く事は殺生な事をしたと言えるな。職場にあっては友人関係が面白くなくて排除するには、その人にとって仕事ができ生活が出来る環境を奪う事で、間接的な殺生と言えなくもないな。このように普通に過ごしていても知らず知らずの内に罪障を積んでいる事が有る。

昨年一カ月日赤病院に入院した体験から、末期の癌と診断されて「やけくそ」になっている同室者が居て慰めるのに大変苦労した。人間は弱くなると家族や友人や世間から大切にされなくなるのは、残念ながら事実だ。

月刊観自在 平成26年11月号より 抜粋

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