二月一日から大祈願を執行しています

■観音院は年中、厄除招福大祈願をしてますが、み仏さまの御力を信じぬ運の悪い人はどうしようも無いですね。み仏を信じぬ人に、他人を信じて良い人間関係が作れるはずがありません。人間三十歳までは親の責任、三十過ぎたら本人の責任、若いうちにみ仏さまに信心を持たすか否かは親の責任。

■人を救うのは私ども僧侶の責任だが、信心の無い人を救う義務など毛頭ありません。

■今度は大般若転読法要二百座、お護摩四万五千座を披瀝した上での法要だから効き目がある。

▼こんなに良く拝まれたみ仏さまはこの世に居られない。

■一口に大般若転読法要とか護摩と言うけれど、準備が大変なもので供物やら供花やら、僧侶の出仕(しゅっし)依頼でとても大変です。

■招福とは、基より宝くじに当選したり、努力しない人の合格等を保証するものでは無い。良い人との出会いが有る。出会った人と人間関係が築けなくては意味が無い。或いは人間の免疫を高め自己治癒能力を高めることが期待できる。

▼厄除とは、不幸なことから逃れることを期待している。地震・雷・火事・厄難から、逃れる可能性は著しく高くなる。大難は小難に、被害は小さくなる事が期待される。

■厄除招福は、真面目に精励努力する人、人事を尽くして天命を待つ人には、大きな霊験がある。

■不平不満に満ちて、相手の立場に思いが及ばぬ人には役に立たない。み仏さまは全ての人に平等に慈悲のみ手を垂れ賜う程に寛大では無い。祈願の前に努力と善行と実行が大切だ。