遺教経は大乗か小乗か

現代の日本は宗教離れが言われたり、「心の時代」として、人々は「癒し」を求めて仏教に憧憬をもちつつ、寺院に参拝され、勉学、そして、観音院の僧侶養成講座に参加されたりし修行などに関心をもたれる人も多いようです。  かつて日本では明治初年の激動期に廃仏毀釈が行なわれ、各地で寺院や仏像等の破壊、僧侶の強制還俗などの弾圧が起きました。  そのような受難の時代に、篤い信心で宗旨宗派を超えて、仏教のために広く社会的に活動した人がたくさんおられました。  次にご紹介する大内青巒(おおうちせいらん)もそのおひとりです。仏教の大事さをひろめ、当時に、通仏教の、仏教興隆を志して活動なされました。

「遺教経は大乗か小乗か」 論説 大内青巒

(表記について この論説は旧文体によって著述されていますので読みやすく現代口語体に改め、また一部を省略しております)

 遺教経(ゆいきょうぎょう)はいまさら申しあげるまでもなく、釈迦牟尼世尊が二千八百四十五年前の、二月十五日の夜半、まさに涅槃(ねはん)に入られようとする間際にお説きになった真実のご遺言であります。  したがって、およそ仏弟子たるものは、朝な夕な、これを拝読して暫時も忘れてはならぬものでありますが、このお経について昔から大乗経であるか小乗経であるか議論のあるところであります。  付法(ふほう)蔵の第十二祖・馬鳴尊者(めみょう・そんじゃ)は、遺教経を撰述されて、これはたしかに大乗経であると定められたにもかかわらず、天台大師智覬(ちぎ)は、阿含部(あごんぶ)の結経であるとされて、あたかも小乗のように取り扱われており、また、円覚大師は、大、小乗にかかわらずと言われている。  そこで私としては、それらを踏まえたうえで大乗小乗についてこれから述べるわけであります。  そもそも仏がこの世に出現されて教えを設け、化(け)を施されたのは、生死の一大事を決定(けつじょう)して、仏と等しい知見(ちけん・悟り)に開示悟入(かいじごにゅう)せしめる ためであります。言葉を換えていえば、生死(しょうじ)を出離して涅槃を証得することであり、もっとひらたく言えば、迷いを離れて悟りを開くということです。  迷いから離れさせ、悟りを開かせるには、人それぞれの機根(きこん・仏の教えを聞き、修行し、悟る能力)しだい、因縁(いんねん)しだいですから、臨機応変に教え導いてゆかねばなりません。  仏の説法には、大小、権実(ごんじつ・方便と真実)、頓漸(とんぜん・速やか、ゆるやか)などいろいろですが、これらを要約すれば、大乗と小乗の二つにまとめることができます。  では、大乗と小乗はどこがどのように違うのか、これについては昔からいろんな説があり、甚だしいのは大乗は仏説ではないと主張する人もあるくらいです。  つまりそれは、仏法というものを、容易に自分のものとして身につけることができず、古人の区々(まちまち)たる言葉にばかり眼が眩(くら)むゆえではないかと思います。  それでは大・小乗の差別をどうみるか、私の考えを申しますと、大乗というのは仏教の目的を説き明かした理論であり、小乗はその目的を達するための実際の方法であると信じております。  もっとも大乗と小乗とのあいだには理論も実際も異なるところが多いには違いありませんが、それは大乗と小乗とをまったく別のものとして捉えた観点からのことであって、いま問題にしていることとは別種の問題です。  さて釈迦如来は、伽耶(ガヤ)城(古代の中インドのマカダ国)の菩提樹の下において、暁天(ぎょうてん)に星のきらめきをご覧になり、豁然(かつぜん)として宇宙の真理をお悟りになった。  そして、三七日(二十一日間)の間は、その悟り得られた真理のおもしろさを、余人をまじえず、お一人で存分に思惟(しゆい・考え思う)された、と申します。  それがすなわち「華厳経」で、仏教の最大目的たる理想は、ことごとく、この経典のなかに尽くされている。それゆえに、仏の富貴(ふうき)を知らんと欲すれば、華厳経を読むがよいと、古くより華厳経を仏の宝蔵のように譬(たと)えてきたのであります。  しかしながら、仏法最大の目的を、一切衆生もろともに達しさせようとして、その宝蔵をただちに開放し、内部の七珍万宝を手あたりしだい取れというわけにはゆかない。  たとえ手任せに取れといわれたからといっても、それは頑是(がんぜ)ない子どもが公債証書を手に入れたようなもので、なんとも致し方のあるものではない。  つまり宝蔵のなかの宝を、真の宝として価値あらしめるためには実地に修行の方法に就(つ)かせねばならぬ。  そこで釈迦如来は鹿野園(ろくやおん)という所へおいでになり眼前の事物のうえから、説き明かされて、実地修行の方法をお授けになった。これがすなわち「阿含経」です。  ところが、とかく人情は片寄りがちなもので、阿含部のお説法を拝聴した者は、実地にばかり片寄って仏法本来の目的に背(そむ)き、往々にして自分さえ実地の悟りを開けば、他人のことは顧(かえり)みるにおよばぬ、といった独善におちいる傾きがある。これを俗に声聞根性と申して、仏教の本旨である平等利益(びょうどうりやく)の目的に背くこと甚だしいけれども、その実地修行の力は仏に近いくらい進んでいるから、三明六通というようなこともみな自由自在であるとされている。 〔三明六通〕阿羅漢(あらかん)がもっている不思議な力のこと。 一、神足通・自由に欲するところに現れうる能力。 二、天眼通(てんげんつう)・自他の未来のあり方を見通す能力。 三、天耳通・普通人の聞こえない音を聞く能力。 四、他心通・他人の心を見通す能力。 五、宿命通・自他の過去世のあり方を知る能力。 六、漏尽通・煩悩を取り去る能力。  以上の、六つの超人的能力を「六通」という。このうち宿命、天眼、漏尽の三つを、特に、三明(さんみょう)という。宿命明・宿世(すくせ、しゅくせ)の因縁を知り、自他のあやまちを知る。これによって常見をなおす。  天眼明・未来の果報(かほう)を知り、自他の未来を知る。これによって断見をなおす。  漏尽明・煩悩が尽きて得た智。現在の煩悩を断ずる。これによって邪見をなおす。  なお、ここでついでながら執筆者のプロフィールを紹介します。大内青巒(せいらん・1845年-1918年) 仙台出身の明治の仏教運動家。はじめ儒学を学び、江戸に出て曹洞宗の僧となるが、のち還俗して靄靄居士と号す。  明治初年、西本願寺法主大谷光尊の師(アドバイザー)となる。  1879(明治十二)年、仏教各宗の連絡機関として和敬会を組織し、通仏教運動を展開。社会事業、出版事業にも力を尽くす。  1914(大正三)年、東洋大学学長。著述「碧巌集講話」「原人論講義」など。  けれども、どれほど自分一人の迷いは除けたようであっても、それでは真の目的を達することはできない。  そのため釈尊はさらに「方等部(ほうどうぶ)」、「般若部」のお説法をなさって、徐々に仏教の目的である平等の理想をお示しになった。  こういう積み重ねを経て、道理が分かってみれば、それまでしてきた修行の仕方が悪かったわけではないけれども、仏教の目的を見失っていたことが分かってきた。  そこで法華経の開会(かいえ)となって、釈尊は「汝等所行是菩薩道」・・ 其方たちのなしている実地の修行そのままが、大乗の菩薩の道であるぞ、と仰せられた。  お弟子たちは回心向大(えしんこうだい)、つまり今までの心得をあらためて、大乗平等の目的に向かうことになった。  これを平和ということにたとえれば、平和を保つためには戦わねばならない場合もある。目的はあくまで平和であるけれども、それを維持するための手段として戦わねばならない。  ところが第一線で戦う兵士たちは、眼前の戦いのことばかりに心を奪われて、最初の目的であった平和のことはすっかり忘れて、ついには収拾がつかなくなってしまう。つまり、目的よりも手段のほうを大事に考えるようになる。

釈迦涅槃
それと同様の理屈で、華厳の平和を求めるためには、阿含の戦いを避けることはできない。けれども、眼前の戦い(阿含)に気をとられて平和(華厳)を忘れて声聞根性に陥ってしまうから、小乗だ二乗だといって叱られるわけですが、方等、般若で道理が分かり、最初の目的に立ち戻ってみれば、法華の開会で、声聞の修行そのままに菩薩の目的を達する方法であるから、「内秘菩薩行外現是声聞」と法華経に説かれているわけであります。  こうして、目的に達する方法と理論の実際が調和したことにより仏出世(しゅっせ)の仕事が満足したので、次に涅槃経ということになるわけです。  最初の華厳経から阿含、方等、般若、法華経と、五十年来お説きになった教法の総ざらいをなしたものであるから、涅槃経のことを「桾拾(くんじゅう)の経」とも言います。君拾というのは二字とも拾うという字義で、釈尊五十年来のお説法の落ちこぼれを拾い集めるという意味です。  さて、前にも申しましたとおり小乗を叱責されたのは、その修行の仕方をお叱りになったのではなく、その修行が、何のための修行なのかという心得違いを指摘されたのであるから、その心得かたを正しさえすれば、実際の行法(ぎょうほう)は小乗であってもすこしも差し支えない。  涅槃経のお説法は、一見すると小乗のようなところも多いけれども、その目的はあくまで常住仏性(じょうじゅう・ぶっしょう)を説き明かされたものであるから、法華経と同味のお経です。  ことに遺教経は涅槃経についで釈尊いよいよご臨終のまぎわになって、「略して法要を説く」と仰せになったのであり、その時その枕元に居合わせた僧侶たちだけに向けてのご遺誡(ゆいかい)であるから、その姿かたちはどうみても小乗のようである。そのため遺教経を小乗とみる人、大乗とみる人と議論のあるところでありますが、私はもともと大乗と小乗とをそれほど別物とは思っておりませんので、円覚大師の言われるとおり、大・小乗にかかわらぬ、というほうに賛成を表する次第です。  これは遺教経にかぎらず、すべての経論にみな通じることと思います。  同じ水であるけれども、牛が飲めば乳となって人をも養い、蛇が飲めば毒となって人を害す、という譬えのあるとおり、法のうえに大乗、小乗があるのではなく、その法を修証(しゅしょう)する人の機根(きこん)によっていろいろに差別が起こるのです。  昔、弘法大師は、あとにのこしてゆくお弟子たちに、「我亡きあとも四分律を護れ」と言われたそうですが、真言宗の教相(きょうそう・理論的な教義)は、大乗も大乗、秘密金剛乗というものですが、それでもなおかつお弟子たちの平生の起居行状は、いわゆる小乗の四分律を護らねばならなかったわけです。  また、承陽大師(道元禅師)は小乗律の教誡律義(きょうかいりつぎ)を折衷(せっちゅう)して、「これは是れ大乗の極致なり」と言われている。これらの祖師の訓誨(くんかい)を承(うけたまわ)るにつけても、大乗だの小乗だのということを、字義の上でばかりがやがや議論するのははたしてどんなものでしょうか。

七曜戒 朝の言葉・火曜日
 与える。期待しないで与える。
 人の一生はみほとけの恵みを受けることにより始まり、みほとけの心のままに生かされ、みほとけの救いを受けて往(おわ)る。
 われみほとけの身と成ならんと願うがゆえに、みほとけの如く与えん、与えるにみほとけの如く、かりそめにも期待することなかれ。
 与える行いの根本は、あたたかき心なり。あたたかき心を示すは最大の施しなり。期待せざる心は信頼の始まりなり。
 与えるべきもののその一は人の在るべき場所なり。家にありてはしゅうと、しゅうとめ、夫、妻、嫁、子、孫の場所。仕事にありては、仕入れ先、つくる人、売る人考える人、買う人、皆それぞれに居やすき場所を与えん。
 あたたかき心はあたたかき環境を創(つく)り、善き環境は みほとけのましませる浄き社会となる。
 われら心から求めしところの浄土は 死して与えられるものにあらず、この身この生(しょう)において自らが創り、人を住ましめ、みほとけの光(めぐみ)うけて持ち往(ゆ)くものなり。
 観音院常用教典「まことの道」 四十五ページより

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