お金というもの貨幣などは僧侶と無縁です

観音院が、経理や運営を公開したのは、僧侶がこんな馬鹿馬鹿
しいことに左右されたり、心痛することはないと考えたからです。
私も住職も金銭のことなど考えたこともないし、気にしたことも
ない。寺門繁栄なんて商売繁盛と同じ考え方だ。
 寺院は人々の「心を救済」すれば、それで全部。信徒さんと毎
日お話ししているが、最近は日本の将来はどうなるか何て、僧侶
がかれこれ言うことではない。デフレが何時まで続くかなんて、
とんでもない質問を大真面目でしてくださる。学校の週休二日な
んてことも瞑想(めいそう)の邪魔になるくらいのものです。ま
あ、しかたが無いから話は合わせておきますけど、新聞でも良く
読んでご自分で考えられるのが本当ですよ。(田川純照筆記)

デフレは五十年は続かない
     日本と中国の賃金が平衡化まで

 中国が世界の工場になるそうで、日本で物を製造しようとすると
賃金が高過ぎて無理ですね。日本の賃金が半分になり、中国の人の
賃金が五十倍になれば、デフレは終焉(しゅうえん)です。

 国債をどんどん出してはいけませんね。月給五十万円の人が八十
万円の生活をしてるみたいで、、、早晩終わりです。

 貯金が一千万円あろうと、二千万円あろうと破綻するのは遠くな
い。国家も家庭も理屈は同じことです。
 不況、不況と大変だけど、景気は過熱しても冷え込んでも困りま
す。
 昔の日本は経済行為が楽でした。物によっては大卸が売価の十%
から二十五%、今でも似たようなものが沢山ありますが、百円ショ
ップの出現は面白いことでした。ところが六十八円均一のお店がで
きたりして、これは皆さん大変なことだと思いました。
 ユニクロという衣料品店ができて、安くて品揃え良いとかで破竹
の勢いでしたが、あまり安いのも考えもので、ただでも不用な物は
買いません。箪笥(たんす)がもう一杯ですから、この商売も限界
があります。
 本四架橋も日本版の万里の長城で、壮大な浪費で、かつ通行料が
高いと思います。物には必ず寿命があって、あれは何年くらいもつ
のでしょうか。
 箱物や道路を沢山作って、あれは全部補修したり、作り直したり
しなくてはなりません。百年単位で考えると、今日竣工式を挙げた
構築物でもひび割れ、運が悪いとただのゴミです。

 政治家もお役人も、もしかしたら国民も大型ゴミを望んでいるの
ではないかと思えるふしが見え隠れします。と、それだけしか考え
ませんでした。

 観音院では、仏具も護摩壇(ごまだん)などは格別な工夫がして
あります。維持費が少なく、掃除が楽なように考えました。
 このたび、観音院の寺子屋にパソコン十台を入れます。これなん
か五年でゴミになります。もしかすると三年でゴミになる可能性も
高いものです。
 設備は設備ですが、パソコンを習いたい信徒さんに知識を供給す
る目的です。知識はなかなかゴミにはならない。それに加えて学校
五日制になりますので、休日の二日に寺も何か貢献しなくてはなら
ないと考えています。先日はマイクロソフトのゲーム機X-BOX
を購入しました。ソニーのプレステ2もあります。遊びも必用だと
考えます。
 寺の中がとても狭隘(きょうあい)になりました。十分を求めれ
ば現在の四倍に増築すれば丁度です。ですが、使い損ねるとただの
ゴミになると思います。
 伽藍堂(がらんどう)というのは中に何も無い、使われていない
大きな建物のことです。現在の観音院は良く使用されていて、当分
の間は現在のままで辛抱するべきです。叩たけばガランと音のする
ような建物を造るのは良くないことです。

 先日もゼロックスのFAXとカラーコピー、パソコンの構内プリ
ンターが設置してありましたが、従来のものは十年くらい使用しま
したから廃棄処分にしたのですが、少し複雑な気分です。
 使えば、未だ使えるのですが、新しい物がランニング・コストが
十分の一に安くなりますし、プリント速度が速くて、綺麗、節約は
難しい概念です。
 観音院には現在でもMS-DOSで動いている専用機が五台あり
ます。これをウインドウズに変更するのが困難なのです。もう十五
年以上も使用しています。能率は悪いし、変更も難しい。
 普通の業務に使っているのは、ウインドウズのXPやらNT。
マックはOSX(10)を使用しています。もちろん従前の機種も使
用しています。

 この二十年間、これらの電算機は非常に高価で扱い難いものから
安価で使い易い物になりました。
 ただ、ふと思うことは、これらの多くの商品は、大量生産と大量
消費につながれていて、利益をぶら提げながら人々から利益を吸い
上げていたのかもしれないと思うことも少なくありません。
 この期間が日本が世界一の工業輸出立国として君臨できた時期か
もしれません。空調やら台所、交通手段も一変しました。
 箪笥の中も一杯ですね。需要が無いと、ご商売は難しくなります。

 一方では、中国縦貫道や山陽道、本四架橋もあり、交通は便利に
なりました。下水道も良く整備されて、清潔な環境に思えますが、
異常気象や高潮など、説明の難しい自然現象も起きています。

 人は誤魔化せても自然は誤魔化せない、師匠に聞いた言葉です。

■観音院は、とても便利で近代化された活気のある寺院です。
 冷暖房完備で、電算機も使いこなし、これらを親切と、人を
 幸せにするために役立つよう使用することに心がけています。

■道具を使うのは人です、使う人の心を文明は反映します。
 決して便利さと効率追求に終わってしまってはならない。
 まだまだ便利になると思いますが、人が中心になります。

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鈴の法話 2002-4月-2

学校五日制と教育熱・勉強意欲は・・・
         勉強は、周囲の意欲と本人次第です

 仕事も五日制、三連休も多くなりました。日本人は、勉強や働く
のが嫌いになったのか、非常に心配なことです。
 あるいは努力する人と怠惰な人との二極化に向けて、人々の性格
や能力が分かれて行くのか、それも心配です。

 少なくとも、昭和初期まで「日本人は勤勉である」という評価が
世界中にあったと思います。
 明治維新のころ、緒方洪庵塾にしても、松下村塾にしても休日と
言えば正月とお盆くらいではなかったのかと想像しています。私の
祖父は朝に星をいただいて、夜も星をいただくまで働いたと聞かさ
れて育ちました。

 刻苦精励は私の日常の基本です。いかにも大変なようなに聞こえ
るかもしれませんが、報酬は大きく、求めるもの以上のものがあり
ました。達成感とか満足感、このような感覚を知らずに子供たちが
育つことは怖いと思います

 現在でも観音院は月刊「観自在」をカラーで三十二頁を毎月発行
し、もう二十数年になりますが、私も深く関わっていて、しんどい
と言えばしんどい。
 ホームページにもテキストを毎月3万字くらいアップしています
が、満足感はともかく達成感はあります。
 テキストを上げると膨大なアクセスがあります。これは一種の成
功体験ですが、努力には成功体験も大切です。

 失敗は成功の母とも言えます。成功を重ねると失敗の率が低くな
ります。「職人技」という言葉は失敗の確率がとても低く、普通に
作業しても仕上がりが良い。日本の職人技は伝承されるか否か。

 子供達に、鶏の番(つが)いでも飼って卵を孵化(ふか)させて、
ヒヨコを育てる。大根や菜っ葉–野菜を育ててみた経験、メダカを
すくい、トンボを追っかけるような幼児期の体験は必用なようにも
思われます。昔は田植えや麦踏みの経験くらいは極、普通のことで
珍しくありませんでした。
 田圃(たんぼ)で蛭(ヒル)に食いつかれた経験なんて貴重です。

 私の幼いころは、勉強は絶対条件で、教員免許か何かもっていた
母親がそばで縫い物をしながら監督して、サボると物差しでピシャ
リと叩かれる。あれが痛かったから、体罰反対ではありませんが、
子供も、廊下拭きやら風呂沸かし、庭の掃除、それに辛いと思った
のは大晦日の包丁砥ぎ、寺の廊下は長く庭も広く大仕事でした。
 鳩を二百羽くらい飼っていて、小屋の掃除も半端では無かったで
すね。
 朝食の前の本堂での勤行も冬は寒かった記憶があります。漆塗り
だから糠袋で拭くのが大変でした。昭和八年の七十歳ですから、い
ろいろあります。
 お陰様で今でも稲藁を叩いて藁草履を編むことくらい何でもない
です。
 ところで、このころの親は何を期待して子供を厳しく躾け、教育
をしたのでしょうか。
 怖いことですが、両親が何を期待していたか知っています。寺の
子供でありながら、陸軍幼年学校へ入れるつもりだったらしいと聞
いています。
 戦死する確率が非常に高く、且つ、そのことが名誉であると考え
られていた時代に我が子を軍人にしたいと考えた親心は不思議です。
寺の跡継ぎとか、老後をみてくれる者としては、期待していなかっ
たのです。
 善悪は別として、このような風潮が熱病のように日本にはありま
した。

 小学生のころに旋盤で何かを切削したり、ジグソーで穴を開けた
りするような遊びがありました。近所に小さな工場があって、職人
さんたちがいろいろと教えてくれる環境がありました。
 家内工業みたいな作業所が街の何処にでもあった環境は無くなり
つつあります。街と子供の接点が減り、子供も減り、寺を人間関係
の中心に考えることは難しくなりました。町内会が無くなっていま
す。子供会も同様です。

 「寺子屋」もインターネットの最初のころにパソコンを設置して
いましたが、そのパソコンも五年は使用できませんでした。中古は
学校や公民館などに寄付し、新機種で三月中にの復活設置されます。
五年前はISDNに接続されていましたが、今度はADSLで無線
LANで接続し、タワーがノートになりました。

 現代に欠けているものは、活気、熱気、やる気とでも言いましょ
うか。その原因が沢山有り過ぎて良く判らないのが不安なのです。

 休日になる土曜日に子供にどのような環境を提供するかは大変重
要な課題です。子供たちは親を選べないのと同様に、社会と環境を
選べません。
 休日に野山や海に子供を連れて行って、飯ごうでご飯を炊くこと、
薪を集めること、魚を釣ったりすること、山菜を採って灰汁を抜く
こと、天候の判断などを学ぶこと提供する方法は無いかと考えてい
ます。
 人工的に造られたレジャー施設やゲームセンターに子供を任せず、
ご飯をを炊かせたり、味噌汁くらいは子供でも出来るように、夢中
になって読書するように、したいのです。

■最近の青少年と話す機会がありまして、将来は仕事に就いて、
 下積みの苦労をして、努力して、機会があれば起業すると答え
 てくれるタイプと、何をして良いか分からないタイプがいます。

■図書館が本の万引き対策に頭を痛めているそうです。欲しいも
 のは貯金をして買うことや、我慢する、辛抱することなど、
 子供の時から大切に躾けておくことが重要だと思います。

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鈴の法話 2002-4月-3

精励刻苦より 成功より 大切なものも
     何ものにも拘束されない 平安が好きです

 相思相愛なんて良いですね。それが飽きがきたり、面倒になった
り、被害妄想の原因になったりします。

 私は自分のすることに内緒事が無いと、それについて信頼も生ま
れまして、繁華街で四十年も出入りしていてスキャンダルは一度も
立っていません。
 真に自慢出来ないことだけど、女性と肩を組んだ写真なんか一枚
も無い。
 子孫繁栄は僧侶になる前に済んでいて、今でも未だ祟りがありま
す。妻子は平気で心痛させます。この世に、良い主人も良い奥さん
もおられません。

 躾けが大事だと申しましたが、どう躾けるか、最適の方法なんて
絶対に存在しません。上手くいったら運が良かっただけのことです。

 観音院には監事が三人もいて、この人たちは私や住職を監督し、
発言を訂正できる権限、役員会決議の範囲を超えたり、倫理違反を
たしなめ、思うようにならないと役員会を招集して弾劾できる機能
をもっています。若しも、私や住職に間違いが起きたら全部役員や
監事の責任です。私には何をしようと、百%責任がありません。

 私は住職を辞任するに際し「職務公正執行保証供託金」を寺の
勘定科目にに設定しまして、二千万円ばかり積んでいます。
 私や職員に非があると役員会や税務署などから指摘を受けると、
その額の倍額が寺の雑収入で入ります。これは今後も積める機会が
あれば積み増そうと考えています。
 例えば、百万円の源泉税の脱漏が指摘された場合、二百万円が寺
に支払われます。税額ではなくて課税の根拠となる金額の二倍です。
 これは強烈な腐敗防止規定で、変なことをする馬鹿はいなくなり
ます。
 専従職員は、街金で借りたり、割賦で物品を買うと、任意退職の
決まりです。

 心痛するようなことは、最初からしない。例えば株の売買、持た
ねば相場に心が揺れることはありません。何でも価値は付きます。
価値の動きは人の心を動かすものです。何も持たぬ方が楽ですね。

 自分で持ちつけぬものは他人に管理を委任すると心配がありませ
ん。私は当座の現金しか持ちません。持たされる方も大金では無い
ので気は楽です。

 私の基本的生活態度は、この世と言う船に乗って、乗った以上は
船頭の言うことは良く聞きます。
 税金や帳簿のことにつけては、公認会計士、法律については顧問
弁護士、身体のことは医師、政治のことは責任役員である県会議員
と市会議員、多方面の複雑なことは知る必要がありません。

 この月刊観自在は、印刷担当の㈱フジワラ印刷の藤原榮男社長に
全面委任されています。藤原さんは評議員です。

日本丸は小泉丸はどうなるの
         乗ってる船の行先は気になります

 驚異的な支持率で船出した小泉内閣は順風満帆に思えたのですが、
田中外務大臣の更迭、鈴木宗男さんの疑惑、加藤元幹事長の佐藤
秘書の逮捕など、小泉さんは大変なはずです。
 不祥事があると、取り分けて迷惑するのが同姓同名の人たち、こ
れは画数の吉凶で命名する弊害です。名前は、漢字の意味と読みで
付けるのが良い。

 商業の倫理観もとても低いようです。
 雪印に端を発した食品の産地偽装は呆れた話で、政府にも責任の
一端が。
 最近、議員さんの人相に悪人を連想することが多くなりました。
政治不信だと思います。信徒さんの政党支持率はそれぞれ上がって
いて、無党派層が若干下がっているようです。

 不良債権処理が進むと、弱肉強食で、弱いところは退出ですが、
身近におられて深刻に痛みを受け止めています。
 構造改革の方がむしろ困難で、実際には不可能と思えてなりませ
ん。明治維新にも相当するような改革は、命懸けで、崇高な精神の
人たちの集団が必要です。崇高とは倫理感が高く、気高く、自分の
損得を排し、世のため人のために尽くす考え方です。

 最近の日本はアメリカ一辺倒のようですが、明治維新には模範と
する国家群がありました。薩長の下級武士や農民出身の若者たちが
主体であったように漠然と思っています。燃えるような意欲に満ち
た人達が少ないと思います。
 燃えるような意欲と、崇高な精神も、相手の立場で考えるもので
あって欲しいと願います。
 目的のためには手段を選ばないような崇高な精神は成立しません。

 小泉さんは従来のものを壊しても、改革をすると言われた。新鮮
でした。国民の期待ほどには仕事をして下さらないからと言って、
未だ辛抱して成果を待ちたいと思います。

 鈴木宗男さんたち政治家の成長の過程と、日本の政治の仕組みを
合わせて考えると、日本の構造改革は絵空事のようにも思えてなり
ません。

■寺を改革することは大変でした。間違いを起こさないレール
 を強固に敷設することは難しいことでした。
 透明性の確保、説明責任を果たすこと、多くの人々の意見を
 聞く必要がありました。

■デフレからの脱出は急務ですが、箱物や道路などの公共工事
 発注による景気の浮揚は、絶対に止めて欲しいものです。
 知的財産の蓄積など、経済の根幹を左右することから始めて
 欲しいですね。