過去はすっかり忘れてしまうと 楽になります

済んだことを悔やんでみても、後悔先に立たず、でね、嫌なことは全部忘れてしまう、相当無責任ですが、毛を吹いて傷を求めるのは愚かなことです。上手く行ったからといって、生涯から見たら多分に大層なことではありません。嘆けば聞く方は辛いし、自慢話は聞き苦しい。だから、どちらも迷惑です。借金は困りますね、こちらが忘れても相手が忘れてくれない。人生も仕事も区切りをつけてやれると楽です。私は、済んだ話を聞くのは好きではありません。過去に遡って相談に乗りようもありません。今日からどのように生きるかが大切です。愚痴は憂鬱の元、自慢は負担の元、今日から善人で生きれば幸せは必ずあります。不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見、十善戒を守るよう努力すれば全部片付きます。守れば菩薩の境地ですから。 私が覚りを求めて彷徨っている時に慈雲尊者の「十善法語」に辿り着いて目が開きました。
「十善是れ菩薩の道場」とありまして、以来、観音院を「菩薩の道場」としたいと願って、今日があります。
 不殺生という概念は、工場で考えれば、最先端の工場になります。ゴミを一切出さない、電気、燃料の無駄が無い、労働災害が一切無い、搬入される材料は全部リサイクルの物である。こんな工場は未だ日本に出来ていませんが、電気製品の製造工場ではある程度は実現されつつあります。不殺生は虫一匹も殺さないと言うような単純な教えや目標ではありません。実現は大変に困難で、人智を尽くしてもなかなかです。 ご家庭でゴミを一切出さない。無駄な電気ガスを使わない、家族の健康管理を適切にすると考えてみて下さい。
 殺生をしない。この教えは生き物の生命を傷つけたり、殺したり、食べてはならない、というような単純なものではありません。炭酸ガスをたくさん出して地球温暖化に拍車を掛けることも殺生なんです。
 不殺生に近い現代語は「最適化」だと思います。効率化では不殺生の足元にも及びません。無駄を一切省く、物を使い切る、リサイクルを徹底する。どれも不殺生の中途半端です。
 殺生しない、毎日考え続けていますが、とても複雑です。人を殺すとか、傷つけるようなことは、当然にいたしませんが、物を粗末にすることは毎日で、教えを説く当事者が当惑しているのでですから、私のお弟子さんはさぞかし大変だろうと思います。
 ですから、これは努力目標なのです。目的は覚りですが、いろいろ考えて行動していると、段々と覚れます。
 十善戒は、あと九つありますから、戒を守る努力を誓ったお弟子さんは、素晴らしい善人になれます。
 物を粗末にせず、使い切る、全ての物は、その寿命を終わっても再生利用が出来ます。転がっているネジ一つも保存しておけば、何かのネジが足らない時に役立ちます。観音院には、物を大切にするよう教えていますが、捨てる知恵は与えていませんが、ネジ一本まで管理保管するほどの制度は出来ていないのです。
 実際にはネジ小物の箱が有って、其処に必要な物はほとんどあります。
 物には、耐久年数とか償却した簿価と言う概念が有りますが、不殺生とは馴染み難い考え方です。リースとかレンタルとか、税務上は経費になるとかならないとか、そのような考え方は、馴染みません。但し、ソフトについては人の労力を考えると、古いソフトを大切にすることは不殺生に反します。パソコンも同様です。
 高価な土地に上質のビルを建て、週刊誌一冊を放置すると、どれだけ粗末なことをするか、という議論がありますが、「不殺生」の概念の中に、整理整頓することは当然ですし、不必要な土地や建物を所有する概念がありません。空間もまた、大切にすべきものに含まれます。
 殺生しないことで一番に重要なものは人の心を傷つけないことがあります。
 言葉を大切にする。契約を守る。約束を守る大切さは、人であるしるしのように大切にしなければなりません。十善戒は殺生をしないという約束に全部集約されます。人が幸せになるためには自分を含めて、全ての人を大切にしなくてはなりません。

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