飲酒の戒

 「未曾有(みぞう)経」というお経のなかに、以下のような話が載せられている。
 あるとき、祇陀太子(きだたいし)が 仏にたいしてこう言った。
「仏は その昔、私に、五戒(在家の仏教徒が守るべき五戒・不殺生、不偸盜、不邪淫、不妄語、不飲酒)を受持せよ、といわれましたが、それが今は、その五戒を、それほど堅苦しく受持(じゅじ)しなくてもよいと仰せになりました。なぜでございましょう? そのわけをお聞かせくださいませ。
 あるいは五戒のうちの飲酒(おんじゅ)の一戒が、この私にはどうしても守ることができないので、いたずらに五戒を守らずともよいとの、おめこぼしをいただいたのでございましょうか」
 仏は言われた。
「汝は、酒を飲んで酩酊すると、いかなる失態を演じ、また、どのような悪癖を有するや?」
 「なかなかどういたしまして。ときたま親しい豪族や側近などに声をかけ、酒宴を催して楽しむことはありますが、酒のうえで悪いことをしたおぼえはございません。
 なんとなれば、酒を飲んで乱れず、酒を飲めば心がひろく解き放たれて寛容と善意が内から生じ、仏の戒法を念じて放逸にはしらず、悪をおこなう気などは、まったく起こりません」と、祇陀太子が答えると、仏が言われた。
「善哉善哉(ぜんざい、ぜんざい・よいかな)。太子、汝はいま、すでに智慧方便(ちえほうべん)を得たり。もし、世間の多くの人々が、汝のような心掛けであるならば、終身 酒を飲もうともすこしの悪弊はない。
 汝のごとく、他になんら害を及ぼすことなく、愉快に酒を嗜(たしな)む者は、まちがいなく福が生ずるであろう。
 人が、このように酒を飲んで悪業を起こさなければ、歓喜の心が煩悩を封じこめ、善心の因縁(いんねん)によって、善の果報(かほう)を受けることは必定(ひつじょう)である。酒を飲んでも、かくのごとくであるならば、その福を増益(ぞうやく)し、五戒、十善を保ち、功徳(くどく)はますますすぐれるであろう・・・・・・」
 もし酒を飲んで、心を悦ばしめ、まわりにも善を生ずることあらば、飲むも戒を犯さず、ということで酒を飲むことを容認しておられるが、あえて勧めてはおられない。
空腹がひき起こした腹立ち

 波斯匿王(はしのくおう・プラセーナジット)が仏に申し上げた。
「いかにも、仏がお説きになっているとおりでありまして、人は、心が喜びでいっぱいに満たされているときは、だれも悪心など起こしたりはいたしません。
 仏は「悪業をおこさないこと」を「有漏(うろ)の善」であると、お教えくださいましたが、つまり、それはこのことにほかならないと存じます。
 すなわち有漏とは、煩悩を有するという意味であり、煩悩は六根(ろっこん・六つの感覚器官である眼・耳・鼻・舌・皮膚・心より漏(も)れ出ると考えられたことから、漏といわれる。また、煩悩の無いことを無漏という)のしからしむるものであるが、その煩悩をよく随順させてしまおうというものだと考えます。
 有漏にもかかわらず、何故それが善であるかを考えてみますと、人が飲酒すれば心がうきうきし、なにもかも嬉しくなります。その嬉しさ楽しさゆえに、煩悩を心の埒外に追いやって、心身を惑わしけがす精神作用、つまり煩悩を除去して、三業(さんごう・身口意によってつくる善悪のおこない。また、貪欲・瞋恚・愚痴の三つの罪業)が清浄(しょうじょう)になります。
 清浄の道は すなわち無漏 —-、一切の煩悩が無いことであると、仏もお説きになっております。

 さて、昔、私(王)が遊猟に出かけたときのことでございます。
 その際、あいにく厨宰(ちゅうさい・料理長)を伴うことをついうっかりして忘れました。かしこに獲物を追って夢中で走りまわっているうちに、いつしか山中深く分け入り、ふと、空腹をおぼえたのであります。そこで、いつものごとく、ごく自然に、中食を持つように、と命じると、左右の者が困った顔でおずおずと答えた。
「おそれながら王におかれては、今朝ご出発に際して、厨宰の随伴をお命じになりませんでしたのでお食事の用意はしてございません。
 それに、ここは深い山の中のことゆえ、いますぐお食事と申されましても、とてものこと・・・・」
 私は、くどくど言い訳する家臣の言葉を後ろに聞き流し、馬に一鞭くれて宮殿へ急ぎ馳せ戻ると、いきなり怒鳴った。
「すぐ、食事をもて!」

 一方、その日にかぎって王の供(とも)を言いつけられなかった厨宰、この料理監督は修迦羅(しゅがら)という名前であったが、きょうの王は遊猟先のどこかで、中食する予定があったから、自分をお伴れにならなかったのだろう、と思っていたので、宮殿の自室でのんびりとくつろいでいた。
 そこへ、あわただしく帰ってきた王が、食事!と叫んだのだからなんの支度もしていない料理監督はあわてふためくばかりであった。
 厨房がモタモタし、いつまでたっても昼食にありつけぬ私の怒りは頂点に達した。「飢え」が憤怒をいやがうえにも増幅させて、私は深く考えもせず、つい腹立ちまぎれに料理監督を殺すように命じたのであった。
 王である私の勅命をうけた家臣らは、ひたいを寄せて相談した。
「この国のなかをざっとみまわしても、料理監督ほどの忠良にして正直な人間はまずいない。いま、王命を奉じて彼を殺してしまったら、このあと彼以上によく厨宰をつとめて、王のお心にかなう者がほかにいるだろうか ・・・・」

 王の妃(きさき)のひとり、未利夫人(まりふじん)は、王が料理監督に死を命じた話を聞いて、大いに心を傷めた。そしてややしばらくすると、何をおもったか、急いで侍女たちにご馳走を作らせると、自身は沐浴(もくよく)して髪を洗い、名香を身につけ、念入りに化粧をほどこすと、美酒をたずさえ、美しい舞姫たちを大勢したがえると、王のもとへしずしずとまかり出た。
 王は、美しく着飾った未利夫人を見、彼女がひきつれている艶(あで)やかな舞姫たちが、酒を捧げ持ってくるのを見るにおよんで、たちまち上機嫌となった。空腹から根ざした これまでの いわれなき理不尽ないらだち、腹立たしさが、いつのまにか淡雪のごとく消え失せていたのである。

 私が、何故、子どもみたいに手のひらをかえしたごとく、機嫌を直したかと言えば、それにはそれなりのわけがある。
 未利夫人は私の知るかぎり、これまできびしく身を律し、五戒を守って、王であるこの私がいくら酒を勧めても、盃に唇をけっしてつけることなく、かたくなまでに飲酒を拒むといった妃であった。
 そんな妃であっただけに、私はときとして、彼女にたいし、不満なおもいを抱くことが無くはなかったのである。

 そんな彼女がいまみれば、夫人みずから酒と肴を持参して、むしろ彼女のほうからすすんで酒宴を相楽しもうというのだから、もとより私に異存のあろうはずがない。
 自然に頬がゆるみ、不覚にも笑みがこぼれてしまったのであろう。
 めざとく私の瞋恚(しんい)の忘失したのを察知したのか、未利夫人は、いちはやく近くに侍っていた門番をつかわすと、
「王の命令である、料理監督の修迦羅を殺してはならぬ!」と、刑の執行を止めさせた。家臣らはよろこんで、その命令を奉じて料理監督を殺さなかった。

 そういったいきさつが舞台裏で行われていたことなど露知らず、翌朝目覚めた私は、砂を噛むごとき索漠(さくばく)としたおもいに責め苛まれ、どうしようもない自己嫌悪に頭をかかえて、萎(しお)れきっていたのである。そんな私のあわれな姿を横目でうかがいながら寝室へ入ってきた未利夫人が、やさしく声をかけた。
「まあ、今朝の王様は、どうしてそのように難しいお顔をなさっておいでなのでございましょう?」
「予は昨日、取り返しのつかないことをしてしまった。
 空腹のあまり、予はいわれなき怒りにかられたすえ、前後のみさかいもなく料理監督に死を命じてしまったのだ。
 いま冷静に考えてみると、彼に罪はまったくない。彼はわが王宮の厨(くりや)をしっかり切り盛りしてくれた。そのような人物はあの修迦羅をおいて他に適任者は見当たらぬ。
 それをあろうことか、軽率にも予は殺してしまったのだ。ああ、なんという軽はずみなことをしてしまったのか・・・・」と、私は髪を掻きむしり、頭を抱え込んだ。
 すると夫人がにっこり笑って、
 「なにもご心配いりませんよ、王様、修迦羅は死んではおりませんから—-」
 私はわが耳を疑い、言葉の聞き違いとおもったので、
 「妃にいま一度聞く。そなたが言ったいまの発言は真実か、はたまた戯言(ざれごと)であるか?」
と問うと、「どうしてわたくしが戯れ言など申しましょう。すべて本当のほんとでございますとも」
 それでも半信半疑の私は、ではこの目で確かめるから、早々に料理監督をここへ連れてまいれ、と左右に命じると、修迦羅はすこしの間もおかず、私の前に伺候(しこう)したのであった。
 波斯匿王の腹立ちをおさめるために、あえて飲酒(おんじゅ)の戒を犯すがごとき行為は、すなわち「軽」をもって「重」を脱したものというべきで、未利夫人が五戒をたもつ身でありながら、機に臨み、すすんで自ら一戒を破った行為は、いわば権智(ごんち・かりの智慧)方便(ほうべん)を用いたのであって、けっして彼女の本意ではなかったが、結果は以上のごとく、夫人の飲酒によって、彼女のまわりのすべての人たちは、救われたのである。

飲酒のこと

問 飲酒は仏戒のなかにて、重戒なりや、はた、軽戒なりや?
答 飲酒(おんじゅ)は軽戒なり。

問 在家五戒のうち、性遮二戒があると聞く。このうち飲酒はいずれに属するや?
答 性遮二戒において、飲酒は遮戒(しゃかい)である。

問 五戒においては、いずれが性戒(しょうかい)にして、いずれが遮戒なりや?
答 五戒のうち四戒は仏が厳しく戒める性戒にして、あとの一戒すなわち不飲酒は遮戒であり軽戒である。

問 何故に性戒というや?
答 いろいろ解釈はあるが、殺生偸盗、邪淫、妄語は仏性にほんらい背くがゆえに、たとえ少しでも犯せば悪である。それにひきかえて少分の飲酒はいちがいに悪とみなさざるために遮戒とする。

「舎利弗問経」より。

 世尊が迦闌陀竹園精舎においでの頃のことである。
 一人の比丘がいた。そのおり比丘はすでに危篤状態であった。
 まさに死に瀕しているその比丘に、優婆離尊者(うばりそんじゃ)が耳元で語りかけた。
「貴方はいま、どのような薬があれば、その一命を救えるとおもうか? 貴方が欲しいとのぞむ薬があれば、どのような場所であろうと、行って取ってきて差し上げるから、遠慮なく言いなさい」
 すると、比丘が苦しげに言う。
「いま私が、のどから手が出るほどに欲しい薬は、残念なことに戒律に違背するため、それを手に入れても服用することができないのです。だから、たとえこの命が尽きるとも、戒を犯すわけにはいきません」と。
「その、欲しくても用いることのできないという貴方の薬とは、いったい何なのですか?」
 苦しい息のしたから比丘が答える。
「それは ・・・・ じつは酒なのです。
 それも少量ではダメで、まずは五升ぐらいあれば、たいそう効きめがあるとおもいます」
 尊者が言った。
「ははア、貴方の薬はお酒ですか。
 しかし、酒であろうと何であろうと、大事な一命にはかえられぬ。
よろしい。病気を治すために服用するのです。かならず如来もお許しになるでありましょう」と、
酒を求めてきて比丘に飲ませると彼の病はたちまちにして快癒したのである。

 こうして、念願の酒をたらふく飲んで、すんでのところ、危うく一命をとり留めたのであるが、比丘は懊悩(おうのう)として、心はいっこうにやすまらなかったので、彼は仏のもとへおもむいて、ねんごろに懺悔(さんげ)することにした。
 仏は それにこたえて、懇々とやさしく説諭(せつゆ)したので、いよいよ信心を増し、比丘は、ついに阿羅漢道を得たのであった。
 優婆離尊者は、世尊十大弟子のなかにおいて、持戒第一と称されている人物であるが、その尊者でさえも、病の比丘には飲酒を許したのである。

 飲酒の六失は「一には財を失い、二には病を生じ、三には闘争し、四には悪名流布し、五に恚怒暴生し、六に智慧日に損す」とあるが、弘法大師の「御遺告」の中には、「酒はこれ治病の珍、風除けの宝なり。治病の人には塩酒を許す」としておられる。

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