仏の「三十二相」

寅さん ほとけさまは三十二相をお持ちだそうですが、それは一体どのようなものなのでしょう?

ご隠居 仏の三十二相というのは、釈迦如来が九十一劫(こう・きわめて永い時間の単位)という気の遠くなるような永い間に、百福を修(しゅ)して成就(じょうじゅ)された身相荘厳(しんそうしょうごん・けだかくて、おごそかなお姿)であるとされている。
 そのお姿を、私たちが直接拝見(はいけん)することは、むろんできはしないが、往古(おうこ)より伝わる文章によって窺(うかが)い知ることができるから、それらの伝承をもとに、われわれはその広大円満なる仏徳の偉大さを、あらためて認識することができるというわけだ。
 それはともかく、この仏の三十二相はいわゆる応身仏(おうじんぶつ)のお姿であって、人間界のなかにあっては最勝であり、聖中の大聖人である。
 以下は「仏説宝女経」という経典を典拠にして話してみることにしよう。

寅さん 待ってください。その応身仏というのは?

ご隠居 うん、応身仏というのは機に応じ、時や所にしたがって法を説き、人々を救うために顕れる仏のすがたのことだ。
 応身(おうじん)とは、仏のありかたを三つ、つまり法身、報身応身の三身に分類するさいの一つで、衆生を済度(さいど)するために、衆生のそれぞれの機根(きこん)—-仏の教えを聞き取り、理解する能力に応じて、この世界にすがたを現すお釈迦さまに代表されるほとけのことだ。
 ついでにいうと報身(ほうじん)は、菩薩の時代に立てた「願」と、その間の長い修行に対する「報いとしての楽」を受ける理想的な仏のことをいう。
 法身(ほっしん)は、仏の仏たる所以(ゆえん)のもの、つまり法性、真如(しんにょ)そのものであって、色もなく形もないものであるからよく虚空(こくう)にたとえられているようで、「法身は諸仏に共にあり、一切の法に遍せり。猶(なお)し(さながら)虚空の如し。無相なり、無為なり色心に非ずと説けるが故なり」と経論に記述されている。
 話をもどして、仏の三十二相について記述した「仏説宝女経」を見てみよう。
 宝女が仏に訊ねた。
「仏、貴方さまが三十二相を具えられたのは、どのような功徳(くどく)を前の世において積まれ、そのような大人(たいじん)の相が貴方さまの五体全身に顕れたのでございましょうか。」
 仏が宝女の問いに答えて、それはおそらく往古の世において善根を積み、無量の徳を行ったため、それらの徳が集積して、このような現在の相を得ることができたのではないだろうかと、次のようにお説きになった。

 一に足安平相—-すなわち足をゆったりとくつろげ、悠揚(ゆうよう)迫らざる態度で立つ相、それは、昔から持戒堅固にして退転(たいてん)せざるのみならず、いまだかつて、他人の善根功徳を覆蔽(ふくへい・おおいかくす)することがなかったからである。
 二に手足に千輻輪(せんぷくりん)を有する大人の相は、昔いろいろの施しをしたからである。

寅さん その千輻輪とはどのようなものですか?

ご隠居 それを実際に見たわけではないからなんともいえないが、それに似たようなものとしては、インド国旗の中央にあるパターン中心から整然と放射線状に伸びる花模様、あれが千輻輪というのではないだろうか。

 三に手の指が細くて長い大人の相は、昔、よく経義を説いて多くの衆生を救い、それによって彼らのうれいをとり除いたからである。
 四に手足に縵網(まんもう)のある大人(たいじん)の相は、昔、他人の眷属(けんぞく)を破壊(はえ)しなかったからである。

寅さん 縵網というのは?

ご隠居 これは、あみかがり、と訓読みされているが、それが何のことかさっぱり分からない。

 五に手足の柔軟微妙な相があるのは、昔、やわらかい種々の衣服を恵みほどこしたからである。
 六に七処平満なる大人の相は、昔、ひろく諸施を設けてもろもろの貧民を救助したからである。
 七に膝が繊細で円く、長くして鹿足のごとき大人の相は、むかし経典を奉受して遺失しなかったからである。
 八に陰馬蔵相(いんまぞうそう・かくしどころの所在が判然しない)のあるのは、昔、己が身を慎んで、できるだけ色欲のことを遠ざけたからである。
 九に、頬がゆたかな大人(たいじん・徳の高いひと)の相は、昔、広く浄業(じょうごう)を修して修行を全うしたからである。
 十に、胸前に卍字(まんじ・功徳円満の印とされヴィシュヌ神などにある、仏教以前からある古い吉祥印)吉祥万徳の相があるのは、昔、不善穢濁(えだく)の行ない
を排除したからである。
 十一に両手両足の具足円満せる大人の相は、むかし無畏(むい)をもって人に施し、人を慰めたからである。
 十二に臂(ひじ)腕が長く、膝の下まである大人の相は、むかし作(な)すべきことあれば、大いに助力して人を奮い立たせたからである。
 十三に身体清浄にして瑕疵(きず)なき大人の相は、昔、十善を行じてなおかつ、それで満足することがなかったからである。
 十四に、如来の腦戸充満し完備しているのは、昔、病者があれば種々の薬を施して看護したからである。
 十五、如来が四十歯(常人はふつう二十八歯)を具してその歯の白浄なのは、むかし親疎(しんそ・親しいものと疎んじられ嫌われるもの)平等の仁慈を行なったからである。
 十六、如来の歯並びが整然としてきれいなのは、むかし人々のいさかいを諌(いさ)めて和合せしめたからである。
 十七に、うるわしくみめよい髪眉(はつび・髪と眉のはえぎわ)のある大人の相は、過去の世において、善く己れの身口意を護ったからである。
 十八、舌が広くて長い大人の相は、むかしの世に、己れの言葉に至誠(しせい)にして、口の過(とが)を護ったからである。
 十九、片時たりとも倦(う)むことのない真摯(しんし)な相は、昔、無量の福をもって衆生に施し、憐れみ深くおもいやりをもって、衆生の願望があれば努めてそれらを満足させたからである。
 二十に、如来の音声(おんじょう)に哀憐の相があるのは、昔の世において、優しい言葉で相手に接し、口を戒めて言辞(ごんじ)を節し、無数の人々がその言葉を聞いて満悦したからである。
 二十一に如来の瞳子(ひとみ)の紺青のごとき大人の相は、むかし慈眼(じげん・佛菩薩が衆生をいつくしみあわれみ見守るまなこ)をもって衆生を憐察(りんさつ)
したからである。
 二十二、如来の眼に、宵闇の月の出のごとき大人の相のあるのは前世より心性和順であったためである。
 二十三に、眉間に白毫(びゃくごう)があるのは、昔、閑寂幽邃(かんじゃくゆうすい・奥深くてものしずか)の処にあって、もろもろの功徳を修行したからである。
 二十四、頭頂に自然なかたちの肉髻(にっけい・頭の上に髪を束ねたたぶさ)のある相は、聖賢をうやまい、目上の人を礼拝(らいはい)したからである。
 二十五に、如来の肌体(きたい・はだみ)がうるわしくしなやかな大人の相は、前世において心に深く念じてもろもろの法蔵を集合したからである。
 二十六、如来の身体に紫磨金色(しまこんじき・仏身の色)があるのは、前世において衣服、臥具を施したからである。
 二十七に、五体平等に体毛が生えそろっているのは、昔、おびただしく人の集まる場所を避けて、静かなところに安居(あんご)したからである。
 二十八に、その体毛すべてが上に向かい、右に旋回しているのは前世に師長を尊敬し、善友の教導を受け、稽首(けいしゅ・長く頭を地につけて礼をする)して従順したからである。
 二十九に頭髪が紺青色のごとく見えるのは、前世に群生(ぐんじょう・生きているすべてのもの)を哀愍(あいみん)し、刀杖をもって害を加えなかったからである。
 三十に、如来の身体が平正方円—-ほどよく均整ががとれてゆがみまがりのない大人の相は、昔、己れ自身で衆生を勧化して安心を得さしめたからである。
 三十一に、如来の脊骨が堅牢で巍々(ぎぎ)として威容にみちた徳相は、むかし菩提のために仏の形像を建立し、廃寺を修繕し、その離散せる者たちを和合させて無畏をほどこし、そのいさかい争う者たちを感化して和合せしめたからである。
 三十二、頬に大人の相を有するのは、かつて微妙可意(みみょうかい・なんとも言い表しようがないほどの良い)の物をもって、多くの人に施与したからである。

 かくのごとく、過去の世の長い月日において、無量不可思議の功徳を修行したので、かかる三十二の大人相(たいじんそう)をいたすこととなったのである、と申されたという。
 仏教はあくまでも自業自得である。善業悪業みな自身より出でて自身がうける。三世因果善悪応報の道理によらざるものはない。

皆でつくった仏の絵が
  奇しき功力(くりき)を顕し話
      「日本霊異記」より

 河内の国若江の郡弓削(ゆげ)の里に、一人の沙弥尼(しゃみに・十八歳未満の女性出家)がいた。姓名のほどはあきらかでないが、彼女は修行に励み、長ずるにおよんで平群(へぐり・奈良県生駒郡)の山寺に住むことになった。
 尼は近在からあつまってきた信者を糾合して「講」を組織し、それらと語らって四恩(父母、国王、衆生、三宝)のために一幅の仏画を作製した。
 それは仏を中心にして一切の有情(うじょう)がそれぞれの業因によって至り住むところの六道の図を配したたいへんに見事な図柄で、尼をはじめ講衆一同みな満足してその絵を供養し、大切にその山寺に安置することとした。
 あるとき、尼に用事ができて、彼女はしばらく寺を留守にした。
 ところが、彼女の他出している間に、絵が何者かの手によって盗まれてしまったのだ。
 講衆一同おどろき、あわてて、消えた仏の絵を手分けして捜しまわったが、絵の行方はとうとう分からずじまいにおわった。
 講衆のみんなで大事に拝んできた仏の絵は惜しいことに紛失したけれど、それによって講は瓦解することなく、相変わらず尼を中心に信者が蝟集(いしゅう)するので、彼女はあらたに放生(ほうじょう・生き物を自然へ放つ慈善行為)に精を出すことにして、さっそく講衆と連れだって難波へとおもむくのである。
 放生する生き物をさがしもとめ足を棒にしてあちこち歩いた。
 とある市のはずれの大きな樹の下に腰を下ろして疲れを癒していたとき、その頭上から、何やら知らぬが生き物のような声がする。
 見上げると、樹の枝に竹で編んだ箱が一個吊るしてあった。
 生き物らしい鳴き声は、その箱の中より聞こえていたのだ。
 これはきっと小鳥か子犬にちがいない。ならば代価を払い、なんとしてでも手に入れて、野に放ってやりましょう、と、その場にとどまって持ち主を待つことにした。
 ほどなくして戻ってきた箱の所有者をとりかこんで尼たちが、「あなたを待っていました。その箱のなかの生き物を、私たちにゆずってもらえないでしょうか」と口ぐちに頼んだ。
「何のはなしか知らぬが、あいにくこの箱の中のものは生き物なんかじゃない。さあ、さっさと向こうへ行った、行った」と男は野良犬でも追い払うような手つきをしながら、そっぽを向いた。
「譲ってください」
「売り物じゃない」
と、口をきわめて言い募(つの)る両者のやりとりをながめて、その市に居あわせていた人びとが、際限のない交渉の折り合いをつけるために、なかに割って入った。
「どうであろう、いっそのことその箱を開けて、中に入っている物を、ここに居るみんなに見せることにしたら、どうだ?」
 尼たちは、おもいがけない助け船に、みな「うん」とうなずいたが、相手の男はにわかに顔色を変え、箱を捨てて逃げていった。
 そこで問題の箱を開けてみると中はかねてより捜しもとめていた盗難に遭ったあの仏の絵だった。
 逃げた男は、盗みの発覚をおそれた盗人だったのだ。
 尼たちは嬉し涙にくれながら、「この絵像を失ってこのかた、私たちの傷心は一日たりとも癒えることはありませんでした。
 いま、それがふたたびこうして私たちのもとへ戻ってまいりました。なんという嬉しいことでありましょう」と言うのを聞いて、そこに集まっていた人々は、よかった、よかった、さだめし嬉しかろう、と、尼たちとその喜びを共にしたのであった。

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