誦経の功徳

隣の寅さん 前回、観音経普門品を誦経した功徳(くどく)で、
囚われの身が手かせ足かせの束縛から逃れることができたという話
をしてもらいましたが、一般的に我々、在家の者が誦経して、どん
な功徳(くどく)があるんでしょうか。
 また私など、経文の意味もよくわからず誦経していますが、それ
ではたしてご先祖の供養になるんでしょうか?

隣のご隠居 ほとけさまは医者のごとく、お経は良薬のようなもの
だとされている。
 だから、医者(ほとけ)の処方箋(経文)にしたがって、それを
われわれが絶対の信頼をよせて薬を服用すれば、その効き目(功徳)
があるのは当然のことだ。
 その功徳はなにかといえば、それは現世(げんせ)の御利益(ご
りやく)であったり、あるいは未来の御利益だったりで、それらの
功徳は経文によってまちまちであって、一様ではない。

 ほとけさまの説かれた経文には不可思議の功徳があるものであっ
て、たとえ寅さんが、意味もよく分からず、なんとはなしに習慣的
に経文を誦(よ)んだとしても、幽界(ゆうかい)のご先祖さま方
はちゃんとその意味をよく理解してお聞きになっているはずだから、
まったく問題ない。
 そもそも、経文の意味が分からずに誦んでいるのは、なにも寅さ
ん一人にかぎったことではない。そういう人が大部分のはずだ。
 唯、一心に誦んで功徳があり、さらに観音院の常用教典「まこと
の道」は経典の意味も解り易く説いてあって、戒律や教えを日常生
活で実践することができる。

 誦経が自分のためになり、良いことだと信じて誦めば、かならず
不思議なくらい功徳があって、それは良薬を服用して効き目があっ
たのと同じようなもの、ということができる。
 薬を服用する側が、その薬のことに無知であったとしても、お医
者さんが処方した薬なのだから、それをのめばきっと病気が治るだ
ろう、と信じてのめば、ほんとうに病に効くものだ。
 だから雑念をはらい、至心(ししん)に誦経三昧(ざんまい)の
境地(きょうち)に入るときは、まちがいなく、こちらの気持ちが
ほとけさまに通じ、願望を受け入れてくださるはずだ。

寅さん ご隠居は、かんたんに誦経三昧とかおっしゃいますが、こ
れがなかなか難しい—-。
 誦経をする場所として、どこがいちばん適しているんでしょうか。

ご隠居 ほとけさまは法界(ほっかい)に満ち満ちていらっしゃる
から、どこでしてもよいようなものの、私たちの心は往々にして雑
念が多く、気持ちが散乱しがちだから、精神をひとところに集中さ
せるためにはやはり、ほとけさまの前が最上だろうな。

寅さん そうすると、やっぱり観音院さんのご佛前ということにな
りますか。
ご隠居 ま、なるべくなら観音院さんに足を運ぶのがいちばんだろ
う。
 また、誦経にも人によっていろいろ目的や事情があって、たとえ
ば、報恩のためにするもの、追善のためにするもの、あるいは願望
成就(じょうじゅ)のためにするもの、またはただ単に、自分自身
の心身を浄めるためにするものとあり、その御利益は千差万別だけ
れど、誦経する人の心得しだいで、御利益に厚薄の差が生じる、と
いうことだけは知っておくとよいな。

ペットたちの観音さま

ご隠居 誦経のことはこのくらいにして、きょうはひとつ、馬頭観
音の話をすることにしよう。
寅さん 馬頭(ばとう)観音?

ご隠居 あまり聞きなれない観音様だが、馬頭観音は、宝冠に馬の
頭を戴いた三つの顔があり、一切の魔を打ち伏せるといわれていて
六観音のお一人だ。

寅さん 六観音というのは、どんな観音さまでしたっけ?

ご隠居 六観音というのは、六道(ろくどう=われわれが善悪の業
によっておもむき住むとされた六つの迷界)を教化(きょうけ)さ
れる約束の観音さまだ。
 千手(せんじゅ)観音が地獄道を教化され、正観音が餓鬼道、馬
頭観音が畜生道を教化され、十一面観音が修羅道、凖提観音が人間
道、そして如意輪観音が天上道を教化されている。

 このように馬頭観音は六道にあって、畜生道の教化を受け持たれ、
人間の食用に供される家畜をはじめ、犬、猫、小鳥など、われわれ
現代人の心を癒してくれる可愛いペットたちを、あの世でやさしく
教化してくださる大層ありがたい観音さまだな。

 その馬頭観音のことについて、「秩父縁起円通伝」という書物に
こんな話が書かれている。

 —-秩父(ちちぶ)観音三十四番札所(ふだしょ)のうち、橋立
(はしだて)という里に第二十八番の石龍山橋立寺(きょうりゅう
じ)という寺がある。その寺は、石龍山の山腹に屋根の甍(いらか)
を深々と緑に沈めて建っていた。 石龍山のふもとに、銅(あかが
ね)で作られた地蔵菩薩が久しく立っていた。
 いつの時代に、だれが作ったものかは分からない。

 ある頃に、その秩父のあたりを支配する領主がいた。
 ところが、この領主は性質がねじけて、話にならないくらい悪い
男であった。
 むやみやたら、ひどい仕打ちをするばかりか、人々が苦しむのを
見て楽しむような残忍なたちの、まるきり救いようのない人間で、
領民はその暴虐無道の領主のために、いつもさんざんな目にあって
いた。
 見るに見かねて、同じ血のつながる分家の長老が、因果応報の理
(ことわり)などを持ち出して、説得をこころみたりすると、領主
は大口をあけてゲラゲラ笑いとばし、「そんなのは、釈迦が臆病者
どもをまどわす詭弁(きべん)か、ざれごとにすぎん。わしほどの
強くて立派な男が、なにがかなしくてそのようなものを恐れること
があろうぞ。
 よいか、これより以後、因果応報などの世迷いごとをもっともら
しく言いふらす者は、わしのこの領地から家財残らず没収したうえ
放逐するから、そう心得ておけ」という始末であった。

 そうこうしていた、そんなある日のことである。
 領主が石龍山のふもとを馬に乗って通りすぎていると、銅製の地
蔵菩薩が彼の目の端にとまった。
「おや、こんなところに、なんの役にも立たない無用の長物が、わ
がもの顔につっ立っているではないか。目障りだ。ただちに引き倒
して鋳潰(いつぶ)し、なにか世間のために役立てるようにしろ」
と下知した。
 すると、その里の村長がよろけるようにまろび出て、領主の馬前
にひざまづいて、
「しばらく、しばらくお待ちくだされませ。
 このご尊像は、はるか昔よりこの所に立たれて以来、村里は何事
も無く、平安な日々がつづいております。
 それゆえ、この道を往来する人々は、みなひとしく、このお像を
うやまい供養して往還いたしております。そういうありがたい地蔵
菩薩さまでございますので、恐れながらご領主さまも、領民の人心
をつかむための一助として、このお像を政治向きにご活用いただい
て、お像のほうは、このままそっとしておいていただくわけにはま
いりませんでしょうか—-」
と、ひたいを地べたにこすりつけんばかりに懇願した。

 領主は馬上から口をひんまげ、左右をねめまわしてうそぶいた。
「だまれっ。汝ら土民のぶんざいで、みだりにぺらぺらほざくでな
い。このわしが、なにが不足で銅像ごときの助けを借りて政事(ま
つりごと)をしなければならん?
 汝らはよく知っているはずだ。汝らが貴(たっと)しとして信じ
ている佛説のなかに、身肉手足および妻子、珍宝、己の心、己の脳
髄までも施し与えて、しかるのちに成佛(じょうぶつ)せんことを
求めよ、とはっきり言っている。
 よって、この銅像を鋳潰(いつぶ)して、人間の道具として役立
てるのは、最も佛の心にかなう寸法ではないかと、ついに地蔵菩薩
を鋳潰させて自分の財産にしたのであった。
 この一事をもってしても、凶暴で欲深い彼の悪領主ぶりがよくう
かがえる。
 さて、領主の悪業の報いであったのだろう、ある朝、彼の身体に
腫れ物が生じた。そして、たちまち身体じゅうが膿血でただれ、苦
しみにのたうちまわりながら、みじめな姿で死んでいったのだ。
 そればかりか、領主の悪業(あくごう)の影響からか、その家族
までも次々に没落してゆき、とうとう彼の係累は跡形も無くなった
のである。

あの世からの生還

 その頃、里に住んでいた者が頓死(とんし)した。しかし、死者
の身体が亡くなったにしては温かかったので埋葬を見合せ、もしか
して蘇生(そせい)するのではなかろうかと、一縷(いちる)の望
みをいだいて見守っていた。そして三日過ぎると、はたせるかな、
死者が息を吹き返したから家族は手を取り合って喜んだ。

 問われるままに、生き返った男が語ったところによると、こうだ。
「引き込まれるような深い眠りに入ってゆくうち、さらに数千万丈
もありそうな谷底へ転がり落ちるような気がした。ふと気がつくと
広い野原に一人さまよっていた。

 はるか向こうに、高く厳めしい鉄(くろがね)の門があった。
 とぼとぼと歩いて、ようやく門の前までたどり着くと、門の左右
に異形(いぎょう)の姿をした門番が列を正して立ち並んでいた。
 そのなかの一人が、自分の腕を捕まえて門の中に連れ込んだ。
 門内の広場には、役人とおぼしき大勢の人々が厳しい表情で威儀
整然と腰掛けていた。それは肌に粟が生じるほどの怖さだった。

 と、そのとき、あれがきっと閻魔大王なのだろう、正面のずっと
奥の一段高い所に座を占めていた方が、自分のほうをじーっと見て、
「汝はさしたる罪悪もなく、また寿命の尽きたわけでもないが、
 汝ら郷里の者たちにぜひ知っておいてほしい事柄があったゆえ、
 こうしてわざわざ汝を此処へ連行した。
 それ、この者の顔をとくと見よ」と、一人の罪人を引きすえた。
 はて、誰だろうと、目を凝らしてよく見れば、なんとそれは暴政
をほしいままに、自分たちに君臨した秩父のあの領主であった。
生前、この悪領主に虐(しいた)げられつづけた里人たちのことを
思い出し、今の領主のみじめな姿を見比べて複雑な心境でいると、
一人の役人が言う。
「お前はこれより娑婆(しゃば)世界に引き返し、いま見たことを
里人たちに告げ、人をして善を勧め悪をしりぞける鑑(かがみ)と
するように—-。
 また、この罪人はここから追放し、再び秩父において今度は毒蛇
に姿を変えて生きてゆくことになる。というのは、この者は昔狩猟
に出て、秩父橋立寺で休息していた際に、折から佛前の灯明が消え
かかっていたのを見て、持っていた矢尻でもって灯火をかきたてて
火の消えるのを防いだ。
 本来、この者は未来永劫(えいごう)、無間(むけん)地獄に堕
ちるべきだが、その一つの功徳によって無間地獄から脱し、毒蛇の
身を許されたわけだ」と、その話が終わったと思ううち、しだいに
夢から覚めたような感じで蘇生したようだ、と語り終えた。

馬頭観音の教化

 それからほどなくすると、その村里の大きな沼から大蛇が出没す
るようになった。牛や馬など大事な家畜が掠(かす)め取られ食べ
られるといった被害が頻々として起こるようになった。
 村里の人々はこれを大いに憂慮した。そしてみんなで相談した末、
一同心願をこめて石龍山のふもとの馬頭観音にお祈りをし、加護を
お願いすることになった。

 ある日のことである。いずくともなく一頭の白馬が村里に現れ、
たてがみを風にそよがせ、気持ちよげにあたりを走り回り、沼のほ
とりまでやってきたときだった。
 沼の水面から濃い霧が立ちのぼってあたり一面乳色の幕に包まれ
てしまった。
 すると突如、水面が逆巻いたとみるまに火煙を吐きながら大蛇が
沼の底から現れ、白馬をひと呑みにしようと襲いかかった。すると
その白馬は、三度嘶(いなな)いたかとおもうと、額から大蛇に向
かって一直線に大光明を発した。

 そのまばゆい光明が大蛇ののどまで裂けた口に入ったように見え
たとたん、たちまちにして大蛇が人語を話しはじめたのである。
「ああ、ありがたい。われは無間地獄から抜け出すことができたと
はいえ、毒蛇の身から離れることができなかった。これまで悪業の
数々を重ねてきたのだから、それも当然と諦めていた。しかし、い
ま大悲の佛智に救われてやっと度脱(どだつ)することができた。
そこで、わがこの姿を末代までも遺(のこ)し伝えて、衆生の信心
の励ましの助けにしてほしい・・・・」
と、霧の深い沼のなかから蛇身をあらわし、とぐろを巻いてわだか
まると、大蛇を覆(おお)っていた金のうろこが見るまに変化して、
石となってしまった。

 それが今の石龍山である。
 そして、くだんの白馬は橋立寺のほうへ駆け去り、寺の本堂へ走
り入ったという。
 そのことでもって、あの白馬はうたがいもなく本尊の馬頭観音の
化現(けげん)であったことが分かったということだ。

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