隣近所の人間関係や警察が機能しない怖さ

新潟県で小学生が誘拐されていた、犯人は似たような事件を起こしていながら捜査線上にリストアップされることもなく、九年間も少女を自室に監禁し、家庭内暴力に耐えかねた犯人の母親が保健所に相談し、保健所の職員が訪問して、この誘拐犯人の部屋で十九歳に成長した女性を発見し、警察に連絡したが「手が足りない」と断られ、保健所職員が保護し病院に収容。これだけ大事件に際して、新潟県警本部長は関東管区警察局から派遣された監察官と図書券を賭けて麻雀をしていたという。鈴之僧正さまのお話を要約 田川純照 記

犯罪で捕まる人は運が悪いのか。九年も少女を監禁していたのは

親にとって子供は大変に可愛いもので、子供が親を慕う気持ちよりも親の子供に対する気持ちの方が大きいといわれます。

人間が人として成長するには人の中にあって人間関係のあり方について熟成の仕方や躾け、知識教育、運動能力などが発達して、それで知識、体力、交際の仕方を身に付けて成長します。

小学校高学年で誘拐され女子は成長にとって一番大切な時期を凶暴な性格の若い男性の定めたルールに従って九年間を生き延びた。これは、刑法も児童憲章も予想しなかったことで、児童相談所も教育者も保護された女性の救済に適切に対処する方法を知らず、今、関係者が寄り集まって知恵を出し合っている最中と思われます。

勿論、親御さんの立場は言葉で表現出来ないほど複雑で、どのようにしてよいか分からないのが本当のところでしょう。

失われたものは知育、徳育、体育の三つで、小学校から高校卒業までの期間、想像を絶する劣悪な環境であったと思われます。

犯人は誘拐後、自室の隅に二畳ほどの広さに境界線となるテープを張り付け、そこから一歩でも出ることを禁じ、反則行為にはスタンガンで脅していたそうです。

スタンガンは高圧電流を通して気絶させる電流ピストルのようなもので、女性などが護身のために比較的容易に購入することが出来ます。大きさは携帯電話くらい、値段は一万円から三万円くらいで通信販売で簡単に買えます。

9ボルトのアルカリ電池で10万ボルトくらいの放電をすることが可能です。小さな落雷と思えば的確です。これを使用されると数分間の気絶、その後は暫く呆然としているような凄まじいものです。

蛙なら即死状態です。北海道では高校教師が教え子に使用して逮捕されたこともありました。

このような非道なもので恐らくは再三にわたり脅しの道具として使用されたことでしょう。stun gun(stun は「気絶させる」の意)で高電圧で相手にショックを与える護身銃のこと。

被害者は入浴、排泄、食事など凄まじい制圧を受けて、自発的意思では何も出来ないように忌まわしく躾けられていました。

発見された時は縫い合わされた毛布の中にくるまれていて、不審に思って鋏で毛布を切って救出したのですから、常識では想像出来ない猟奇的な事件でもあります。

驚いた保健所職員が氏名を聞いたところ、九年も昔に行方不明となった女子だったので急ぎ警察に連絡したといいます。

保護したのは保健所職員で警察は何ら関知していません。

同日夜、県警本部は病院で行方不明であった女子を保護したと発表しました。これは嘘です。嘘を発表した動機はマスコミなどの対応で保健所に迷惑が掛かってはいけないと考えたからだそうです。

この日、新潟県警は関東管区警察の特別監察を受けていました。

県警本部長と県警幹部は特別監察の責任者を温泉旅館に案内し、接待賭け麻雀をしていて、旅館のFAXに入る連絡を見ながら適切に指示していたのだと言うのですから呆れて口が塞がりません。

監察に来て「雪の見える旅館が良い」と言ったそうです。

このことが原因で二人のキャリアは退職することになります。

神奈川県警の不祥事で警察の信頼は地に落ちて、信頼回復のために警察庁は一生懸命です。

警察官二十五万人の内、キャリアと呼ばれる幹部は五百三十人ほど、任官早々からチヤホヤされて育ったボンボンです。不祥事を起こして退職する歳も懲戒免職ではなくて退職金が三千万円も受け取れる仕掛け、これに対して国民の怒りが頂点に達しているのです。

警察庁や国家公安委員会に抗議が殺到し、二人は退職金の辞退を表明、警察庁長官も処分を受ける前代未聞の大事になります。

子供が行方不明になると、五十年は帰って来た夢を

子供がある日忽然と姿を消す、原爆の際に小学三年までは疎開をせずに地元の近くの小学校に通学していた。始業間もなく被災して多くの子供が二度と親と顔を合わせることなく亡くなった。

子供を失った親たち兄弟姉妹は自分が死ぬまで、その子供が帰って来た夢を見続けたそうです。

原爆で行方不明となった人たちは多分に死亡を推定し、何処で、どのように死んだか、看病出来なかったことを悔やんでいました。

平和な日常生活の中でも、交通事故死や自殺もあります、遺族の方々は大変に気の毒です。

高齢化社会では六十歳未満で病死されると同様に気の毒です。

これらの場合には辛いことですが、「死」ということについて辛うじて遺族は納得されています。

拉致とか誘拐は不幸の様相が異なり、家族や知人の精神的負担は体験した人でないと理解することは不可能です。

営利目的等略取及び誘拐は十年以下の懲役です。この場合は永年にわたり脅迫しながら監禁していて、足が萎えている状態ですから傷害の罪や、いろいろな罪が合わせて適用されると思います。裁判も長期になりそうですが、精々懲役十五年くらいでしょうか。

少女が誘拐されて九年間も生き延びることが不思議で、この少女の強靱な生命力か精神力があったものと・・・理由はよく分からな
いのですが、とにかく生き延びて保健所職員に保護されたのです。

成長期の女子が九年間も監禁されて、犯人が若くて分別の無い男性である恐怖

小学校の高学年の女児は、成熟した女性と交際する能力の無い無法者の男性によって無抵抗な獲物として日常に組み込まれました。

この事件は何らかの社会的対策を必要とするように考えます。

新潟の件は監禁期間が九年間と異常に長く、この間に救出される機会が無かったのか考えてみたいものです。

この犯人には誘拐未遂という直近の前歴がありましたが、何らかの理由で捜査線上に浮かびませんでした。

これは警察のデーターベースに何か重大な欠陥があります。それにしても同一県警で至近距離で似たような前歴の者が警察の捜査網の外に置かれていたことが救出を遅くらせ取り返しのつかない被害を与えた責任があります。

次に母親が犯人の息子である暴力に耐えかねて、保健所にも警察にも相談に行っています。

この際に警察が動いていれば、四年、決して短期間ではありませんが九年間よりは早く救出された可能性が指摘されています。

皆さんが知っておられますように、警察は家庭内暴力とか虐待について、重傷を負うとか殺されるかしないと動いてくれません。

最近は昔と異なり、家庭内暴力とか虐待の程度が凄まじく家族の手に負えなくなっています。

仮に、近所の家庭で虐待があったとしても、それを通報する先は警察でしょうか、児童相談所ですか。そのような知識について啓蒙がなされていません。

そして、通報した人の保護などについて万全の対策がとられているでしょうか。

人員が足りないなら増員する。競争があればサービスも向上

警察に通報しても手が足りないと新潟では断られています。警察に手が足りないのは事実です。

機動隊に配置された警官は七月のサミットで東京と沖縄で警備をしなければならない。結婚する暇も無いとの話を聞いています。

現場の多くの警察官は極めて真面目で一生懸命に業務を執行しておられます。しかし、犯罪の多様化や国際化に対応するだけの人員が足りない。

例えばインターネットの犯罪で摘発に大変な努力をしておられ、民間から専門職を登用する制度などが取り入れられましたが、警察も大変です。日進月歩の技術の進歩に伴って犯罪の技術も高度になり、社会の発達の多様な面に応じて複雑な人格も存在し心理学者の協力なども不可欠です。

航空機の運転目的の乗っ取り事件とか、医療現場の注射器取り違えによる死亡事故、覚醒剤や依存症がある薬物、国外からのねずみ講や賭博など、犯罪が高度な専門技術や知識が無いと捜査が困難な事例も沢山起きています。

この度の誘拐監禁についても刑法が想定していない事例だと思います。罪と罰について後手後手になる社会環境の激変です。

被害者の救済も精神的、肉体的に多くの専門家の協力を必要としています。法主さんも沢山の不幸を見てきたが想像を絶する事例だと言っておられます。

本人が一番気の毒ですが、ご家族も被害の受け止めようが無く、比例の無い不幸です。

 

現在、問題は県警の不祥事にすりかえられていますが、被害者の救済は個人のレベルでは不可能であり、社会全体のあたたかい協力が不可欠と思います。

誘拐は最も破廉恥な犯罪です、誘拐一日に付き懲役一年でも被害者の感情は納得し難いと思いますが、皆さんはどのように考えられるでしょうか。

「不殺生」は人の生命を傷つけざること、同じように他人に心痛を掛けざること、他人の生きる質を損なわないこと、誘拐は大殺生に相当することを定義したいと考えています。犯人は三月三日誘拐監禁傷害の罪で起訴されましたが、罪の認識は何も無いそうです。

この件では二階の部屋に誰か居るらしいと不審に思いながら犯罪の受皿となった母親の果たした役割は責められていません。犯人の母親もある意味では被害者の様相があるのでしょうか。

犯罪があった場合、家族は犯人を庇うことは認められます。しかし、継続的に犯罪行為が続けられている場合は関係者が保護を求めて、犯罪を届出て、継続反復を阻止する勇気が必要だと思います。それに対応する法律が制定されても仕方ないと思います。

二歳の女の子を凍死させた母親。生活保護が適用されていたら

宇都宮でガス・水道を止められるほど困窮していた未婚の母親が二歳の娘が息絶えていると一一九番に通報してきたそうです。病院で司法解剖をしてみると胃の中に食べ物が何もなく、衰弱凍死、母親も衰弱していて入院したそうです。親子共二週間も何も食べていなかったとのことです。

以前に児童手当ての申請に行った際に預金通帳の番号が不明で不受理、保護を受ければ月額約一五万円くらいは支給され、最低の生活は出来たはずだそうです。

この子供は生まれて二年間も出生届がして無く、妊娠した時に相手の男性に連絡しても電話は既に不通、母親に両親は無く、親戚の叔父にあたる人も年金生活、いろいろ聞くと非常に気の毒な状態であったことが理解出来ます。

社会福祉の手が及ばなかったことについて非難の声が上がっていますが、自己責任と言う観点からは違う方向で考えることも可能です。親が扶養の義務を果たさないで餓死させてしまうことは幼児虐待の疑いもあります。

現在の日本は不況下にあり、経済的に困窮している人も沢山おられますが、全体的には物は溢れているといえます。

この母子家庭についても、アパートの両隣、ご近所など、社会全体が個の不幸について鈍感になっているように思われてなりません。

社会全体の倫理観の喪失は甚だしいものがありますが、壁ひとつ向こうで何が起きても関心を持たない傾向、このような傾向が進んで行くと病める社会の段階で止まらず、無責任社会から無法地帯と住みにくい世の中になります。

日本は助け合いの無い非情な国家であるという評価が世界中に広まらないうちに、社会的病理の適切な治療が望まれます。

  • 神奈川県警に続いて新潟県警の不祥事、管区警察局と監督下にある県警本部の癒着。
  • 嘘の上に嘘を塗り固めた発表の結果、キャリアと呼ばれた本部長と局長の辞職という解任、警察庁長官が減給一ヵ月の百分の五で決着。国家公安委員会にも轟々たる非難の声。公僕の信頼は地に落ちたが、一体どうするの。
  • 嘘を言わないは子供でも知っている約束。恰好良く発表したのは仏教では綺語に相当する見栄張りか、辻褄合わせか。まるで小学校か幼稚園で習うような基本的な躾けが出来ていない。
  • 第一線で頑張っている警察官の方々が非情に気の毒。県警本部長会議で「私たちは嘘をつきません」と唱和させると良い。
  • 警察に今一番求めたいものは、家内暴力や夫婦喧嘩でも、相談に来れば「じっくりと話を聞く姿勢」。電話が掛かれば、すっ飛んで行く姿勢。
  • 警察官に、夫婦喧嘩の仲裁も、親子喧嘩の仲裁も出来るような、揉め事の相談役もつとめてもらうこと。民事不介入なんて言わずに世間の揉め事を仲裁して下さい。
  • 町内会の復活や、世話役の復活を強く求めたいものです。民生委員さんを倍くらいに増員して、奉仕も大切だけど、月額十万円くらいの手当てでも支給出来ないものでしょうか。
  • 公共投資も大切です。国土のインフラも整備してほしいものですが、国民の心も優しい面倒見の良い傾向にもって行きたいですね。

営団地下鉄日比谷線脱線死傷者四十名も。県警本部不祥事も元高検検事の不祥事も同じ

このところ、いろいろありますね。構造物も組織も出来た時から日一日と劣化、腐敗するのが自然なことで当然のように壊れたり腐臭が立ち込めたりするものです。

皆さんは何かが出来上がると大変に喜ばれ、期待されるものですが、期待にそうには日常の保守点検が欠かせません。

その保守点検も長く続けるとマンネリになって、本来の目的を果たすことが出来なくなります。

交通運輸、政治経済、司法関係者たち、宗教界は勿論のこと、医療、教育、スポーツ、芸術、環境、情報と何もかも少し変ですね。

国家も国民も全部が疲れているのでしょうか。疲れていますね。

むかし、むかしからそうなんです。生まれたものは必ず病む、老いる、やがて死ぬる。

それは分かりきったことなのですが、同時に生まれて、同時に全部死ぬのなら平等で、問題は少なくなりますが、生老病死に時間差がありますので、苦しいし、痛いのです。

少しでも痛みが少ないように考えて、倫理とか法律とかの約束ごとが成立しましたが、これも疲れが表面化しつつあります。

どうすれば現状を乗り切れるかと言えば、ものを大切にする、人を大切にする、約束を守る、相手の立場で考えることです。

高速経験者は皆さん速度違反。八十のところを百二十キロで

先日ですね、所用で山陽道を利用したのですが、全車速度違反で、法定速度を守っていると渋滞の原因になりそうだし、車間距離を開いて割り込みされるし、散々な目に会いました。それで帰路は車の流れに乗って走ったのですが、全車時速百二十キロ、法定速度を守るよりは楽な感じでした。

道路には速度制限と実際の使用速度の二つがあるようですが、これは解決出来ない課題かもしれないと思います。多分、供用速度として厳格な計算がなされているのだと思うのですが、運転する人の技能が高くなって、理想的な供用速度を超えて危険な速度で利用されているのかもしれません。

希望者にはパトカーと同じ色の塗装を認めて、交通法規を遵守させるのも解決に役立つかもしれない、さりとて私たちの使う車両をパトカーと同色にするのは考えたくもありません。

ナビゲーターの性能がとても良くなりました。制限速度を超えたら燃料をカットするくらいの仕掛けは出来そうに思います。

賭け麻雀の景品に図書券とは、何とも歯切れの悪い弁明です

新潟県警の幹部と特別監察に来た管区警察局長が温泉旅館で上がれば図書券が貰える麻雀をしていたと聞きましたが、本当かもしれないし嘘の説明かもしれません。

麻雀はポーカーを複雑にしたような遊びで大変に面白く、麻雀の好きな配偶者をもつと接待が大変だと愚痴をこぼされる方が少なくありません。家庭麻雀で賭け金無しでやっていると次第に飽きてしまう性質があり、麻雀と賭け金は密接な関係があるようです。

最近のパチンコはギャンブル性が高くなって一度に二万円も勝ったとか負けたような話をよく耳にします。あれは現在は合法とされているはずでしたね。

賭け麻雀は常識です。それが法律に違反するにも関わらず、官僚も国民も、多くの人が楽しんでいるようです。賭博は胴元が国家であれば良いのも不可解です。

僧侶の立場からすれば、賭け事は全面禁止が望ましいのですが、公営競馬、競艇、競輪、宝くじと射幸心をそそるものは沢山容認されていて、それならば、一日に最高二万円までなら良いとでも法律で認めて上げれば随分と気が楽になる人は多いと思います。

制限以上は無効にするとか、帳面付けは禁止にするとか、そのような法律をつくるような粋な計らいがあっても良いと思います。

胴元の代わりに卓の提供者は一回に付き五百円か千円の税金を申告納税するのはどうでしょうか。

監督者の責任追求はほどほどに、家族内でも責任がもてない時代

文京区でお寺の副住職さんの奥さんが、こともあろうに子供の同級生の幼子を殺して自首した、何とも不可解な事件がありました。幸いというか良識というか、この僧侶はあまりマスコミの対象にはなっていないようです。ご主人に当たる僧侶の責任は法律的にはありませんが、子供さんを抱えて、奥さんは逮捕され公判中です。

この人はやり切れない思いですが、これから先は死ぬ方が楽なほど辛い思いをされるでしょう。

新潟の誘拐された女性の家族に対してもマスコミの配慮が適切になされているように思われます。

真実を知る権利、真実を書く権利なんてあるのでしょうか。真実を知りたい。しかしプライバシーにも十分な配慮が必要だと思います。他人が話したくないこと、触れられたくないことは保護される権利もあると思います。

アメリカの大統領の下半身の話題はとても不愉快でした。日本の首相も似たかの話がありましたが大変に不愉快でした。

下半身に関して、確かに婚外関係は倫理的にみて良いとは言えませんが、これらは極めて個人的なことで、マスコミ沙汰にするのは飯の種か、面白半分です。

スキャンダルはネタにしないような約束が欲しいものです。世のため人のためになるような人材がそのために葬られるのは生産的で無いと思います。

生徒が不祥事を起こすと校長先生がコメントを求められます。実際問題として校長先生が把握出来るのは先生まで、生徒のことはほとんど人間関係が無いと思います。にも関わらず「私は知らない、私に責任は一切無い」と言えない風土のようなものがあります。

県警本部長と管区警察局などの起こした不祥事に国家公安委員長である大臣が責任を問われ、ひいては総理まで責任を追求されている雰囲気ですが、このような風潮では誰が責任者になっても身が持ちません。

それに、警察に政治家の影響が少ない現在のシステムは非情に優れたもので大切にしたいものです。

警察の不祥事は警察の問題、自浄努力で回復を。口は災いの元だが、真意を汲み取る度量を持つ

警察法の改正が審議されるそうですが、現在の国家公安委員会の仕組みは優れていて、内閣の影響力がこれ以上を強くならないことを願うものです。

新潟県警の不祥事にからむ本部長と関東管区警察局長の処分に関して、国家公安委員会の在り方が非難されていますが、実際に本当に罷免するほど腐敗しているのでしょうか。年間の報酬額まで持ち出されて、委員会の在り方がかれこれ言われていますが、何だか政争の道具にされている感じです。

国家公安委員長は政府から派遣されていますが、委員会の運営に殆ど発言しませんでした。委員会の決議が可否同数の場合に採決する立場を取り続け、指導性が問われていますが、これが本来の在り方で、警察国家の復活を願うならいざ知らず、これで良かったと考えます。

処分について持回りで決定したと非難されていますが、閣議でさえ持回りで決められることはままあることです。

日本の政治は一度は社会党の党首を総理とする政治も経験しています。民主党が内閣をとろうと、こんな不祥事は続発すると推定されます。実際に担当しているものを外野がかれこれ言うのは優しいし、責任もありません。

お偉いさんが大切な場面で接待麻雀をしていた。周囲は全部が警察関係者の筈です。そこらの事情が外部に漏れる。情報管理と言うより単純に皆さんの口が軽くなったことに問題の本質があります。

組織の危機管理がてっぺんから末端まで認識されていない。お役所間の協力関係が緊密ではないようで、今般の件は保健所の偉いさんと警察の偉いさんの打合せ不足が事の発端でした。

政党やマスコミの取材能力は大したものです。首相の秘書官のドコモ株の問題、野党党首の高額献金問題、目くそ鼻くその類です。

壁に耳有り、障子に目有りと言う厄介な世の中、誰も信用出来ない、これでは生きて行くのがしんどいことだと思います。

私ども人間は気を付けて生活していても「しまったと思う」ような、まるで魔が差したようなことをすることがあります。自分自身にすら中々責任が持てないのに、配偶者や家族のすることに責任は到底負えませんし、他人に対して責任を感じることが出来ると思ったら自信過剰です。

それが何か不祥事があると配偶者や親が意見を求められる、これは変な世の中です。「情けない」と思っていると思います。

自分がしたことは、それが法律に触れ、倫理的に良くないことであるならば、本人が罰せられたり相手にお詫びをする、反省することが大事です。配偶者でも家族でも代わって罰を受けたり、いわんや反省することは無理です。

法律に触れた行為が発覚する、反倫理的な行為が世間に知られてマスコミ沙汰になる。運が悪いと思います。運が悪いでは済ませられないと言葉を変えようと総理はしましたが、不正が発覚したり犯罪が摘発されて、罰金を払ったり懲役で刑務所に入る人は本当に運が悪いとしか言いようがありません。処理が適切でなかったり、変な証拠が残っていたり、要領が悪かったりしたのでしょう。

この世の中に本当の悪人はいないと思います。善で固めたような善人もいないと思います。

嘘をつくことは良くないことですが、大なり小なり皆さん正直ではないのが本当です。

倫理的に優れた考え方をもっている人が反倫理的なことをしてしまう、だから倫理を高揚することが大切になります。

痛ましい営団地下鉄脱線衝突事故。業務上過失致死傷で厳重な捜査

三月八日の中目黒で起きた営団地下鉄日比谷線の事故は多くの死傷者を出し、亡くなられた方のご冥福を祈りますと共に、負傷された方々の一日も早いご回復を願うものであります。

日本の交通事情は過密で事故が多発しないのが不思議です。車両や航空機、船舶など、動き始めると同時に劣化や疲労が始まり、極めて高度な保守作業を行わない限り正常な運転をすることは不可能です。そして、極めて高度な保守とは高度な技術を有する職人が携わって可能なことです。

新幹線のコンクリート剥落事故で打音検査で確かめる、打音検査は車両の車軸とか、さまざまな面で多用されていますが、西瓜が熟れているかどうかを調べるような容易なことではありません。

その判断の結果に業務上過失致死傷の罪を問うことは大変な時代になったものです。

事故の原因が一人の責任では無く、グループの責任、あるいは統括するものの責任となると大変に厄介なことになると思われます。

私たちの多くは高層住宅に住んで、高速交通機関を利用し、高層のビルの中で仕事をしていて、その何処かに欠陥があると、生命に危険が降りかかります。

事故も触法も無く日々を過ごせることは奇跡に近いことです。

箝口令(かんこうれい)が守られる組織にする。点検と自助努力でさり気なく

何だかこのままで行きますと日本中の組織から不祥事が続発表面化するように思われます。

身内に甘い、部下を庇う、それは決して悪ではありません。トカゲの尻尾切りに終わらず、速やかに内部を点検し、悪しきを改め、改善につとめ、相互に信頼出来る人間関係を取り戻して、楽しく仕事が出来る職場にして欲しいものです。

経済の規模が急激に大きく成り過ぎた。過密が進み過ぎた。時代に合った家庭教育が確立されないうち子供が成長していく。日本の構造が異常に便利に成り過ぎた。 利益や技術が先行して倫理が蔑(ないがし)ろにされた。家庭や学級が概ね破綻に瀕している。職場の連帯観を持ちたくても職場の将来に見通しが立たない。

金融機関の破綻に際して、ペイオフと言うような奇妙な自己責任が求められる、のみならず、年金の掛け金まで自己責任で運用を迫られる。約束を誠実に守る代表が金融機関でなくてはならない。

誰も信頼出来なくなったても、誰かを信頼したいもので、人間は一人では生きられない。弱さを自覚して強く生きたい。

  • 組織の劣化や疲労が目に付きます。つくったものは何でも徐々に壊れて行くのは自然の道理ですが、乗物の安全が崩れるのは困ります。警察国家を願うものではありませんが、警察の不祥事も多過ぎます。多くの人が従事している業務ですが、間違い少なく、国民が信頼出来るようになってください。
  • 何でも組織の長に責任を問うのは筋違いです。家族間ですら責任が持てないほどに親子、配偶者間の会話が少なくなっています。
  • 営団地下鉄の事故は運輸大臣の責任ではありません。警察の不祥事に国家公安委員長の責任などある筈がありません。いろいろ言われながらも日本の警察は良く機能してます。
  • 法に触れたり、倫理違反行為をして、逮捕されたり、マスコミに叩かれるのは大変に運が悪いことです。そう思えるほどに賭け麻雀やスピード違反は蔓延しています。賭け事は禁止される方が生活は安全です。さりとて小額の賭け事は娯楽の内に入るかもしれないと
    思います。上限を決めて公認してはと・・
  • 噴出する社会の矛盾について僧侶として意見を述べるのは難しいことです。余りに酷しいことを言えば自分に返って来ますし、さりとて容認することが甘いも酸いも分かったことにはなりません。
  • 何となく世の中が悪くなっているように思います。他人にせいにしないで自分の問題として考えましょう。
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