雨季は 研鑽の好機

 六月。街を行き交う人々の服装も、本格的な夏の暑さに向けて、涼しげな服装に様変わりをし始める季節です。この季節は、一年で最も昼の長い時期であり、また、梅雨の時期でもあります。

■ 六月十五日は青葉祭 ■
 六月十五日は弘法大師ご降誕の日、密教の伝持(でんじ)の八祖(龍猛・龍智・金剛智・不空・善無畏・一行・恵果・弘法)の一人、不空金剛(アモーガヴァジラ)のご命日でもあり、また、真言宗の祖師である弘法大師空海のご誕生の日であります。
 お大師さまは、自分は不空金剛の生まれ変わりであると常々語られていたそうです。ご自身が師事された恵果(けいか)和上の師匠にあたる不空金剛を日々厚く私淑されていました。

■理趣経の翻訳■
 不空金剛は、中国西部の西域に生まれました。幼い頃に、金剛智に師事し、密教を学びました。そして、後にインドへ赴き、経論を持ち帰り、中国語に翻訳しました。
 観音院の常用経典「まことの道」の六十三ページを開くと、理趣経の冒頭に「般若波羅蜜多 理趣品大興善寺三蔵沙門 大広智不空 奉詔訳」と書かれていますが、ここでいう「大広智不空」とは、不空金剛の諡名(おくりな)である「大弁正広智不空三蔵和尚」を略して表記されたものです。
 不空金剛は、中国社会に密教を根付かせるために、加持祈祷などの法力で、中国の皇帝の要望にこたえました。その結果、玄宗(げんそう)、粛宗(しゅくそう)、代宗(だいそう)の三代の皇帝に渡って信頼を得たおかげで、密教は保護され、護国の宗教として中国国家に定着していきました。
 それまでの中国における密教は、瞑想による個人的な解脱や、真言、陀羅尼を唱えることによる現世利益を得る、いわゆる、個人のための教えでしたが、不空金剛によって、国家を護るための宗教にまで発展していきました。
 弘法大師も、嵯峨天皇の信頼を得て、鎮護国家の思想のもとに、済世利民、真言宗を日本に広めていかれました。お二人の境遇はどこか似通ったものを感じます。
 真言宗の道場には、八祖さまの掛け軸が本堂に祭られていますが、ほとんどの場合、不空金剛と弘法大師のお二人の掛け軸は向かい合わせになるように祭られています。
それだけ、お二人のご縁は深いということなのでしょう。観音院でも、本堂の下陣の両脇、一番奥手に、不空、弘法の両大師の掛け軸が祭られています。お参りになった際にご覧になってみてください。

■六月は梅雨の季節■
 毎朝、通勤・通学をされている方にとって、雨は厄介な存在かもしれません。スーツや靴が雨で濡れたり、電車やバスが遅れたりします。家事をされる方にも、洗濯物も乾かないし、自転車で買い物にも行けないし、何かとマイナスイメージを持たれがちな気候といえるでしょう。ストレスの多い都会での生活に疲れた人々が、自然豊かな田園で「晴耕雨読生活」を送りたいと考えられるのも無理はないかもしれません。

 雨は、本来はすべての生命に潤いと恵みをもたらす存在です。
 日本と同様に、古代インドでは、丁度この時期から「雨季」に入りました。釈尊は、約三ヵ月も続く雨季の間、弟子たちに外出を禁じ、室内にこもって瞑想などの修行に専念するように申し付けました。
この雨季の定住のことを「雨安居(うあんご)」といいました。
 雨季の間は外出が困難なことはもちろんとして、泥の中に埋まってしまっている草木の若芽や昆虫類を気づかずに踏み潰してしまわないためにも、この制度を始めたとのことです。

 ちなみに、高野山の僧侶が雪駄を履かずに下駄を履いているのも、地中の虫を極力殺生しないためにという慣習からだそうです。本来、定住地を持たず、乞食(こつじき)をして行脚(あんぎゃ)していた僧侶が、安居のために地元の有力者から居住の場を提供されたことが寺院の始まりだとされています。
 雨季のない日本や中国でも、六月頃から三ヵ月間の安居が行われ、「夏安居(げあんご)、夏行(げぎょう)」と呼ばれました。僧侶たちは、一箇所にこもり、集団生活を送る中で、写経や経を唱える自行を行いました。安居に入ることを「結夏(けちげ)、結制(けつせい)」、安居が終わることを「解夏(げげ)」と呼びます。

 僧侶にとって、雨季は厄介な存在ではなく、集中して行をすることができる環境を与えてくれる、有り難い存在でもありました。現代のわれわれの生活に当てはめて考えてみましても、雨季のように薄暗く、じめじめとして、思うように行動できない時期が誰しも訪れることがあります。しかし、それは考えようによっては、自己を省みて、次へのステップを踏み出すことができる力を蓄えるために、み仏さまが与えてくださった行の期間、つまり人生の安居であるともいえるのです。

 普段は忙しくて出来なかったことをやってみるのもよいでしょう。精気を養うために体を休めるのもよいでしょう。気持ちを落ち着けるために、瞑想に親しむのもよいかもしれません。
 安居のための場所であるお寺にお参りになり、僧侶たちの話を聞いて、ご法要で共にお経を唱え、み仏さまとご縁を結ばれることをおすすめ致します。

 雨季には必ず終わりが訪れます。その際には、きっと晴れやかな気持ちで毎日を過ごしていけることでしょう。

 すべての人に安心(あんじん)が訪れるまで、み仏さまは皆さんを導き、見守ってくださる誓いをたてられていらっしゃいます。
 わたくしたち、僧侶は、仏さまの大いなる慈悲を、わかりやすく伝え届ける役割を担っています。皆さまに悩み、迷いが生じられたときは、わたくしたちを通して、み仏さまの心を感じ、三宝に帰依し、穏やかな生活を送られてみてはいかがでしょうか。観音院では、皆さまのお悩みやご相談をお受け致しております。合掌九拝

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