過ぎ去ったことにこだわらず前向きに考えること

人それぞれに過去があり、良い思い出や悪い思い出があります。
 悪い思い出や 嫌な経験は、早く忘れてしまうことが楽です。
 良い思い出も、お世話になったとか、可愛がってもらったとか、
親切にしてもらったことなど、忘れると、恩知らずと言われかねな
いこともありますが、相手から昔話を持ち出されることは、場合に
よっては面倒なこともありますね。

 法主さんは、済んだことは、善悪を問わず、直ぐに忘れられます。
まるで、パソコンの削除と同じような頭の構造だと思います。
もちろん、復活も必要であれば出来るようです。
 恩義を忘れるということでは無くて、恩を受けた人も、そうで
無い人も、同じように対処されていて、差別は無いように振舞わ
れます。
 人間には浮き沈みがあります。良い時も、悪い状態になられても、
同じように人間関係を維持されていて、対応に変化がありません。

 何時も皆様の日常の平安と後生の安楽を願われていて、金持ちに
なろうと、仕事に失敗されようと何ら変化することのない交際です。

 物事や人の過去にこだわらず、全て大切に思っておられるのだと
思いますが、見習いたいものだと思っています。
 対人関係で少々の無礼や失礼、悪口を言ったくらいで、執念深く
記憶されていないようです。

 恩讐(んしゅう)を超えて淡々と生きることは、人間には難しい
ことです。
 特に貧しきを避けて富んでいる人に擦り寄るようなことはしては
ならないと固く戒められていますが、僧侶として大切な心得だと、
私も思います。欲望や執着を超えて日々生きて行くことは、平凡に
見えて大変なことです。

言葉と約束
 日常使用している言語が通じるのは、発声や書き方で、
互いに 理解出来る意味の約束があるからです。
何気無い会話も、言葉の意味の約束があって通じるのです。

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