仏壇仏具の製造は伝統産業の代表です

五鈷[ごこ]、洒水器[しゃすいき]、など仏具の多くは、金メッキがしてあります。仏像の金は金箔です。銀色はプラチナ箔です。
 仏具屋さんは柔らかい当たりの良い手袋を使用されています。軍手は荒い繊維が金またはプラチナを削るので絶対に使用してはなりません。
 礼服着用時の薄い白い手袋をそっとそっとの気持でご使用ください。
 万一研磨剤などを使用されると一回拭われただけで駄目になります。
 鳥の羽でできたら軽く埃取り、毛羽たきなどで軽く埃を落とす程度に優しくなでるつもりで取り扱ってください。
 洒水器に水を入れたまま放置すると垢がつきます。観音院の仏具はピカピカですが、これは真鍮の地色です。
 よく拝む人は丁寧に磨かれても結構です。
 ただし毎日、錆びが出ぬよう磨いてください。心を磨かれるようにです。
 仏像の金箔、銀箔は絶対に磨かないでください。すぐに剥げて下から黒漆の地色が出て醜くなります。
 彩色なしの仏像は、素手で持たれた場合はその手跡が何十年も残り、段々と濃くなります。
 何れも修復可能ですが、運搬、造作など非常に高価です。
 寺院用の仏具は大半が受注生産ですから驚くほど高価です。観音院は仏壇業界では納入時現金払いであることが広く知られていて、幾らかは安価にしてもらえるようです。
 言い伝えでは祭祀に使う物は値切って購入してはならないと言われてきましたので、値切らぬようにしています。
 最近では移動しながら展示即売会をされる業者がおられて、これは信用できません。値札を倍額にすれば半額で売ることは値引き無しですね。
 仏具はアフターサービスが大切で、それには信頼できる仏具仏壇屋さんと交際することが大切です。
 寺院と納品業者の間にはリベートと言う悪習がありますが、観音院は計理公開ですから、リベートの口座は無く受け取りようがありません。
 一般社会から得度されて僧侶を志される人は、宗教用品の価格を知る機会があり、高価なことに驚かれます。
 その多くは手作りであり、一見して量産品のように見えても、型を伝承されているだけで、型に押し込んだり、不必要な部分を切り取るのは年老いた職人さんの手作業が多いのです。多くの仏具の生産が途絶しつつあります。
 伝統産業の衰退には多くの原因がありますが、仏間は新築マンションには無いのが普通です。観音院が仏龕式の仏壇を考案したのは十五センチ角の広さで高さがに二十五センチ、一本の白檀[香木]から切り出していて、内側に諸仏諸菩薩を彫刻してあり、蓮台に分骨が収められます。外部には施主や法名戒名が彫刻可能で、万一供養する人が居られなくなった場合に観音院で永代供養としてお預かりできます。
 仏壇の売れ行きが下がり、多くの仏壇屋さんが閉店されました。需要が少なくなると職人は育ちません。加えて、仏壇の細工は大変に精緻な加工を必要とした物ですが、接着剤と樹脂の普及が良い職人から仕事を奪いました。
 伝統産業と言えば寺院もその内に入ると思います。観音院は僧侶の養成に尽力していますが、団塊の世代は葬儀法事をする僧侶の絶対数が足りません。
 一寺院に後継者は一人が普通です、団塊の世代にたいしては、一寺院二名の僧侶を考えておくべきでした。
 近い将来、僧侶の絶対数が足りない状態が約三十年間続きそうです。需要に供給が足りないと価格が上がります。
 葬儀一式のお布施を二十万円くらいで執行でき、かつ、そのお坊さんが、聖[ひじり]と呼べるほど高潔な方であると、皆さんが生きて行く上で経験される様々な困難の相談に乗ってもらえるかもしれません。
 多くの僧侶を擁すればシェルターとしての役目を果たすことが可能です。社会的苦悩の解決には豊富な社会経験と大きな善意が必用です。
 僧侶は実は養成と言う言葉を使用していますが、覚りの心と支持する帰依者が不可欠です。覚りと帰依者は養成不可能で、ご本人の精進次第です。修行に良い人間関係と勉学、大変ですね。
 受講者に誤解がありまして、お経が読めて一人前になれば観音院で住居が提供されて給与がもらえて、、、これは就職ですね。全ては衆望によるもので、人々の帰依が無くては僧侶の存在は絶対に無理です。

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