返す当てが無いお金を借りるのは詐欺

赤字国債を累積してはいけません。このまま行くとデフォルトの宣言も予想されかねない現状です。債務不履行は特に発展途上国などで、対外債務の元利支払が不能となった状態を言いますが、物凄い借金でも、個人なら破産して一から遣り直すことも可能ですが、国家の場合は国民全体が貧困に喘ぎます。凄いインフレ、超円安、企業倒産続出、自殺者激増なんて地獄図は絶対に見たくありません。政治家の借金感覚は完全に狂っているようです。
鈴之僧正さまのお話を要約 田川純照記

あまりにも浮かれ過ぎて説明不可能な状態の内容か

これはと思われる金融機関や総合商社、ゼネコン、百貨店など、バブルの最中に拡大を続けた企業が総崩れですね。リゾート施設も全部駄目ですね。金融機関の貸し込みようときたら無節操そのものでした。自動車もトヨタとHONDAが頑張っているけれど、他は もう外国のメーカーみたいな感じがしてきました。

公務員だから大丈夫なんて考えていたら巷に怨嗟(えんさ)の声が満ちて来ます。安心出来る職場なんて急激に無くなりつつあります。 このままでは国家が破綻する可能性だってあるのですから、大国ロシアの公務員の現状を見れば心中穏やかではありますまい。このような一国の経済的混乱は日本のみに止まらず、アジア全域からアメリカやユーロ諸国まで巻き込んで世界恐慌に至る可能性が確定的にあるといえます。

忍耐や協調、勤勉さが大切 やる気をなくさないこと

ユーロの三十%近い下落と日米欧の協調介入がありましたが、円安に歯止めがかからず、国際的な決済機構に回復不可能な打撃を与えると思います。日本の会計基準は前近代的なもので、大福帳的色彩が強く、正常化が進んでいるかのように見えますが、瑕疵担保補償で不良債権の買取責任を明確にしないと銀行の引き受け手が無い状態で、銀行の財産というか資産勘定は真っ暗闇の藪の中です。

それでもIT革命だとか、何とか言って景気を引っ張ってくれるようなことを言ってますが、情報技術が進めば、働く人の職場が奪われると理解するのが正解です。ITには期待しないことです。終身雇用・年功序列・ボーナス制度は夢の彼方に消え去りました。役に立とうが、技術があろうが、失業して再就職をしたいと願うなら、年功無しで、学卒と同じ土俵で勝負しなければなりません。

その学卒で就職出来た人たちもミスマッチでフリーターになる、楽しく働けている人は半分、残りは潜在的失業予備軍です。

これからはサラリーマンでも個人事業主と同じような感覚が大切になるでしょう。世の中が不安定になると、学校を出ても独立しない、親の家に同居して家賃を節約し、結婚もなかなかしない人たちが増えます。それも「やる気」がある内は将来に希望が持てるのですが、昼夜逆転、ゲーム等に溺れて優雅に音楽でも聴いているようでは親御さんも心配が絶えません。

そのような場合に親御さんが病気に倒れられるようなことでもあれば大変です。親が亡くなられても葬儀代の無い若者が激増しているのですから寺も大変です。

葬儀の方は相談されればお金が無くても何とかして上げます。最近では葬儀代の前払いも随分と増えて来ました。親の遺体を荼毘に付してお骨を宅急便で送りつけて来られる遺族もあるのですから世の成り行きかもしれません。

葬儀は地味になる傾向が顕著です。ですが、葬儀社を紹介して欲しいと言われ、葬儀代を未払いで転居先不明と言う例もあります。

後日、聞いてみますと、家は担保に這入っている、沢山の消費者ローンがある。夜逃げが精一杯とのことですから同情します。境内に遺体放置は困ります。氏名死因が分からぬと警察です。

人が亡くなられると死亡診断書と火葬許可書が無いとお寺は何も出来ません。運が悪いと遺体遺棄で逮捕されます。どうにもならない時は早め相談した下されば色々な方法があります。何とかなると乱暴なことはしないで下さい。常識で考えられないようなことをなさるのは実は日常、殆ど寺に出入りの無かった方です。

人心の荒廃は相当なものです。何処の企業も国同様に苦しんでいます。観音院ではこの度、基幹業務の電算機を入れ替えました。寺の外装や設備の入れ替え手入れなど相当な費用が掛かります。

今、一番心配していることは経費節減のために、建物や乗り物、道路などが適切に手入れがなされているかという懸念です。

昨年あたりからJRのコンクリート構造物が剥離したりして修復が大変だったようですが、ビルや船舶、車両などに適切な保守がなされないと大惨事につながります。

大変なことが起きるには必ず不安とか気掛かりな前兆があるもので、この時に手入れをしておけば不幸を避けたり、最小限に止めることが可能です。フランスのコンコルドのような事故は何時起きても不思議ではありません。   

人間関係も同様です。家庭は円満である方が良いのは皆さん願われることです。仕事に夢中になったり、上手く行って傲慢になったりしていると、子供が非行に走ったり、不倫が発覚して大騒動になるのも珍しくありません。

家族に話し合いがあり、一緒に食卓が囲めている内は安心ですが外泊が続いたり、連絡が付かないなどの前兆現象が現れると大変に危険です。家族関係も金属疲労のようにポッキリと折れることが少なくありません。三組の内の一組が離婚している現実、その底には貧困とか、刹那的快楽追求の傾向など一朝一夕では改善不可能なものもありますが、貧しき時も病める時も愛し続けると誓ったカップルが簡単に崩壊することは何処か妖しいと思われませんか。

今更の感じもしますが辛抱とか我慢、協調、協力、建設的な生活への取り組みが、現在の皆さんにとても大切だと思います。


全ての人の倫理観の退廃から社会も退廃する 僧侶は倫理観を高く保ち、世間に説く必要がある

買春で逮捕されたとか、強制猥褻でどうとか、覗き見でどうとか、これらは全て倫理の退廃に基づくことですが、それらが一々報道されたり、四十年も昔のことが穿り出されたり、変な世の中です。

新聞社もテレビ局もお役所も霞ヶ関も警察も大変です。下半身の問題提起はアメリカの例で相当に飽きているのに、日本もこの轍を踏むのでしょうか。

裁判所が警察に犯暦照会をして断られたのは当然のことです。そもそも、十年一昔と言う言葉があるくらいですから、別に総理の能力とか、嗜好、性癖とは事実が有ろうと無かろうと何も関係がありません。警察の仕組みは良く分からないけれど、犯暦なんて過去三十年も保管すれば良いでしょう。

駐車違反まで入れれば日本人の大半は一度や二度は警察官の厄介になっています。

大阪府知事の選挙運動中の強制猥褻なんて、あれは論外。社会的にしっかり制裁されました。被害者にとっては無念遣る方も無いかもしれませんが、最近の男性の多くは似たようなものです。多くの男性から告白を受けますが、男性は極めて危険な立場にあります。

先だって中国縦貫道を六日市まで往復しましたが、制限速度で走りましたら、後は大渋滞で、前はガラガラになり、追い抜いて行った車は全部速度違反です。

で、このようなことを肯定しているかと言うと、倫理違反や法律違反は良くないことだし、公序良俗に反することは絶対にしないような国民性を持ちたいものだと私は願っているのです。私は寺の運営に極めて厳しい運営と財務の公開を取り入れましたが、万一観音院で脱税なんて事態が起きたら、住職は即刻辞任、役員全員入れ替えですね。

私は禁酒して三十五年になりますが、酒が入ると魔が差すこともあります。住職も多少は嗜む程度だと思いますが、酩酊しているのを見たことがありません。多少の嗜好まで止めろとは申しません。

ですが、私と同じ立場になった時は禁酒して当然です。ビールの泡に口をつける程度は礼儀の範囲で、私も受けます。ガチガチに人のすることを彼是とは申しません。

禁煙は時代の流れです。若い人たちが喫煙をしないように願います。禁煙は結構大変ですから。

肺水腫の大半は喫煙に関係があるという人もおられます。万病の元になるような嗜好品に高い税金をかけていても、医療費はその税額を上回るかもしれません。喫煙は建物にも悪影響があります。


自殺は周囲や遺族の大迷惑 事業の失敗や失業、債務など

人は生まれて来て、そして必ず死にます。だから生きていることが尊いのです。自殺の場合は葬儀の引導を禁止しようかと考えています。病気の苦痛を逃れたいと自殺する方がありますが、その苦痛を止めるために医者もいます。

尊厳死という考え方は間違いです。意識が朦朧として、どのように周囲に迷惑を掛けても、それはそれ、病苦を忌(い)むべきではありません。無様な死に方なんて考えてはなりません。やがて死に至るのですから死に急ぐことはありません。死に際まで虚栄を張ることはありません。

自殺して保険金で借金を清算するとか、残された者に何か残してやるなんて考えはモラルハザードです。自分の家に保険を掛けて放火して保険金は無理でしょう。

人間に限って自殺でも一定期間が経過していれば生命保険が給付される約款(やっかん)は不道徳です。こんな保険は自殺の勧めみたいで嫌悪を感じます。

保険金は病死か事故死に限定するよう法律で定めて欲しいものだと痛切に願っています。

事業の失敗とか、名誉を失うような事態に遭遇しても死を選んではなりません。生きていれば必ず死ぬよりは良いことがあります。

もう随分と昔になりますが、破廉恥罪で逮捕され、保釈になった人が死にたいと相談に来られましたが、執行猶予の月日が経過してお礼に来られ、生きていて良かったと言っておられました。妻子からも愛想を尽かされて、家庭も失い、世間の非情さを体験されたのですが、それはそれ、誰を恨むでもなく、再婚されて、とにかく立派に生き抜かれました。

誰でも生涯の内に二度や三度は自殺を考えられることはあります。理由は失業、恥ずかしい、伴侶や愛する人の不貞、子供が思うようにならない、債鬼に追われる、嘘が表面化しそうになる、絶望、思い違い、警察に追われるようなことをしてしまった、社会に知られたくないプライバシーをマスコミに知られた、不渡りを出しそうになった、知人を裏切った、轢き逃げをした、他人を傷つけた、人を殺してしまった。挽回出来ることもあるし、償えることもあるし、償えないこともあります。

しかし、自殺で片付くことはいかなる理由においてもありません。 悪意をもって人を殺して、死刑の判決を受けても自殺をしない方が良いのです。死刑に処せられるまでの不安な独房での生活の中にいても、生きてください。不治の病と知っても自殺はいけません。

死ぬと言って死んだ者はいない、なんて会話をしては絶対にいけません。死ぬ死ぬと言って死んだ人は多いのです。

この年齢になるまで、何度か死なないでと祈りました。何人かは死なれて私の心に深い傷跡を残しています。

インターネットが普及するにつれて見知らぬ人から自殺の相談や予告を受けます。それでなくても多くの信徒さんの内には自殺したいと相談して来る人がいます。

殆ど面識の無い人から突然に名指しで相談したいと希望されると心が凍り付きます。

多くの苦痛は金銭で一時的に救済することが出来ます。僧侶が金銭を貸し付けて、返済の嘘を吐かせることは厳禁事項です。

十善戒の中には殺生をしない、嘘を吐かない、見栄を張らないことなどがあります。これらは私の戒律であると同時に、信徒さんに殺生をされても、見栄を張られても、嘘を吐かせても、私の護持する戒律に反します。

生きて欲しいの願う私の祈りの多くは御佛様の慈悲で実現しました。私が祈ること礼拝することは私の使命と思います。

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